ついに行ってきました。ミャンマーというよりは世界の霊能者ET。予約して1週間待たされて、行ってみると私が住んでいるところから車で10分くらいのところでした。本名はもちろんあるのですが、映画の[ET」異星人に似ているので、こう呼ばれています。
まずは儀式となった最初に財布を握り締めてくださいと、通訳の妹さんから言われます。ET本人はほとんど話せません。紙に見えることを書いていきます。アメリカドルのナンバーをミャンマー数字で8桁紙に書き出しました、これが「占い,霊視」の始まりです。私の財布の中に10数枚のドル紙幣がありました。そのナンバーの紙幣を捜してみると、果たして8桁ぴったりの1ドル紙幣を見つけました。次に仕事は旅行業で「GOLDEN
GARDEN」と多少スペルは間違ってましたが、会社名まで英語で書き出しました。ETは顔色一つ変えずに私から感じることをどんどん紙に書き出してゆきます。1997年の9月にミャンマーに来ていることや、この2年間は運が余り良くなくて、100儲けるために50出していると、いやぁ当たってますね。健康状態のこと。あと2ヶ月くらいで一時日本に帰るでしょう。ビザが9月の末に切れるので、用事もあるので帰国は考えていました。その時、銀座で(ミャンマー語で書かれているのはキンサですが、私はこれは銀座かなと?他に日本の地名でキンサというところがあるでしょうか?)しかし、東京に行く予定は今のところないが、そこで具体的な名前がミャンマー語で書き出されました。アルファベットで書くと「ARAKI
YOUKO]という人物に会うでしょう。その人物が仕事を手伝ってくれるというものです。2ヵ月後にこの人物に本当にあえるかどうか??楽しみですね。また10月から再び運が上昇するというお見立てです。他にもミャンマーで学位をとっていると言われました。4年間大学には行きましたが、あれが学位かどうかは???またもう1回大学に行くでしょうとも言われました(また行きたいという気はあります)。また、前世がミャンマー人でパガンやマンダレーを往復していたと、日本で著名な男の霊能者の人にも過去(前世)東南アジアにすんでいたと言われたことがあります。ETがちらりと私を見ました。
インドのサティア.サイババのところでも感激の余り涙が出てしまいましたが、ミャンマーの占い師巡りをやってて初めてです。ETの言葉に涙がこぼれそうになりました。こちらから何も質問したわけではないのですが、不意に「お母さんが天国のいい場所にいる。そこからいつもあなたを見守っている」と言われたときには、鳥肌が立って涙がこぼれそうになりました。もう亡くなって10数年たってますが亡くなる4、5年前から具合が悪くて、ちょうどそのころが私が日本での仕事が猛烈に忙しい時期でしたので、思うように看病もできず亡くなった母のことが気にかかっていたからです。ETが言うには母は亡くなるときに私の名前を呼んでいたそうです。臨終には間に合いませんでた。しかし、今でも母がついてくれていると思うとうれしいです。また、「人生で本当に大きな問題に直面しないのは前もって、回避できるように私が選択しているし、母親の力も働いている」と言われました。さてETが書き出した紙4、5枚はお見立ての後くれます。今、大きな字で書かれているETの文字を追って行くと「死」と書かれた文字を見つけました。妹さんは何も言いませんでしたが、「死期」が見えるらしいのです。実はこれが怖くて今までETを避けてきたのです。なまじミャンマー語が分かるばかりに、この恐ろしい宣告を聴いたらどうしようという思いがありました。しかし、「死」とだけ書いて他に何も書いてありませんでした。死期がまだ確定していないからなのか?今言うべきでないからなのか分かりませんが空欄でした。本日はもう一人日本人が来ていると聞きました。階下に髪を金髪に染めた派手な中年の男性の日本人がいました。その日は別の有名な占い師のところも回る予定にしていましたが、もうなんだか胸が1杯になってそのまま家に帰りました。
次の日、ミャンマー人の友人から電話がかかってきました。「ETのところに行くって聞いたけど、行かないほうが良いよ!」と忠告の電話でした。「もう行ってきたよ」と言うと、友人が言うには「ETは悪い霊から情報を得ている」というものでした。しかし、私はインドのサイババは世界的に有名ですが、すぐ真近くに見たことありますし、韓国やハワイ、タイ、日本でも著名な霊能者のところへ何度か足を運んでいますが。ETに禍々(まがまが)しい悪しきモノは何も感じませんでした。最近霊力が落ちてると言う人もいましたが、私が受けた印象は世界有数の霊能者に間違いないという感想です。しかし、どんなに優秀な霊能者でも全体が正確に見えるわけではないし、間違いもあるでしょう。実際うちのスタッフの女性マ・ティダーの家族もずいぶん前に見てもらっていたそうです。その時に長男の嫁になる人の名前がはずれたことと、長女は結婚できると言われて30代の終わりの今も独身とか。私は、感激屋で単純なので本当にいいことだけを信じることにしています。特にETからは悪いこと何も言われなかったので、10月から運が良くなることを信じて、母親に感謝しながら生きてゆこうと思いました。
by 木村健一
2004年7月18日記
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