マグエ・ミンブー・シュエセットーへの旅 4
ジャウンドーヤ・パゴダ
さて、もったいぶってしまった。
ミンブーには水田がなく。大野先生の学説にちょっとした疑問を投げかけた件だが、、、宿で女主人にお茶を勧められて少し話をしていると、
「ジャウンドーヤ・パゴダは行きましたか? ヨーロッパの人はよく行くみたいよ」そこには古いパゴダがあり、周りは水田地帯だという。
それで、マグエから北に27マイル車を半日4万ksで借りた。
マグエから昨日と同じくエーヤワディ・マグエ大橋を渡り、ミンブーから北に車を進めた。
1時間もするとプインピューという町がある。
(日本人の感覚では絶対村といった趣だが)
その村の中にジャウンドーヤ・パゴダがあった。
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ジャウンドーヤ・パゴダ |
最初に1097年ころ建造され、17世紀に改修されたと碑文にある。
英語名はSandalwood Pagoda
Sandalwoodとは、白檀 いい香りがする木の名前である。
ビルマ族が、パガンに建てた最初のパゴダが、1050年ころのアノヤター大王が建造したシュエズィゴン・パゴダである。
パゴダが2000基のこる(最盛期には5000基)パガン遺跡中、もっとも壮麗といわれるアーナンダ・パゴダが1090年。
パガンから離れた地方にあるジャウンドーヤ・パゴダ
(Sandalwood Pagoda)の創建が1097年とは早すぎるような気がする。
ここからは私の想像である。
名前の由来の白檀で作った小さな仏像を納めた寺院が。
この地に11世紀頃建てられていた。
仏教をおし広めたアノーヤター大王、その次のチャンシッターなどが、
各地に寺院や僧院を建造した。
ビルマ名のジャウンドーヤ・パゴダという名前から推測するに、
ジャウンは寺。
ドーは、王家や仏教の聖なるものにつく言葉
なので、ジャウンドーで、王様が寄進して作った寺という意味だと思う。
最後はのヤは、その場所を表す。
ゆえに、11世紀にパガンの王が作った寺院に、白檀でできた仏像があり、その寺院の跡地にシャン系の王が17世紀に建造したのがこのパゴダではないのか?
パゴダの壁面に8体の鬼のレリーフがあり、こんなデザインはミャンマーでは始めて見た。鬼のレリーフをつけるのは、ワット・アルン(暁の寺)などタイの様式である。シャン人 ラオス人 タイ人は同じ民族と言われている。
なんてことを自分勝手に考えてみた。
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鬼のレリーフ |
それでこの地帯は水田があり、できた米をミンブーまで牛車か小船で、
運び、そこから大河エヤワーディ河を北上してパガンに
米や穀物が運ばれたのではないか。
そんな想像力をかきたててくれるだけでも、旅に出る意味があるような気がする。
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水田地帯 |
帰りにミンブーの、パゴダ2つばかり回り、そこに外国人は記帳してサインお願いしますというので、ノートを見ると、全く日本人の名前はなく、スロバキア人というのが、3ヶ月前にきている。後、フランス、イタリア、ドイツなど、、、
そういえば、宿でもスロバキア人夫婦と、オーストラリアの若者3人が、一泊だけして5人でシェアーして9万ks(9000円)でパガンまで車で行くと話していた。
又、ナガーブェ・パゴダという灰色の丘が珍しいといわれ行ってきた。
火山活動? マグマが噴出してきて小高い10米くらいの丘になっている。
30数年前に母親と北海道旅行したときに、地面からいきなり隆起してできた昭和新山を見ている者にとって、、、昭和新山は実際山であった。しかし、ここはまぁいいとこ地球のニキビのようなものだと思った。ミャンマー人は不思議なものをありがたがる傾向があるようだ。
こうして実際に動けたのは2日半。バス泊2泊のあわただしい旅が終わった。
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By ベーダー |
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2009年 11月1日 記 |
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