12月29日(土)当初の予定では決めず、現地にてどうするか決めようとしたのは正解だった。当初は自分1人で自由に動き回ることも想定していたが、ミャンンマーの状況から全て個人で動くことは不可能であると察し、午前をガイド付で当てることとした。スラム又はホームレスの状況を見たかったが、スラムはなく、ホームレスは1人もいない、とのことで、ガイドの進めで、今日は汽車に乗り、郊外のマーケットと僧院を訪れた。自分で汽車に乗り目的地に行くことは言葉の出来ない自分には無理がある。
汽車は予定時刻を大きく遅延(当地ではあたりまえ)し、1時間ほど送れてヤンゴン駅を離れた。汽車の内部もまさに想定外、ドアのないことはわかっていたが、全てが木製であり、窓は目線より低く、背を丸くして外を眺める。現地の人10チャット、俺2千チャット(1ドルがなかったため)、何と200倍、それでも安く、問題なし。乗車前に係員はパスポートコピーをチェックした。幾つかの駅に停車(ブレーキは利いておらず動いている)し、30分程度で日本軍の捕虜収容所があったという某駅に。野菜のマーケットを見てから僧院に。僧院には衝撃を受けた。子供の僧院とのことで、特に少数民族から親が子を手放し、この僧院に送り込むそうだ。
ミャンマー語を理解しない子もいるそうだ。到着したとき、大広間で数百人の子供の僧達が一斉に食事を取っているところであった。ガイドは何のためらいもなく中へ促したが、寄進もせずとも、撮影も出来、生活の場(といっても大広間に生活する新弟子の相撲部屋のような)も見せてもらった。今回のミャンマーで最も心を震わせた場所だった。
廣瀬幸一 |