3回目のミャンマー旅行であるが、初めて旅する場所はG&Gに基本企画を作成してもらうことにしている。今回もそうしたのであるが、ヤンゴン、バガン、マンダレーと周遊する行程の中にバガンからマンダレーへは船で10時間とあるのが気になった。あまりにも時間が長いのではないか、タイのチャオプラヤ川での数時間の観光船乗船の退屈した経験から、今回も退屈でたまらなくなるのではないか、と当初は思っていた。
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バガンの村で撮ってきました |
バガン観光を終えた翌日、MALIKHA2世号に乗船するためバガンタンデホテルを5時半にタクシーで出発、時折、托鉢に向かう僧をクルマのライトが照らす夜明け前の真っ暗な夜道を桟橋に向かう。クルマを降り、ライトで足元を照らす案内人に先導され崖下の船着き場へ到着、渡し板を踏んでボートに乗り込む。乗客は13人、ミャンマー人4人、欧米人8人、日本人は自分1人である。
退屈かも、の予想は乗船後間もなく打ち破られたか。7時前、航行を始めた船のデッキからは、小高い山からの日の出が見えてくる。多くの乗客がシャッターを押す音だけが聞こえ、朝日を背に幾つものパゴダのシルエットの上に観光用気球が3基浮かぶ光景は観る価値がある。
船はバガンからマンダレーへ川を遡る。今は乾季であるため、日本では目にしたことのない広大な白洲がどこまでも続く。時折音もせず行き交う地元の物資運搬の船、漁をしている2,3人が乗る小舟、時折岸に見える何人かの漁師、シュロで作られた自作の小屋、物を頭に載せて歩く女性、裸で遊ぶ子供達、日本で忘れていた生活の原点とも云える風景が目の前にあるのだ。すべてが手つかずの自然だ。
昨日登ったタウン・カラッから見たポッパ山の自然もそうであるが、全く手を加えられた跡がない自然は迫力がある。見る者をして飽きさせないのだ。日本のどこへ行っても目にする、緑が剥ぎ取られ地肌むき出しの山肌、植林の杉だけで覆われ、花粉をまき散らす死んだ森、治水の名のもとにコンクリで固められた護岸、美観を壊す煙突と煙、不用品が浮く河川、遠くからいやがうえにも目につく看板、そうした破壊された環境はエーヤワデイ川にはない。
工業化が他のアシアン諸国より進展していないことも素晴らしい自然を保つ要因のひとつではあろうが、個々に暮らす人々がこの川を人々が大切にし、慈しんでいることも間違いのない事実である。
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Malikha号で昼食として出たカップ麺 |
これは、日本の百年前、否、百五十年前の風景である。この自然が心身に及ぼす影響は少なからぬものがあるのではないか。日本でおなじみのストレス、ホームレス、うつ病、自殺、の概念はこの国にはない。数々の国際的データはミャンマーが貧困レベルにあることを示しているが、実際見る限り、確かに物品は極めて簡素ではあるが、昨年の未曽有のサイクロンにより米作が大被害を受けたにもかかわらず食糧不足は発生しておらず、貧困のイメージは湧かない。外国人が行かない地元の食堂で食事をしても、食糧は豊富で大食漢の自分でも残してしまうほどである。
食糧に事欠く、住む家がない、この2つが満たされないことが貧困の決定的要素である。今般の年末から年始にかけ、何と、経済大国日本でこの貧困が幾万と発生していることは報道のとおりである。
目に入るものすべてが新鮮であり、心地よい風に身を任せながら、そろそろ美味い昼食でも、と思ったが、残念ながらこのボートには乗客用にランチと呼べるものは用意されておらず、カップ麺1個がランチ(4千チャット)とは乗船時間が長いだけにいささか不満ではあった。このあたりが、ミャンマーの観光に対する商売というかソフト面が未熟なところである。今後の改善に期待したい。
左右の両岸には常にパゴダが目に入る。陸路でも同じであるが、ミャンマーではいたるところに大小のパゴダが建っているのだ。パゴダのない場所を見つけるほうが難しいのほどである。レンガ色や白色の他、金色に輝くパゴダもたくさんある。我々の感覚では、パゴダは遺産のひとつ、というイメージで考えていたのであるが、ミャンマーでは現在もパゴダが建立されているという。仏教に対する並々ならぬ信仰を見せつけられる思いである。ミャンマーの人達は高くない所得からも必ず寄進をする。その集められた金でパゴダを建てる。そして毎日必ず一定時間パゴダや仏像に向かい祈りを捧げる。
夕闇が迫る頃、大きな2つの橋をくぐるとマンダレー市街とマンダレーヒルが目に入った。何と、バガンを出てから10時間もの間、橋はなかったことに気がついた。常に自然の原風景しかなかった川にようやく人口構造物が目に入った。ここでも目立つものはパゴダである。退屈どころか、感銘を受けた船旅が終わりに近づいた。
船着場で待っていたガイドに案内され、マンダレーの街の中をタクシーでマンダレーシテイホテルに向かう。陽はとっぷり暮れた暗闇の中、クルマは進むが、何と、電力不足による停電なのだ。夥しい数のバイクと自転車が暗闇の中行き交う100万都市の停電は見たことのない異様な光景だ。ここはヤンゴンと違いバイクや自転車の使用が市民に許されている。ヤンゴンでは特定の人達(政府や軍関係)だけがバイクや自転車の使用することになっているので、歩く人がやたらに多い。従って、マンダレーのほうが人々は自由闊達に動き回っている印象が強い。このマンダレーを起点にガイドの案内でインワ、ミングンを巡る予定である。
これら安全で快適な旅が1人で出来るのもG&G、特に仔細に渡り気を使ってくれるカインカインエーさんのバックアップがあってこそ、である。もしG&Gでなかったら、1年余の間に3度もミャンマーに来ることはなかったかもしれない。
経済、社会は発展しても、この自然と自然を大切にするミャンマーの人々がこれからも変わらないことを祈ってやまない。
廣瀬 幸一
(ミャンマー滞在2008年12月26日から2009年1月2日) |