マグエ・ミンブー・シュエセットーへの旅 A
ミンブー
今回の旅は、ミンブーという町を見たいことと、
シュエセッドーというミャンマー人なら、仏教徒なら
誰もが一生の内に一度は訪れたいパゴダが目的だった。
ミンブーは、想像していた「水田が広がる農村と港が隣接しているところ」
とは、全く当てが外れたひなびた場所だった。
水田は全くなく、赤土の大地に、それも林や森や山が迫り、わずかな畑は、ゴマ、ひまわり、トウモロコシなどが栽培されている畑作地帯だった。ビルマの歴史など詳しくは知らないが、大野徹先生の著書によると、そもそもビルマ族は11世紀に灼熱の乾燥地帯のバガンに、何ゆえ王都を築いたのか?
の説明に、9世紀の中ごろ北方(現在の中国チベット地区か?)から、
南下してきたビルマ族は、灌漑技術を学び、北はミンジャン(マンダレー管区)
からこのマグエ管区のミンブー辺りまで、エーヤワディー河川沿いに、耕作地を増やし発展してきた。
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ミンブーからシュエセッドーに向かう道 |
それで、それらの耕作地(領地)を管理するにあたり、ほぼ真ん中に位置するパガンに王都を定めたのではないか、、、、、と記されていた。 それで私は、一度ミンブーに行って、その水田地帯を自分の目で確かめたいとずいぶん前から、「今度行きたい場所」の候補の中に入れていたのだ。
ところがすでに書いたとおり、全く水田地帯がない。大野先生は、第一資料を直接研究されている学者さんで、英語で書かれているほかのミャンマー研究者の著書も読んであるだろうし、
何より碑文(石碑に書かれた文字)も読解されるし、中国の文献からも検証されている。
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6万KS(約6000円) で借りた車 |
しかし、ミンブーには水田地帯はない。それで、私は、次のように推測した。
(謎解きの私なりの結論は後記で述べる)
1.千年近い間にエーヤワディ河川の位置が、度重なる洪水で変わってしまった。か?
2.ミンブーは川の港として発展し、水田地帯は近くの別の場所にある。それらのことを考えながら、、、片道車で3時間かかるシュエセッドーに向かっていた。
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By ベーダー |
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2009年 10月31日 記 |
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