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このコーナーは「お客さんのミャンマー訪問日記」を記載しております。また、ミャンマーに対して印象、感想、旅行情報等も書かれておりますので、ご参考でもご覧下さいませ。
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旅行記 > 行ってきました > ミッチーナという街へ |
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先日、ミッチーナという街へ行ってきました。先日のデモ騒ぎの発端とも言える街です。ヤンゴンから飛行機で2時間ぐらい北進し、着いたその町は、ミャンマーで初めて「寒い」という感覚を味わえる場所でした。朝夕は、上着が絶対必要。その街の人は、マフラーや毛糸の帽子が当たり前の気温。ただ、陽射しが強くなる昼間は、日向にいると暑くて日焼けするぐらい。この差に、驚きました。
この町には、愛知県へ留学経験のあるキン ミャ ミャさんという方が、YMCAを借りて日本語を教えています。
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愛知県へ留学経験のあるキン ミャ ミャさんの日本語の授業 |
ミッチーナ唯一の日本語教室です。そこを尋ねてその方に会ってびっくり。私と同じ年に愛知教育大学へ通っていたということが判明しました。急遽晩餐会を開いて下さり、そこで勉強している学生15人ほどといろいろ話してきました。キンミャミャさんが、知っている日本の歌を歌ったり、そこにあったギターを借りて「乾杯(ミャンマーでは「ペーテインライッ」という名前で歌われている人気のある歌)」をみんなで歌ったり、ある生徒がなぜか「チェリー」を知っていたので、それをわたしが歌ったり、楽しい時間を過ごしました。
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マリカ川とメリカ川が合流 ミッソンという場所 |
次の日には、そこの生徒3人がミッソンという場所に案内してくれました。車で約2時間山道を走りました。着いたその場所は、マリカ川とメリカ川が合流し、あの大河エーヤワーディ川となる場所です。かなり上流だというのに川幅もあり、丸い大きな石や海岸にあるような砂もあり、日本の川とのスケールの違いを感じました帰る途中に、昼ご飯を食べようと言うことになったのですが、立ち寄った小さな村には、そういうお店が見つからず、小さな雑貨屋みたいなところできいてみると、その奥さんが作ってくれるということになりました。薪を燃やし、そこでとれるものを使った、まさに家庭料理。なかなかおいしかったです。
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昼ご飯を食べるため作っている |
また、日本人が寄付して作った寝釈迦像があるというので行ってみました。そこは、90歳近くになる坂口さんという方が何千万円という大金を使って建てたそうです。そこには、こんな逸話がありました。
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日本人が寄付して作った寝釈迦像 |
第2次世界大戦終戦間近、「ミッチーナを死守せよ。」という命令がある部隊に下りました。戦況は悪く、多くの人がそこで死んでいったそうです。そしてある時、その隊長が、「このままここで戦っても全滅することは明白だ。」と判断したらしく、部下達に上官命令として全員撤退させたそうです。そして、一人そこに残り、敵が攻めてきたときに自殺したらしいのです。
坂口さんは、その部隊の隊員だったのです。命を救ってくれた上官のため、そしてそこで命を落とした仲間のために、2001年に寝釈迦像を建立したらしいです。
そういう寝釈迦にも、私が行ったとき、多くのミャンマー人がお祈りをしていました。
今はのどかなエーヤワーディ川の流れですが、その時の様子を重ねると、いたたまれない思いになり、私も自然とその寝釈迦像にお祈りをしていました。
ほかにも、インド料理店のどでかいおじさんや気さくな雑貨屋一家、川縁で生活する貧しい家族などなどに、変なミャンマー語を喋る日本人はとても歓迎してもらい、とても印象に残る街になりました。いつかまた行ってみたい街です。
岩橋雅高 |
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