サイクロン後記

先日、 開店する店に使う家具を買いに、10年來ひいきにしている家具屋に行って驚きました。
店内にひしめく様にある家具類(チーク材の家具)が、 店内の4分の1くらいしかないのです。 ここの家具はよそに比べてやや高めですが、品質がいいので長年つきあっている訳ですが、これほど展示している家具が少ないのは初めてなので、不思議に思っていると、メタボの主人が言うには、「サイクロンの後、笑いが止まらないくらい売れに売れて、 製作が追いつかないくらいだよ」と体をゆすり豪快に笑いながら話してました。
サイクロンの後、大儲けした人たちもいるんです。まず、ヤンゴンのアパートは、ほとんど8階建てで屋根はトタンです。これがかなり吹き飛ばされたり、破れたりしてますので、真新しい銀色のトタンに変えているので、  高いところから見るとヤンゴン中の屋根が銀色に光っています。
また救援活動のために米や物資を運ぶためにトラック料金が馬鹿高くなりました。また、旅行者が減少で泣いていた一流ホテルも、 ヤンゴン市内のかなりの地区で、電気と水道が止まりました。電気がない状態には人間何とか耐えられますが、水洗トイレやシャワー、洗濯など水なしでは生活ができません。それで軒並み一流ホテルのトレーダーズ・ホテルやセドナホテルでも満室が続いたそうです。
便乗値上げもあり、この時期に儲けた人も実はたくさんいたんですね。

「サイクロンから2ヶ月たって」



ヤンゴンでは、すべてがサイクロンの以前に戻り、一見平静に見えます。 停電も今はすくないし、物価も少し高いですが、 一時期の馬鹿高さはなくなりました。年配のミャンマー人に聞いても、これほどのサイクロンは誰も経験が無いと言ってました。 
救援にヤンゴンから3,4時間の所を中心に3回行きました。 3回目の時に米を満載したトラックに同乗してきた人が、被災地12箇所を回ったという人でした。私が「一番ひどい地区はどこでしたか?」と尋ねると、「そりゃ~ラプタだよ。 村ごと無くなっているところもあるしね、ひどいもんだ。」と言っていました。去年の7月11日に41歳で急死したミャンマー1の人気スターのドゥエーが亡くなって丸1年になりますが、彼が亡くなったときも、葬式があった翌日には無許可で撮影した葬式の模様が、VCDやDVDになって市中で発売されていました。
今回の被災地の様子も、数日後にはVCDになって発売されていました。私は見ていませんが、見た人の話では死屍累々の映像が延々と続いていたそうです。近所の家に親戚の知り合いのラプタで被災した人が2名いるというので、話を聞きに行きました。モウ時間がかなりたっているので2名とも落ち着いていましたが、やはり話し出すと声を詰まらせたり涙が出てきたりしてました。 主に30歳代の男の人が語った話は、かなりショッキングな内容でした。
真夜中、一晩中雨と風がうなりながら吹き荒れて、 家ががたがた大きく揺れて一瞬で家が壊れて、妻と2人の娘一家4人が家の外に流されて、真っ暗闇の中彼は偶然体があった木の幹に、必死でしがみついたそうです。妻や娘の名前も呼び続けましたが、風の音が激しく、 喉のところまで水が来ていたそうです。 恐怖心と寒さとで、必死で木にしがみついていて、流れてくる木やいろいろなものが体にぶつかり、着ている衣類もほとんどなくなり裸に近い姿で30時間位木にしがみついていたそうです。 
何とか水かさが人が歩けるくらいまで下がって、近所を見渡しても、村の家々がすべて流され、 生存していたのは5,6人で椰子の実を割り「水」の代わりに飲みながら、夜は生存した人達と泥だらけの体をよせあって4夜すごし、5日目に救援されたそうです。