*ラインタヤー地区は、ヤンゴン市内、ライン河を越えて 北西部。
2年も赤字が続くレストランを抱えている。旅行業にかまけて、全く店に顔を出していない。毎月赤字分を補填している。さすがに2年もなるといい加減こんな事ではいけないと、マネージャーと相談するも策なしと言うので売りに出した。《2005年8月1ヶ月だけで600ドルの赤字》しかし、なかなか売れない。そうこうする内に、スタッフの中からもう1回やらせて欲しいという奴が現れたので、1年間チャンスをあげることにした。
それで前置きが長くなったが、5年目の店舗は何箇所か壊れたり、ペンキがはげていたり不備なところの修理したり改装することによってオーナーが続けてやってゆく意志を見せ、スタッフの士気を高める効果もある。その改装するに当たって仲良くしている大工が、ラインタヤーに引っ越していたそうで、その日はかなり残業してもらったので、若い方のドライバーと大工をラインタヤーまで送ることにした。別に私まで同行することは無いのだが、めったに行かない土地だし、ましてや夜ほとんど外出しないので面白いと思い、一緒に行くことにした。
ヤンゴンのダウンタウンを南下し、英語名ストランド・ロード(カンナー通り)に達すると、そこからライン河沿いに北上してゆく。アーロン地区(戦後、日本人捕虜収容所があった)ティリミンガラ市場(ヤンゴンでもっとも大きな市場 24時間創業している)を過ぎ、チーミンダイン、カマユ地区、ライン地区、バインナウ地区(バインナウ王の名前のこの地帯は工場や工業製品を扱う市場などが密集している)そこから、バインナウ橋を渡りラインタヤー地区に入ってゆく。
ここに行き着くまでのヤンゴン市街も興味深い。ランマドー地区にある中国寺が、電飾のネオンで夜はまばゆく輝いている。これは昼間見ていても全く分からない。また新しいレストランなども多数オープンしていた。ヤンゴンも夜はまた別の顔を持っているようだ。
ラインタヤーに入ると、一度取材に来たパラインゴルフ場がある。私は1度もゴルフをやった事が無いので、このゴルフ場がどのランクのものか分からないが、ミャンマーではNo,1と聞いている。クラブハウスも、すばらしい建物である。ここを過ぎて、もう一本の大通りまでつなぐ道に入った。わりに大きな道だが、1本も街灯が無いつまり真っ暗闇の中、車を走らした。
もう1軒あるよとドライバーは言ったが、お腹がすいていたので、その辺にあった結構大き目のビヤーレストランに入った。
ステージがあって、女性の歌手が歌っている。気に入った子にパンゴンというレイ(1000ksから2000ksで店から買取る)を贈ると、歌手の女の子が4割から6割もらえる。歌手は8人くらいいただろうか、田舎の店にしては、器量も衣装も歌唱力もそれ程ひどくは無い。
ひどかったのは料理である。甘すぎる味付け。
「12品のスープ」を注文した。中に入っていた鶉
(うずら)の卵を口に入れて、歯を当てたとたんに変な味がする。気のせいかなと思い(味覚音痴ゆえ、時間がかかる)少し口の中に入れていたが、やはり吐き出した。
「変な味がする」と言うと、ドライバーも匂ってみて、ウェーターを呼んで「腐っているよ」と言ってはみたが、代わりのスープが来るわけでも、「すみません」の答えがあるわけでも無く。伝表には、しっかり付いていた。このあたりが本当にミャンマーぽい。いちいちこんな事で腹立ててもしょうがない。伝票や納得できない料金に関して、兎に角とことん店側とやりあうと言う日本女性が、以前ヤンゴンに住んでいたが、私はその時間が惜しい。
大工とドライバーは、何事も無かったように他の料理を平らげた。私はというともう何も食べる気になれず、すき腹にビールを流し込み、その店を後にした。おそらく2度と来る事もない店だろう。
思うに、その日までの3日続けて大雨が降っていた。お客が少なかったので、食材が古くなっているのだろう。また、夜はその店はジェネレーターと呼ばれる発電機で電気を起こしている店舗である。日中は冷蔵庫はあっても電気が来ない地区かもしれない。停電が日常茶飯事のミャンマーでは冷蔵庫は、時として腐敗を助長する無意味な箱に成り下がる。
ミャンマーに来て、腐ったものを出された最悪の料理の経験になってしまった。それから大工を送ってゆき、タムウェ地区まで30分40分かけて帰ってきた。
夜のドライブも珍しいが、ほとんど通ったことが無い道を行くと、まるで旅行者になったような気分になれる。何時までもヤンゴンに新鮮な気持ちで接していたい。しかし、肉も魚もエビもカニも好きでない、偏食で小食の代表のような私は、やはり家で食べる料理が一番と思った夜でもあった。
by 木村健一
9月27日 2005年
旅行:2005年9月24日 |