再生ミャンマー

再生ミャンマー
もう10月の末、例年なら雨季あけていい頃であるが、何日か大雨が降った。そしてレーモンダインと呼ばれる嵐になった。5月にミャンマーの南西部を襲ったサイクロン・ナルギスも、こちらの人はレーモンダインとか、ナギリスがビルマ風になまって、ナギィーと呼んでいる。
 
サイクロンの後ヤンゴン市内は死者など出なかったが、南西部全体の被災地では13万人もの犠牲者を出している。ヤンゴン市内や近郊の町や村は、ほとんど復興がすんで以前と変わらない生活が営まれている。
 
写真はあるレストランの入り口付近にあった大木が倒れた跡である。ヤンゴン市内の木々の3分の1以上が根こそぎ倒れ、倒れなかった木々も幹は折れ、枝は飛ばされ満身創痍の状態であった。このレストランのスタッフの話では、すぐ近くにあった樹齢100年ほどのココピン(ねむの木)が5月3日未明の3時頃、強風と大音響とともに倒れたそうである。それで樹齢7,80年のこの大木も危ないと、スタッフ一同避難したところ、果たして午前4時くらいにバリバリと根が土からはみ出してきて、店の方ではなくて通りにむかって倒れ、店は倒壊を免れた。
 
あれから約半年、倒れてしまった大木も根っこの部位分が余りに大きすぎて、根も付いたままであるので、市役所も道路をふさいでいるわけでもないので、そのままの残された。
 
あれから半年、太い幹から2つばかり若い枝が伸びてきて、何十年もかけてまた大木に成長しそうである。私も人生のたそがれ時期にさしかかっているので、この若い枝が幹になり大木にまで成長するさまを見届けることが出来るかどうかわからないが、植物の持つ 大いなる再生力に大いに勇気づけられた。

ザボン[ミャンマーの果物」

ザボン[ミャンマーの果物」
ミャンマーは暑い時期が多いため、あまりにも暑い時は食欲もなくなったりしています。従って、甘酸っぱい味もある果物は人気です。そのため、さっぱりしているザボンはこの季節とよく似合っています。写真もダウンタウンで山のほど積もって売られています。中身は赤と白2種類があります。サイズにより500チャット~1000チャット位します

ミャンマーボクシングとムエタイの戦い


ミャンマーのラウェイ(ミャンマーボクシング)とタイのムエタイの選手たちによる対戦が11月8日と9日にヤンゴンで初めて開かれます。1日9試合が行われ、そのうち4試合がミャンマーラウェイの選手とムエタイの選手との戦いになります。場所はThuwanaスタジアム(国立室内競技場)です。
入場料は7000チャットと10000チャットの2種類です。ミャンマー・ラウェイ協会とKLN Gropuの主催で、試合形式はミャンマー・ラウェイ公式ルールで行うようです。
主な組み合わせ: 「ミャンマー 」 Vs 「タイ」
Lone Chaw Vs ピチチャイ (2005年ソンチャイジム72kg ゴールドメダル)
Twe Ma Shaung Vs パーウェイ (2007-8年61Kg ウエルター級チャンピオン)
Saw Nga Mann Vs トーントン (2008年71kgゴールドメダル)
Win Tun Vs ポーチャイレック (2005年ルンビニーチャンピオン)

現在、今大会についての最終調整が行われていますので、詳細については変更される可能性があります。また、以下の連絡先でチケットが購入できます。
No(203), 3rd Floor, (36) Street Upper Block
Phone : 095004738
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注)ムエタイ選手の名前は現地ジャーナルにミャンマー語で記載されたものをカタカナに書き換えています。アルファベット表記と多少違う場合があるかと思います。

ミャンマーの習慣

ミャンマーの習慣
昨日は雨安居があけた満月日でした。爆竹の鳴らしも前日より多く聞こえました。各家庭ではろうそくを立てて仏様をお迎えしました。、高齢やお世話になっている方々、そして自分の親、先生などにお礼を申し上げ日です。写真は爆竹を楽しんでいる子供達と高齢に拝んでいる娘さん達の写真です。

Thadingyut

ミャンマーの暦
9月30日から10月28日はミャンマーの暦によると「Thadingyut」月と呼ばれています。また、今月14日の満月日から雨安居があけます。そろそろ雨季があけて、うっとうしい季節が終わるとのことで、楽しくなるか、停電が多くなるから(ミャンマーは水力電気です)大変な毎日になるか、楽しい半分、心配半分になっています。
Thadingyut期間になると、各家庭では提灯をつけたり、子供達は爆竹を鳴らしたり、夜ではろうそくを立てたりで気持ちのよい時期です。写真はThadingyut期間で電気製品やスーパー等でバーゲンの看板を出しているものです。今年は看板は少ないかと気がしました。

耳のお医者さん?

まだまだ知らないヤンゴンがたくさんある。秘書のゾーミントゥン、ミャンマー人離れした顔をしている。獅子鼻、しゃくれたあご、鋭い眉、その割には鈍い感性。顔自体が異様なのでIRAQ(イラク人ミャンマーも英語と同じイラキと呼ぶ)と日ごろ呼んでいる。
辞めていった子やマレーシアに行ったスタッフなど全部あわせると、60人位いたろうか? 全て田舎出身の金も学歴もないスタッフに、日本語学校やコンピューターのスクールに行かせたり、美容の学校で学ばせたりして育ててきたが、大卒は3,4人しかいない。その数少ない大卒の一人がこのイラキである。感性は鈍いがよく働く。 粘着力があるので、交渉事など任せると大体良い結果に納まる。
そのイラキが2,3日前から、右の耳が聞こえないと言い出した。それで病院に連れてゆくことにした。すると、イラキの従兄弟でマネージャーを任せている奴が、「耳の専門の病院(タムエの近くにある)に行っても直らないよ。僕がいいところ知ってます」と車で30ST,の狭い路地に出かけた。
そこはビルとビルの隙間のスペースに5,6人の、免許をもたない医者モドキがたむろするクリニックスペースだった。 すでに、10人近い患者が来ている。はじめイラキの難聴は,私が4年前にかかった突発性難聴(中年男性におおく、浜崎あゆみで有名になった)だと思った。ストレスが原因といわれている、1ヶ月以内に治療するとかなりの確率で改善するそうである。私は日本への帰国が遅れ、今も左耳がほとんど聞こえない。
それで、日ごろ難しい仕事にイラキを酷使しているので、仕事のストレスからの突発性難聴と思っていたのだが、ここのモドキ先生、「こりゃひどいね。ものすごくたまっているよ。」と、細い金属の器具に脱脂綿をつけて耳の穴を掃除すると、黄色の膿のようなものが、どんどん付いて来る。
「わぁ~汚い」と言っているうちに、当のイラキが「あっ聞こえる」と叫んで、一件落着。ただ単に耳の掃除を全くやってなくて、膿や垢がたまって穴の中をふさぎ聞こえなくしていたのだ。私と同じ病気ではなかった事に、ほっとした。まだまだ知らないミャンマーが、たくさんあるのだ。

サヤーとウッレーの間

ミャンマーに漂着して早10年。ミャンマー人から本名で呼ばれる事は、ほとんどなくなった。G&G旅行社のマ・カインカインエーが、唯一私を本名で呼ぶ。他はほとんどがサヤーで済んでいる。サヤーは本来「先生」という意味だが、会社でも上司はサヤーで済まされる。またレストランなどでも、従業員はお客をサヤーと、呼んでいるようだ。
しかし、時々、道端で話しかけられる場合や、服などを買った店で「ウとかウッレー」と呼ばれることがある。意味はおじさんという言う意味で、年齢的にも立派なおじさんなので、別にウーと呼ばれることに不満がある訳ではない。
最初惑ったのは、サヤーとウーの違いである。ジョルダーノというファッション・メーカーがある。本社がタイの製品だか?香港だか知らないが、このメーカーも、ミャンマーに進出して10年、店舗も増え客はほとんどミャンマーの裕福層。
ここの女性店長は、絶対に私をサヤーと呼ばない。ウーである。☆他の服飾の店では、かなり年配のオーナーでも、私を「サヤー」と呼びかける店もあるのだ。サヤーという言葉の意味するものは、呼びかける者が「自分はあなたより下ですよ」という意味も含まれているし、より親しい場合に使われる。また、ウーという呼びかけが尊敬の意味が全然ないわけでもない。言葉ひとつの問題だがウーンなかなか奥深い。

ナロン依存症 (ミャンマーの暗部)

日本に帰るたびに聴かされるのが、亡くなった人と離婚したカップルの話。 アルコール中毒というか依存症だった知人が、40歳を越えたあたりで、4,5人亡くなっていた。
この国でも、政治が悪いと声高にいろんな人が言っているが、ヤンゴンでの生活も10年になってくると、庶民レベルでこの国を覆っている悪習が、腐敗臭を撒き散らしながら蔓延しているのを知った。ナロン・トンロンといわれるギャンブルだ。ナロンは、タイの宝くじ番号の下2桁を、トンロンは下3桁を当てるギャンブルで、当たると掛け金がそれぞれ8倍と80倍になる。

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