ユネスコ世界遺産にリストされました古都


Photo by ancientpyucities.com
2011年からユネスコ世界遺産とやりとりして世界遺産リストに申請した以下の文化遺産はやっとリストに登録されました。
1.Halin Cultural Landscape
(ザガイン管区・シュエボー県にあるハンリン古都)

http://www.ancientpyucities.com/halin-heritage-zone
2.Beikthano Cultural Landscape
(マグエー管区・タウンドゥイン郡にあるベィッタノー古都)
http://www.ancientpyucities.com/beikthano
3.Sri Ksetra Cultural Landscape
バゴー管区・ピィ県にあるタイェーキッタヤ古都
http://www.ancientpyucities.com/sri-ksetra-heritage-zone
1994年ごろには上記の3ヵ所をふくめて、ミャウー、ピャダリン洞窟、インレー、ミングォン、マンダレー、インワ、ハンターワディの考古地域などを世界遺産として申請されましたが、審議延期とされましたようです。
その中、最も早く文明発展して、バガンの美術工芸の始まりとなりましたと言えるPyu 古代 のハンリン、ベイタノー、タイェーキッタヤーを申請するよう2008年から動いたようです。

日本の歌のミャンマーバージョン「その3」


ミャンマーの歌のタイトル:The Chin Chit Thu
日本の歌のタイトル   :最後の言い訳
このコーナーでは、ミャンマー人の歌手が日本の曲をミャンマー語で歌っているのを紹介しています。前回は女性の歌手でしたので、今回は男性の歌手です。
徳永英明の『最後の言い訳』をミャンマーの歌手アレックス(Alex)がミャンマー語で歌っていますが、歌詞の内容はかなり違います。
アレックスはこう歌ってます。
「大好きな恋人が死に、切ない思い出を抱いて生きている。人は同じ道をたどる。いつか、生まれ変わる時に会おう」
アレックスの歌はこちらで聴けます。

https://www.youtube.com/watch?v=tDWm4zo3dPc

日本の歌のミャンマーバージョン「その2」


ミャンマーの歌のタイトル:I Believe Myself
日本の歌のタイトル   :I Believe
ミャンマー人の歌手が日本の曲をミャンマー語で歌っているのを紹介しているこのコーナー。今回、紹介するのは女性の歌手です。
最近人気のある歌手チャン・チャン(Chan Chan)が、絢香の「I Believe」をミャンマー語で歌っています。
曲は同じですが歌詞の内容は違っていて、チャンチャンが歌っているのは「愛してる彼と巡り会うのが夢」です。今はいろいろな事情で別れていますが、ある日夢は実現すると自分自身で信じています。その自信は、彼と自分の『愛』から生まれたという歌です。
チャン・チャンの歌はこちらで聴けます。

https://www.youtube.com/watch?v=pHXhpJzxBR4

日本の歌のミャンマーバージョン「その1」


ミャンマーの歌のタイトル:Friend
日本の歌のタイトル   :乾杯
ミャンマー人の歌手が日本の曲をミャンマー語で歌っているものがかなりあります。そういう歌をこのコーナーで紹介したいと思います。
だいぶ前ですが、ミャンマーの歌手ワイン・ワイン(Wyne Wine)が長渕剛の「乾杯」をミャンマー語で歌いました。
「人生はうまくいくこともあり、失敗することもある。転んだ時、悲しい時、辛い時、楽しい時、いろんな時があるのが人生だ」と、歌っています。
そして、「倒れたら立ち上がり、悲しい涙は河や海に流す。未来に向かって頑張って歩こう!」と、傷ついた友人を励ます歌です。
ミャンマー歌、こちらで聴けます。

https://www.youtube.com/watch?v=B2_tUJHQAJU

日本語の発音のまま題名にしているミャンマーのビデオ映画Ⅱ


タイトル名:あいしてる
あいしているはミャンマー語の発音で一番上に書いてある。
この映画も日本語の発音のままタイトルにしているので見てみました。また『あいしてる』という言葉にも非常に興味を引かれました。
それでこの週末に見ました。
Zay Ye(男優) とSan Yati(女優)はブラジャーのおかけで出会いました。
San Yati はベランダにブラジャーを干していました。そこに風が吹いてブラジャーは見知らぬZay Ye の肩に落ちってしまいました。
これがラブストーリの始まりです。
San Yatiは日本語の先生でした。彼女に一目惚れしたZay Ye は彼女に近づくため、日本語学校の生徒になりました。彼が勉強したかった日本語はただ一つ『あいしてる』です。

でも最後には別れが待ってました。彼女は脳腫瘍にかかてしまい、家族がいる日本で手術をすることになりました。日本へ行く前に手紙を書いてこの手紙を呼んでそれから私のことは『忘れてくだい』と言って彼に渡しました。
それから月日がたち、彼は老人になってしまいました。彼女が生きているのか、死んでしまったのかさえ分かりませんでした。でも彼は彼女をずっと待っていました。
彼が彼女のことが忘れたがらないため彼女の手紙も一度も観ることがありませんでした。
ミャンマーには日本の音楽や映画などの文化がたくさん入ってきています。こうしたミャンマーの中の日本を皆さんにブログで紹介して行きたいと思っています。