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ミャンマー このコーナーは「お客さんのミャンマー訪問日記」を記載しております。また、ミャンマーに対して印象、感想、旅行情報等も書かれておりますので、ご参考でもご覧下さいませ。

 ヤカイン州  ― 水と共に生きる人々 ―
ミャンマー廣瀬 幸一

肥沃の大地と豊穣の海

ヤカイン州(アラカン州)、日本人でこの地を訪れる者は少なく、それは険しい山々と山岳民族が住み、現代人が近寄り難いミャンマー西端に位置する辺境の地のイメージであった。実際に見るまでは。

ミャンマー 旅行記  ヤカイン州 ー水と共に生きる人々ー
アラカン州の地図

初めて訪れる土地に対して、あれもこれも、と、素人が注文を付けたところで上手くいくはずはなく、今回も、これまで同様、旅の基本ルートはG&Gにお願いした。私の唯一の注文は、定番である歴史的遺物を観る他に、その地の人々の生活が見える場所に案内して、というものである。ミャンマー大使館への査証申請は、G&G作成の旅程表添付し、当初のように出向くことなく、郵送にて3週間で完了した。

深夜到着のバンコク、スワナブーム空港のベンチでカバンを枕に、騒々しい周囲のため、しばしば目が覚める一晩を過ごし、寝不足での早朝出発となった。機内で朝食後間もなくヤンゴン到着である。この退屈する間もない僅かの時間で別世界に足を踏み入れるのである。空港では、この時期、メッカ参りのイスラム教徒で大混雑を予想してか、G&Gのカインカインエーさん、 ピョーウェーさん や私と行動を共にするガイドのリンさんも私の名前のバナーを掲げて待っており、その案内で空港近くの食堂で早めの昼食を取り、国内線プロペラ機でヤカイン州の玄関シットウエに向かう。

ミャンマー 旅行記  ヤカイン州 ー水と共に生きる人々ー
ヤンゴンからシットウエに向かう

ミャンマー 旅行記  ヤカイン州 ー水と共に生きる人々ー
眼下の大地

ジェットと違い、さほど上空ではないため、常に陸地が眼下に見える。毎回感じるが、本当にミャンマーの大地は美しい。デルタ地帯からアラカン山脈を越えると、 Thandwe (タンデー)と云う小さな空港に降りた。ここでは、リゾート地ガパリビーチに行くヨーロッパ人の一部が降りる。全く、彼らはビーチを好む。世界の綺麗なリゾートビーチには必ず白人がいる。

どうやら、日本人は自分1人である。機から降りず、機は目的地シットウエに向かう。シットウエはかつて日本陸軍加藤隼戦闘隊の基地であり、当時はアキャブと呼ばれていた。到着の空港は運動場のような滑走路が1本と木造建物がポツンとあるだけである。ミャンマー人も、IDカードでチェックを受けるのが決まりである。この日はホテルにチェックインの前に、シットウエの市内の幾つかのパゴダや市場、インド系の人達が密集する地域、景色の良い場所等を周った。

少数民族の村へ

翌朝は、船でミヤウーに向かう。ミヤウーは英字表記では MaurkU となるが、こちらでは、 R は発音しないようだ。ミャンマーの人と一緒に外国人は乗船出来ないルールがあり、船をチャーターすることとなる。乗客は自分1人、船頭含め3人の乗組員とヤンゴンから同行のガイドとで港を出る。

ミャンマー 旅行記  ヤカイン州 ー水と共に生きる人々ー
シットウエからミヤウーへ向かう。

ミャンマー 旅行記  ヤカイン州 ー水と共に生きる人々ー
ミャンマーの人が乗る船

広くて、海なのか河なのかわからない水面を、風と波を真正面から受けて船は進む。涼しいより寒いくらいなのでウィンドウブレーカーが必要だったことを少し後悔。左右の陸地が徐々に近くなり、河を上っていることがわかる。 カラダン川と云うようだ。 水牛が水辺に遊び、地平線の見える広大な大地が果てしなく続く。漁業で生計をたてているのであろう、2,3人が乗る漁船と絶えず行き交う。まさしく肥沃な大地と豊穣の海、というか命育む川がここにある。川は徐々に狭隘となってきて、やがてミヤウーに到着だ。既に6時間を経過していたが退屈することなく広大で見渡す限り手付かずの大自然を満喫した。ミヤウーのホテルで今日から三泊である。

ミャンマー 旅行記  ヤカイン州 ー水と共に生きる人々ー
川は生活の糧

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川は生活の糧

ミャンマー 旅行記  ヤカイン州 ー水と共に生きる人々ー
ミヤウー到着。

翌朝、チン族の村を訪ねるため、小さな船外機付ボートで川を遡る。朝は肌寒く吐く息が白くなる。今日はこれから船頭2人、ガイドと私の計4人で3時間の川の旅である。このレーミョー川も、様々な人々の生活が存在することが、行き交う船や岸辺にたたずむ人達から感じ取れる。まさに水と共に生きる人々である。多くの人がむこうから手を振る。ホテルに用意させた焼飯弁当をボート上で食べ、自然トイレ休憩は岸辺に寄ってもらい、目的地の村に到着した。女性の顔一面に刺青をしたこの少数民族も、今や、若い女性達は刺青をせず、従って、近い将来、この民族特有の刺青女性はいなくなる運命にある。ヨーロッパの観光客が絶えず訪ねてくることが人々の慣れた態度や村の雰囲気から察することが出来る。僕が到着したときも、白人カップルがいた。日本人が来ることは少なく、ドイツ、フランス、イタリアが多く、それに続き北欧、スペインとなる。本来なら、地理的、経済的、歴史的状況から日本人が最多であっても不思議はないのである。我々日本人は、好奇心、冒険心、探究心、挑戦心、楽しみ方等、旅の精神において、彼らに完全に負けている。ガイドのアドバイスによりミヤウーで購入した幾つかの鉛筆を子供達に配布する。これだけ写真を撮らせてもらうのだから何らかの心付けや手土産は常識的なところだろう。

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このボートでチン族の村へ向かう。

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チン族に面会。

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若い人は刺青をしない。

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学校では数学や英語も。

帰途、予定になかったが、ボートは、川沿いの、とあるヤカイン族の村に寄り、村内を散策してみた。もちろん、電気、水道はなく、生活水の全てはこの川から金属製の水瓶で運ぶ。道並や家々は整然としており、その生活ぶりは秩序を感じさせ、物資は少ないものの、貧困のイメージはない。このヤカイン州一帯は、民族間の軋轢はある、と聞くが、ヤカイン族、インド系、その他の少数民族がバランスを保って暮らしているように見える。

帰途は流れに乗り、3時間弱でミヤウーへ戻った。今日は往復で6時間をボート上で過ごしたことになる。

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整然とした村

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水亀は重い。

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ヤカインの女性は働き者。

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                                    廣瀬 幸一 
(ミャンマー滞在2009年12月29日から2010年1月3日) 

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