子供も含む、総勢10名で前から行きたかった、チャイントン、マインラーに行く事が出来た。まず、ヤンゴンからマンダレー、へーホー、タチレク、チャイントンと4時間の乗り継ぎのフライト。到着すると私の荷物だけがロストバゲッジ。過去にもバンコクで経験があるので、じたばたしても始まらない国だし、ホテルに到着すると、貴重品はすべてシャンバックの中にあるので、着替えと靴下、歯ブラシなどをすぐに買いに行く。ヤンゴンの3倍くらい物価が高い。何でもタイから物資が来ているからとか。チャイントンはシャン州の中にあり陸の孤島、陸路で行くには2日くらいかかりそうだ。シャン語はタイ語の方言みたいで、数字はほとんど同じだそうだ。タイ語を2年間バンコクで勉強したI君の弁。夕方、ミャシュエイー(エメラルドの金の水)という温泉に行く。結局帰り間際のあわただしい入浴も含め3回もこの温泉につかった。中国正月なので、若者のカップルもオートバイ(ヤンゴン市内ではほとんど見かけない)に相乗りして、個室にカップルで入っている!!
チャイントンは静かで、家々のたたずまいも美しくミャンマーのスイスって感じかなー。農家の家の作りが日本のわらぶき屋根の家に良く似ていて、その昔タイのアユタヤの日本人街から逃げてきた60数名の日本人が住んでいたという伝承が思い出された。少数民族の村も、たくさんあってトレッキングで最近有名になってきてるみたいなのだが、やはり他人の生活を覗き込むような感じで、4つ5つの村を回る話だったが、2つだけにしてもらった。しばらくぶりに歩いたのでひざが笑ってしまった。そして疲れた体でまたしても温泉に行ったのでした。地玉子を温泉につけて10分でゆで卵になる。おいしい。
さて今回の旅行のハイライト。自治区のマイラーへ、中国正月を迎える1月31日から2月1日にかけて行って来た。今工事中の道路、完成すると有料になるそうだ。3時間かけて到着。一応ミャンマー領、しかし、ミャンマーのお金は通用しない。ドルを中国元に両替する。住んでいる人も遊びに来ている人も全部中国人.もしくはワ人!時間もミャンマーより1時間半早い中国の標準時間。すばらしいホテルが建築中のものも含めたくさんある。全て1、2階はカジノ。このカジノは24時間オープンしているようだ。
昼間の観光コースに、ロシア人ダンサーの「7つの衣装のダンス」というのがある、つまりストリップショーのようだ。また少数民族村の少数民族女性による「水浴びショー」、果てはニューハーフのショーもあるそうだ。これらの出し物が全て真昼間に行われているそうだが、誰も行きたいという意見が出なかったので、どれも見ていない。麻薬博物館の庭で、栽培されている本物のケシの花(白と紫があった)を見て、こんなに美しい花が、人間を狂わす麻薬になるとは信じられなかった。さて、
私らの関心はもっぱら食べる事で、昼食が偶然入った店が安くて抜群に美味しくて大正解。言い忘れていたが、中国語のガイドを連れてゆく前にキャンセルしていたので、7名の一行は、筆談、身ぶリ手振りでマイラー旅行を敢行した。言葉が出来ないというのがいかに不便かを思い知ると同時に、何とか分かろうとしてくれる.現地の人たちの善意にもたくさん出会い、忘れられない旅になった。
ここからは、マイラーで起こったすごい出来事です。いかにも中国といったデザインのマイラーホテルに戻って、タンつぼが3メートル間隔で置いてある廊下を渡って、それぞれ小休止した後夕食に出かけた。坂の上に建つマイラーホテルから車で坂ノ下まで降りると、車とオートバイの接触事故のようで、人だかりが出来て大喧嘩している。そこへ警官か?ワ人の軍人が来て収めているようでした。事故に遭った車もワ人の軍人さんの車も、ヤンゴンではお目にかかれないピカピカの新車。さて火鍋(鍋料理)を捜して、入り込んだ凸になった広場の奥の火鍋屋さんお客が一人もいないので、ちょっと入りずらいし、別の場所に行く事にした。奥にディスコがある
やはり凸状に入り組んだ別の広場に着くと、ディスコの前に40人くらいの人が大 騒ぎしている。声の調子から大喧嘩のようです。中心で一番大声で真っ赤な顔
で叫んでいる男は、シャツが胸から下はやぶれてありません。3人がかりでこの 男を押さえている。もう喧嘩が始まって相当たっているのでしょうか?
ディスコの従業員らしき人たちもたくさん囲んでいるので、あるいはディスコの中で始まった喧嘩のようです。喧嘩が売り言葉に買い言葉で広がってゆき、3ヶ所くらいで取っ組み合いがはじまり、ディスコの従業員らしいスマートな男が逃げ回って、2階にあるテラスのような所を逃げてゆくと、下にいた男が****を取り出しました。へぇ〜面白半分で見ていた喧嘩ですが、流れた弾に当たって死にたくない。しかし広場の真中にいた我々の四方を喧嘩の群衆に囲まれているので、何処に避難してよいものか?とにかく一番近くにあった飲茶の店に避難した。そこへ件のワ軍が来て、空に向かって本当に2度発砲して、10人くらいをすぐに車に乗せて連れて行ってしまった。広場の入り口を飾っていた大きなアーチ状の風船(10メートル以上ある)が、発砲で空気が抜けてへなへなと下がってきています。まるでアクション映画のような出来事でした。せっかく入ったのでその店で飲茶して、約1時間後帰る頃にはなんとあの風船のゲイトが>
元通りになっているし、ディスコもその他の店も何事も無かったように営業を続> けていた。唖然!!そして、ホテルに到着しようとした時出かける時に事故があった>
同じ場所で、今度は車2台が衝突したらしく、大もめにもめてる所に大活躍のワの軍人が> 到着した。これは中国正月の前夜祭のまだまだ序盤だったようです。(続く)
チャイントン、マインラー旅行記2
さてマイラーに関して質問がきていた。
(この旅行記はメール友に出した文章を下書きに書いている)
ミャンマー領なのに、何故ミャンマーのお金が使えないのか・・・とか
ワ人って何・・・?
紛失した荷物などうなったのか・・・航空会社は弁償するのか・・?
・・・・・・
等などです。実は私も今回始めてこのような自治区がある事を知ったのです。-- 詳しい事は分からないが、ミャンマー領なのにワ族(中国系の少数民族>
**で有名。)が牛耳っていて、 というかミャンマー政府も手が出せない地区なのです。バスの中で研究者のI君が、もともと共産主義者たちが逃げ込んで来て、政治資金のために**の栽培を始めたと言っていた。ワ族のほかにはコーカン族という人達も**の栽培で有名です。ヤンゴンに来たばかりの頃、新しい大きな住宅が結構たくさん建設されているのに驚いたのですが、「こんな立派な建物を誰が買うの?」という質問に「ワ人が買う」という答えを複数の人から聞きました。大半は噂です。ワ人というと連想ゲームのように、「**」「*ス*ru」「金持ち」「怖い」といった言葉が出てくる。
さてロストバゲッジの件ですが、通訳のマカインが頑張ってくれて、次の日にはホテルに届いていたようだ。その日我々はチャイントンからマイラーに行ってましたので、2日後に無事対面できた。
また何故マイラーに同行する中国語のガイドをキャンセルしたかというと、Nさんは旅行会社をやっているいわば旅行業のプロです。そのガイドは、マイラー行きに必要ですが、初日はマカインがいるので別に必要でないのに付いてきて、食事の店は自分の姉の店を紹介したりいろいろその他にも、今日は必要じゃないといったのに1日分のガイド料を要求したりと、プロから見ると「客をなめている」からだそうだ。私は少しかわいそうかな〜とも思ったが、おかげで通訳ガイド無しの面白い旅になった。
さてマイラーでの中国的大晦日の夜です。先に送ったメールに書いた以上の大事件が起きた訳ではない。中国人は、金を稼ぐ事にも長けているが、ギャンブル、酒、美食、美女、酒池肉林とにかくお金を消費する事にもものすごい才能が有る事を改めて納得した。町全体がカジノ、博打の町です。金が無い人用の施設も、金持が着飾って高級車で駆けつ
けるカジノまでさまざまの賭け事が存在している。トレッキングの格好でカジノの会場を見学の為ウロウロしてた我々は完全に場違いな存在だった。昼間から爆竹のけたたましい大音響があちこちで響いていたが、やはりクライマックスは暗くなってからだ。
夕食から戻ってくると、まだ車をぶつけた騒ぎが続いているのだが、ホテルの前でも大爆竹の準備が進んでいる。5、6メートルもある両側に火薬並んでいる爆竹を10本くらい、地面に蛇のように這わせると火がつけられた。ものすごい破裂音に閃光が走り、見ている人たちの歓声もかき消されてしまう。あまりの迫力と身近で見る恐ろしさに、3階の自分の部屋に逃げ帰り、部屋のベランダから友人
達と見物を続けた。
高台に立つマイラーホテルの3階からは、ほぼマイラーの街が一望できる。あそこでもここでも打ち上げ花火に爆竹、手に持って発射
するロケット砲花火、何百人という人達が花火に興じているようで、町全体が花火の洪水です。日本でもっと大きくて立派な打ち上げ花火を見たことは有るが、あの夏の夜空に打ちあがる大型花火は、見物人から離れた場所で、安全に配慮してプロの花火職人の手によって打ち上げられているわけだが、ここは縦に
長いダンボール箱に10個くらい穴が開いている打ち上げ花火を地面に置いただけの物。火をつけるとレンゾクして花火が打ちあがるもので、何かの拍子に箱自体が横転デモしたら、観客を直撃して惨事に成るだろう。また手にもったロケット砲を子供がもてあそんでたり、故意にベランダから道行く人を狙っている輩もいる。赤や青、緑、ピンクの打ち上げ花火、シューと飛んでいってパチンと破裂するロケット砲花火、地面から破裂音と白い煙を巻き上げる大爆竹。ここでもそこでもあちらでも、町全体が花火と轟音に包まれた騒ぎが延々と続く。
この日マイラーの街だけで一瞬にして消えてゆく花火に、一体どれだけのお金が消えてゆくのだろうか? 中国人ワ人の「遊び」のスケールのでっかさにただただあきれるばかりの夜であった。また、我々が遭遇した事件というのはこの夜マイラーで起きた事件のホンの一部なんでしょう。花火があの湾岸戦争のミサイルのように打ち上げられていて、何も被害がないというのは絶対に考えられないからだ。マイラーの中国時間の1時半、ミャンマーの時間で12時丁度に騒音が続く中床に着いた。早朝までこの騒動は続いたようだ。朝道路が爆竹を包んでいた赤い紙のく
ずで、真っ赤になっていた。
そしてここが本当にミャンマーである事が信じられなくて、チャイントンはシャンタヨー(タヨーは中国という意味)といわれる人たちの町、第二次世界大戦の後、強力な政治力が有ればラオスのように独立していたかもしれないといわれている。タイのことを昔「シャム」といってたように、なんとなくシャンという語にこめられた意味は深いような気がする。シャン族とラオス人、タイ人は同じ民族という説もあり、それでチャイントンは北部タイのようなイメージで、マイラーは新興の中国の都市のようで、今回の旅行から帰る時はまるで外国旅行してきたようなそんな感想を持ってしまった。
ああ〜まだまだ知らないミャンマーがたくさんあるんだなー。
*本当にタフな旅でした。中国正月だったからこの騒ぎですので、普通の時はどれ位普通なんでしょうね? ギャンブルやるとかオカマのショーを見るとかロシア人の7つの衣装の踊り(ストリップ.ショー)小数民族女性の行水ショー等ハッキリした目的があったら、普通の日でも面白そうですね。
*マインラーの町は、なんとなく映画のセットのような作り物臭い町です。ミャンマーなのにミャンマーでない土地。ミャンマーの中の異国。
チャイントンで見た白い水牛
さて、チャイントンに喧騒のマインラーから戻ると、のんびりしたシャン州の田舎町です。トレッキングの途中で水牛をたくさん見ました。水牛はヤンゴン市内を少し出ると、良く見かけます.ですから別にこのチャイントンの旅で書くまでも無いのですが、いつか水牛の写真をとりたいと思いつつ、今回やっと写真が取れましたので、旅行記の最後をこの水牛君で締めたいと思います。今回親子の水牛をたくさん見かけました.その他水浴びしている水牛、白い水牛、、、、
私事ですが、1996年に始めてミャンマーを訪れて、インレー湖畔で、小雨の中水牛に乗って家路についている少年を見て、このゆっくりしたリズムというか絵のような情景を見て、ミャンマーに魅せられた6、7年前の事を思い出しました。ゆっくりゆっくり水牛の背に乗って、、、、そんな生活もいいんじゃないでしょうか?
by 木村健一
2003年1月30日記
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