犯罪新聞


サテンにおいてあったムーキンタディン(Craime News Journal)犯罪だけを扱った新聞を読んでいた。
読んでいた犯罪新聞に、天井裏の小さな割れ目から会社の事務所に深夜侵入して、3900万ksを盗んだ20歳の男が逮捕された記事が興味を引いた。タイトルは「盗んだ金を湯水のように使った夫婦」
ジャンジュネの「泥棒日記」を引き合いに出すまでもなく、犯罪者は「悪の華」ある種の魅力を備えた悪党ドモが多い。事件の記事には必ず犯人の写真が掲載されている。
バイクで通行人の女性のネックレスやバッグなどを奪った23歳の男。 長身できつね目で東洋風な男は、妹の夫を殺し。店からレップトップを6台盗んだ3人組み。自転車を3台盗んだ体育会系男、オートバイを6台盗んだマッチョ2人組。

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ミャンマーラウェイ「MYANMAR JAPAN GOODWILL LETWHAY」


8月13日14日、ミャンマー日本のラウェイ(キックボクシング)の親善試合が開催された。私は14日の試合を見て来た。
まず会場が、初めてラウェイ専用のスタジアムが完成した。カンドーヂ湖 東南湖畔。10数年前から工事が中断したり、草が生い茂って廃墟のような建造物だったのが、6、7年位前に工事が再開し、また中断しを繰り返してやっと完成したスタジアムである。
やっと完成したラウェー専用スタジアム
やっと完成したラウェー専用スタジアム
タイのバンコクも、ムウェタイが大きな観光資源になっているので、ミャンマー・ラウェイも、これから先外国人にもどんどん人気が高まっていってほしい。13日の結果は、日本人1名が引き分け、もう1人が負けたそうだ。14日の日本人出場者は、SAMUKAWA選手と、’CRAZY884選手。

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最後の王妃 スーパヤーラッとコーミンコーチン通り

コーミンコーチン通りkominkochimlan_yangon
「コーミンコーチン通り」
何てこと無い写真で失礼します。タクシーを止めてパチリと撮った1枚。
コーミンコーチン通りをずっと捜していた。日本大使館があるナッマウン通りに繋がるだけを手がかりに捜していたら、今までカバエーパゴダ通りだと思っていた、シュウェダゴンパゴダ東門の前の通りと交差するアタリから、シュウェゴンダインの交差点までの短い700米くらいをコーミンコーチン通りという事が分かった。
ビルマ最後の王朝コンバウンの最後の王ティーボーミンが妻や子供と、王都マンダレーの王宮を追放され、インドのボンベイの南ラトナギリに幽閉されたのは1886年の事。1916年にティーボー王が亡くなると、王妃は許されてマンダレーには帰れなかったものの、ラングーン(ヤンゴン)のコーミンコーチン通りに、亡くなるまで住んでいたという。 ほとんど100年前の出来事である。
直ぐ近くにあるシュウェダゴンパゴダが大きな慰めになった事だろう。
ティーボー王と王妃スーパヤーラッ
随分前、多分10年近く前に買ったBurmahという英文の写真集(スコットランドで上梓され、1855年から1925年のビルマを撮影)に、シュウェダゴンパゴダで撮影された、ティーボー王と王妃スーパヤーラッの写真を見つけた。写真集の中にもう1枚「王と王妃」と題した写真が彩色されポストカードになって掲載されていた。

やはり色ツキのほうがきれいだなぁと思って、見ているうちにこちらの写真は王夫妻ではない事が分かってきた。多分 モデルを使ってスタジオで撮られたものである。
王妃役もふくよかな美人で王もキムタクばりのハンサムである。王の役は当時超人気のミンター(役者)ポーセインではないかと思う。因みに、王子も役者(男)も、ミャンマー語では同じ「ミンター」と言う。王女と女優も同じで「ミンタミー」

王妃 スーパヤーラッは、コーミンコーチン通りの住まいで、何を見、何を感じて最晩年を過ごしていたのだろうか?