ヤンゴン空港で現地通貨チャットへの両替が出来るが日本円でなく、あくまで米ドルからである。奇妙な事に大きい紙幣例えば百ドルのほうが小さい紙幣1ドルが百枚よりレートが良い。今回の目的地カチン州はヤンゴンのようにドルは使えない。
1.ミッチナー( MYITKYINA )
ミッチナー空港の建物は木造でほんとに小さな飛行場である。ヤンゴンからはミャンマー中部のマンダレーかシャン州を経由して3時間程で到着する。バンコクへ行くより時間がかかる場所にカチン州の主都ミッチナーがある。
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ヤンゴンからミッチナーへ |
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ミッチナー空港 |
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ミッチナー駅 |
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ミッチナーのホテル |
ここミッチナー近郊にはかつての戦争を生き延びた元日本兵が、戦友、そして作戦に巻き込まれて亡くなったミャンマーの人たちを弔うため、 50 年かけて多額の寄付を集めて建てた涅槃像がある。
ミッチナーに日本人が入れるようになったのは最近で、これまで政府軍と“カチン民族”の内戦が続いいたため、この涅槃像をめぐる話はほとんど知られてこなかったという。
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日本人建立の涅槃像@ |
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日本人建立の涅槃像A |
2.インドージ湖
インレー湖は今や中部ミャンマーの観光地として多くの人が知っているが、今回行ったのはインドージ湖である。インドージ湖はミッチナーの西方にあり、訪れるにはミャンマー政府の許可が必要である。そして現地ガイドを伴うことが入域の条件である。4輪駆動車で昼食休憩を含みたっぷり7時間かかった。
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インドージ湖地図 |
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インドージ湖ロントン村ゲストハウス@ |
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インドージ湖ロントン村ゲストハウスA |
湖畔のロントン村は外国人が泊まれるゲストハウスが2件あるが、水廻りが部屋にあるが、肝心の水はチョロチョロとしか出ず、お湯は出ない。電気はついたりつかなかったりで当てにならない。昼間なのに窓がないため部屋は暗く、ベッドがあるだけである。まともなホテルに泊まることに慣れているとこのような最低限の宿泊施設で過ごすのはきつい。
このようなインフラが不足している場所に来ると、普段、我々がいかに便利で快適な生活をしているかを感じる機会でもある。ゲストハウスの管理人は日本人は見たことがない、と云うのでここまで日本人が来ることは極めて珍しいようだ。欧州特にドイツ人が多いようだ。
インドージ湖は外国人でにぎわうインレー湖よりやや大きく、観光としては未開発でありその分、自然そのものである。
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インドージ湖の水牛 |
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インドージ湖の鳥 |
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インドージ湖の寺と観光客 |
翌日、ボートで湖に出てみると、鳥がたくさんいることがわかる。ここは鳥たちの楽園なのだ。小さな島は島全体が寺である。風向明媚な場所、人々が訪れる場所には必ずパゴダがある。
ゲストハウスの前の道路はトラックの往来が頻繁である。翡翠(ひすい)を産出するパカンへの行き帰りのトラックとのことで、パカンに立ち入ることは外国人に禁止されている。パカンがどうなっているのか写真も公開されることはないようで、ミッチナーのホテルのレストランに掲げてあるパカンを現した絵を撮影した。
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パカンの絵 |
ちなみにルビーはモゴックで算出され、こちらも外国人は立入ことは出来ない。 2,3週間前、パカンでは採掘現場で大きな事崩れ災害があり数十人規模の死亡者が出たというニュースがあった。犠牲者は出稼ぎ労働者である。
3.ミッソン
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ミッソン遠望 |
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ミッソンで遊ぶミャンマーの人達@ |
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ミッソンで遊ぶミャンマーの人達A |
マリカ川とメカ川が一つになりエヤワデイ川(イラワジ川)となる。ここは中国が計画した ミッソンダムの 建設の予定地である。ダムにより自然が大きく変わってしまうことは云うまでもないが、河により生計を立てているおびただしい数の人々の生活を大きく変えることになるダム計画はミャンマー政府により現在停止されている。 2006 年に中国と共同建設に合意、最大出力 600 万キロワット(ちなみ日本の最大は282万キロワットの上野ダムと南相木ダム)、総事業費は 36 億ドル(約 2800 億円)、発電電力の9割を中国に輸出する計画ですでに1万 2000 人の住民が他への移住を強制されている。中国はイラワジ川で他に6件のダム建設計画があるという。この雄大な自然がどうなるのだろうと、行く末が気になる。
ミッチナーに帰ると、夜は公園でカウントダウンの音楽会があるというので行ってみた。歌手が次から次に舞台で歌う。
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ミッチナーでカウントダウン |
ほとんどカチン語なのでヤンゴンからのガイドも言葉がわからない、というではないか。それほど、ここカチンは独立性が高い地域なのだ。デイープなミャンマーがここにある。知らない音楽を聴くのは退屈なのでホテルに戻った。
昼間、繊維工場を見ることが出来たが、多くの女工は宿泊と食事付きで遠方から働きに来ている。日本占領時代の紡績機械が未だに使っているという。今日のトクトクの運転手も出稼ぎだという。
4.プタオ( Putao )
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ミッチナーからプタオへ |
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プタオ空港 |
カチン州の最北部の町プタオへはミッチナーから飛行機で30分で到着する。飛行中は初めて目にする眼下の山々に見入った。プロペラ機はジェット機と違い陸地がよく見える高度を飛行するので山や緑地が続き、自然がそのまま残っていることがよくわかる。登山やトレキングを楽しむ人が多い日本では山と呼べるものには道が必ずある。上空から見ればそれは一目瞭然である。登山が一般化されていないミャンマーの山々は道と云えるものが上からはほとんどない。それだけに緑で覆い尽くされたおそらく人跡未踏の森林、これが本当の大地なのだと訴えているように感じる。一応写真を撮ったが、何しろ窓ガラスがその古さのため透明感がなく不出来な風景となった。この行程を陸路で行った場合は2泊かかるというから、如何に悪路かわかる。到着後、外国人はパスポートをチェックされる。画面表示でなく、全て書類を見て何か書きこんでいる。プタオ空港では宿主等が出迎えに来ており、空港から10分で予定のホテルに到着した。
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プタオのゲストハウス |
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ゲストハウスの従業員 |
プタオは周囲を山に囲まれた盆地のような場所である。朝は外気温が10度を下回るのでかなり冷えるが、暖房は一切ない。西方には雪を被った山が見える、インドまで数十キロなのであの山々はインドではないか、と問うたが、見える連山全てミャンマーだという。昨年、日本人であの雪山に登ったグループがいたそうである。次は山に登る計画をしないか、と現地ガイドに勧められた。
マチャンボー( Machanbaw )は4駆でプタオから30分のところにある。小さな街であるが、何かと役所の出先機関がある。現地ガイドはイミグレと警察に私の行動許可書面を出していた。何でも許可は4個所の役所に提出する、という。どの田舎街でも立派な構造物はまず役所の建物である。
マリカ川の激流下りはなかなかのスリルがある。インドージ湖のようにのんびりと水面を楽しむものかと予測していたが、奇岩が岸に迫る景観もなかなかであるが、水面に表出する岩のすぐ近くをかなりの速度で通過し、ボートの渕に捉まらないと、体が揺さぶられて少し怖いほどである。30分も経たないうちに岩の白砂の小さな砂州とも云える島に到着する。この岩場に当地では珍しくパゴダが建てられている。
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激流下りー1 |
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激流下りー2 |
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川下りの終点 |
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奇岩上のような |
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川下り終点で楽しむ人達 |
数十人がこの場所を思い思いに楽しんでいる。ほとんどがミャンマーの人達だ。この岩の島から今度は川を上って出発点に戻る。この川下りは日本にある幾つかの川下りと比べても自然の景観を楽しむこととスリルにおいて優っている、というか、もしあったとしても、この危険を伴うコースは禁止されるだろう。4月下旬から9月までは水かさが増しボートの運行は行なわないそうだ。
自転車
ホテルのマウンテンバイクのような自転車で近郊を周った。
この地域は圧倒的にキリスト教である。一目でそれとわかる教会もあるが、普通の家が教会となっているものもしばし目に入る。このあたりは少数民族のルワン族が多く住み、言葉もビルマ語とは全く違う。
川にかかる橋はどれも吊り橋であり、押し並べて老朽化しており片足が入ってしまう板の穴もよくある。
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吊り橋 1 |
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吊り橋 2 |
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吊り橋 3 |
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教会風景 |
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普通の家 |
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ねずみを探す子供達 |
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ねずみは上等な食べ物 |
ガイドが珍しい物が見れるというので案内してもらったが、突然目の前に現れたのは何と墜落した飛行機の残骸だった。かの大戦中のものではなく、最近の民間航空機である。
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飛行機-1 |
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飛行機-2 |
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飛行機-3 |
9時から2時まで小休止を取りながら砂利と赤茶けたでこぼこの土を走行し、最後は尻が痛くなった。舗装路は全くなくサイクリングのイメージとは大きくかけ離れている。
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プタオ風景 1 |
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プタオ風景 2 |
帰りはプタオからマンダレー経由でヤンゴンへ向かう。
都市ヤンゴンに戻り、電気、水道等のライフラインが自由に使えることは本当にありがたい。反面、自然を満喫すると共に、人間が生きるためにはどのような環境が良いのか多いに考える旅であった。
旅行・データ
2015年(平成27年)12月26日から2016年(平成28年)1月6日
費用(日本―ヤンゴン航空代金除く) 米ドル(@125)
ミャンマー国内便 ヤンゴンー ミッチナーープタオーヤンゴン ・・・・ 500
ホテル ヤンゴン2泊、ミッチナー3泊、インドージ2泊、
プタオ4泊全11泊 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 985
車使用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,600
ガイド(ヤンゴンから同行ガイド、現地ガイド、宿泊、
飛行機代等) ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,600
食事等 日本の数分の1
ガイド3人へのチップ計 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 100
ミャンマー地方旅行の豆知識と注意点
単独旅行の費用はグループツアーと比べると高くなるが、特にミャンマーでは遠方へ行くことはかなり高額な出費を覚悟しなければならない。ミャンマー国内線は他国と比べ運賃の絶対額が高い。
地方は流通の関係もあり物価は総じて高めでありガソリン等の燃料はヤンゴン等都市よりかなり高い。今回行った地域はあらかじめ政府の事前の許可が必要であり、且つ地元ガイドの同行が強制となっているので、単独で動き回ることは出来ない。
飛行機発着時間は予定通りにはいかない、と考えなければならない。1時間くらい遅くなることもあれば、便の変更で1時間早まることもあり、日本の国内便とは勝手が全く違う。
カメラの電池の充電は停電が多くかなり不自由となる。乾電池は売ってはいるが数枚撮って没になるような粗悪品が多い。 一般に販売されている日用雑貨のほとんどは中国からのものである。
夜間から朝までの停電につき本も読めず、外出する場所等全くなく、そんなに長く眠ることも無理だし9時から6時までベッドに横たわるような健康的ではあるが長い時間となる。
夜間に部屋の中を動くにも携帯のLED照明が必要であると便利である。
両替は難しいし、まして円ではどうにもならない。円はアジアの一部を除き極めて使い勝手の悪い通貨である。
体調を崩した場合は困難が予想されるであろう。 今回の行程を商品化している日本の旅行会社はないので、行こうとすれば現地旅行会社の助けを借り個人で組み立てる以外に方法はない。
廣瀬 幸一
(ミャンマー滞在2015年12月27日から2016年1月 6 日) |