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エミさん90歳 その1(エミさんとユミさん)

90歳になられるエミさんにお会いしたいとずいぶん前から思っていた。舟橋さと子さんのインタビュー記事や日本のテレビでも放映されたエミさんを、同じヤンゴン市内に住んでいながら会う手立てが無いまま何年かがすぎた。ちょうど1年前に麻生あかりさんがヤンゴンでミャンマー語を勉強されるためにやってこられた。その1ヶ月前からUFL(ヤンゴン外国語大学)に入学の方法などの相談を受けてメールのやり取りが続いていた。文章もしっかりしているし敬語の使い方、気配りにも感心しながらメールのやり取りが続き、先輩として住まいや学校の事などの相談で何度かお会いするうちに、彼女にヤンゴンに何人か知人がいることがわかった。その内のお一方がエミさん本名鈴木孝子さんのお孫さんに当たる方で、本名よりもわれわれはリンちゃんと呼んでいる女性に今回のエミさんへのインタビューをセッティングしていただいた。エミさんのお宅はカバエパゴダ通りにある老人ホームの近所で、坂道を登りきった高台にある英国時代の瀟洒な洋館である。そのまま映画の撮影につかえるような素敵なお住まい。

エミさんの自宅

エミさんはこのお屋敷で69年間過ごされている。英国時代、日本統治下 大戦 再び英国時代そして1948年 英国から独立、ネ・ウィン時代、そして現在と言葉も習慣も気候も全く違う国に女一人で映画監督のウ・ニプただ一人を頼りにやって来たエミさん。90年の人生を私の稚拙な文章でたどるのは難しい。数々の想像もできない困難があったろう、1983年を最後に日本には帰国されていない。

福岡にMさんという従軍慰安婦の研究家の女性も数年前にエミさんにインタビューされたそうだ。記憶や話す事柄がこんがらがってインタビューにならなかったと仰っていた。今回私は舟橋さんが4年前に書かれたものをエミさんの元に持っていった。エミさんは舟橋さんの名前を全く覚えてなくてインタビューされたことも、覚えていらっしゃらない様子だった。リンちゃんが言うには、80年も前の昔の事は帯の色や髪の形まで覚えているのに最近のことは、つい2,3日間のことを完全に忘れていたりするそうだ。これはエミさんに比べたらかなり若造の私も、日記を読み返さない限り完全に忘れている1,2年前の事柄がたくさんある。人間は忘れる動物でもあるのだ。

エミさんが話す言葉は威勢のいい江戸前の言葉。印象に残ったのは「とんでもないことです」これをある有名なミャンマー女優(2度ほどアカデミー主演女優を受賞している。60歳くらいだろうか?エミさんに比べれば娘みたいな年だろう)の話の時に使われた。お金にとても汚くて、だんな様で監督のウ・ニプが嫌っていた事。農民の娘貧しい娘の設定なのに、その女優はぴらぴらの派手な服を着て撮影してくれと駄々こねたりと散々だった話などを面白く聞いた。そこで私がその女優と同じ年くらいでやはり3度アカデミー賞を受賞しているキンタンヌはどうですか?と尋ねて見ると、「彼女はいいですよ。家も良いし品格と言うものがありました」と言う言葉に、この一時代を築いた20世紀ミャンマー映画界の最高の美女を改めて見直した。映画界での苦労話、映画博物館を創立させるために5年間くらいウ・ニプが走り回っていた話など興味は尽きなかった。とにかく最近余り耳にしなくなった「とんでもないことです」と言う言葉を何度か使われたのが何故か印象に残っている。それから麻生さんと並んで写真を撮らせてもらう時に、麻生さんにエミさんの横まで来ていただいて撮影しようとしたら。麻生さんを真横に見て「きれいな方ね。色は全く白いワ」と言われたのが、「全く」と言う言葉の使い方が。私の耳にはすごく面白く聞こえた。

「エミさんとユミさん」奇しくもどちらも映画のヒロインの名前である。1935年に封切られたウ・ニプ監督の「ニッポン娘」そのヒロインがエミさん。しかし、この今私が紹介しているエミさんこと鈴木孝子さんは主演女優ではない。しかし、ウ・ニプが日本から連れ帰った女性をビルマの人たちは映画の「エミさん」と信じて疑わなかったようだ。70年前にビルマに空前の日本ブームが起こるエミさんパナ(ぞうり)エミさんタナカ(白いおしろいのようなもの)エミさん雨傘エミさんお菓子エミさん蚊取り線香など、エミさんの名前が付いた商品が数え切れないほど出現したそうである。そして、戦争、日本占領時代、横暴な日本人軍人、各地で軍人によるビルマ人女性へのレイプやさまざまな不祥事、戦中戦後一気に日本や日本人への評価は悪くなる。「ビルマが世界の中で最も親日国家」だとしたり顔でのたまうビルマ通の方がたは、このへんの時代の事を知ってあるのだろうか?

そして時代は1970年代、東京まで取材に出かけたと言うジャーネージョー・ママレーによって書かれた小説「血の絆」がミャンマーで空前の大ベストセラーになる。この小説で、悪化していた日本人や日本に対する悪感情が一気に改善されたと聞いた。またインタビューの時に、初めて耳にした新しい情報として「トゥエイ・血の絆」は、一度ミャンマーで映画化されているという話を聞いたが事実がどうか確かめていない。さて今度はユミさんこと麻生あかりさんは、13年前に企画に上がり頓挫していた「血の絆」の主演女優を鷲尾いさ子からバトンタッチした初主演の新人女優さん、ミャンマー語も分からないまま撮影に臨んだそうだ、しかし、資金問題などで再び映画撮影は頓挫。20代の新人女優にとって6年間のブランクは口にはいえない精神的な重しになっていたことは想像に難くない。この話は本人から直接聞いた訳ではないので私の想像でしかないが、しかし、6年間撮影再開を待ち続ける間に、このかくも長きミャンマーとの絆を考えられたのではないだろうか?そして、その映画のヒロイン名がユミさん、エミさんとユミさんこの2人のヒロインをいっしょに写真に収めることができた。2時間以上もお話を伺って、お疲れになったろうと私のほうから声かけてりっぱなお屋敷を後にした。

エミさんとユミさん

ヤンゴンライフを立ち上げて約1年がたった。掲示板などで時々賑やかな話題になる、ミャンマー人の異性との恋愛や結婚の問題にかんして、「暑さはどうですか?」「停電が多いので、、、」「タイと比べたら遅れている、、」「食べ物が口に合わない」「半年で挫折しそう」なんて愚痴とも取れる書き込みが多い中、エミさんのヤンゴンでの69年間のダイナミックな人生は素晴らしい模範になるものと思う。

by 木村健一
2004年12月15日 深夜 記
インタビュー日:2004年12月9日、リン ちゃん、麻生さん同席
「行って来ました」は本来旅行記コーナーのつもりだったが、これも立派な「行って来ました」だと思う。
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