古都ミヤウー
かつて独立の国だったこの地にはパヤー(パゴダ)がいたるところにある。金ぴかでなく、石を積み上げ、見た目には地味な、この地域独自のものである。バガン同様、全てを観るなどそもそも出来ない。ここでは乗り心地は決して良いと云えない旧式ジープに乗って移動するのが通常の観光スタイルである。乗用車は走っていない、というか、起伏があり、デコボコ道が多いこの地では四駆意外のクルマは走行困難だろう。ここでも出くわすのはヨーロッパからの人達である。彼らもガイドを伴っている。
意外な事実があることを知った。17世紀(江戸時代前期)、この地には、何と、日本からやって来た相当数のサムライがここアラカン王国の傭兵だった、というではないか。現地のガイドブックにはそのことが記載されているのである。サムライが活躍したのはタイのアユタヤだけではなかったのだ。寺院建築における紋様や 蓮の模様の飾り付けなど、 様々な遺物に日本人の痕跡はある、という。
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古都の名残。 |
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古都の名残。 |
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原風景。 |
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原風景。 |
ここでも、予定になかった、近くの村に行ってみた。日本の江戸時代に戻った錯覚さえ覚えるほど、まさしく農家の原風景だ。家の向こうは広大な農地である。行き交う村人は必ずこちらを物珍しそうに、しかし穏やかなまなざしで見る。子供達が広場に散らばって遊んでいる。が、突如、こちらを向く、まさか!いやそうなのだ。私めがけて一斉に突進してくるではないか。日本人を見るのは初めてらしく、又、デジカメのモニター画像を珍しがり、懸命に覗き込む。何の観光資源もない、素朴な部落、そんな場所に行ってみるのも、文明依存症と云ってもよい日本人(自分)を振り返るひとつの機会である。
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遠くで遊んでいた子供達が、こちらを見ている。 |
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遠くで遊んでいた子供達が、集まっちゃった。 |
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働く女性。 |
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部屋は清潔。 |
美味と美人
ヤカイン州には、顔立ちの良い美形が多いと感じた。街の物売りや、農家にもハッとする女性がいる。アラカン山脈でビルマ地区との交流を遮られ、独自の文化を育み、民族も言語も特有なものとなったこの地域は、又、料理も格別である。ガイドは心配するけれど、私は、どこでも、腹を壊す覚悟で、かつ自己責任で、現地の人と同じものを食べることにしている。旅に多少の危険は付き物と考えるべきである。ヤンゴンでは、ビルマ料理は油と甘みが強すぎる感が否めないが、ここヤカインでは、油分、辛味、酸味が絶妙なバランスに溶け合い、肉、魚、野菜、と全てが満足の域に達している。以外に思うかもしれないが、ミャンマーのビールも又絶品である。私はアルコール度7%の赤ラベルを気に入っている。更に、ウイスキーも、なかなかいける。
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ヤカイン料理は美味。 |
残念ながら、タイなどでも同様であるが、日本人は、現地の食べ物で、下痢や胃腸の不調となるケースが多く、場合によっては深刻な症状を招く場合がある。多くの日本人はここ東南アジアでは、無菌室から飛び出した免疫のない状態になるのである。その心配のある人はホテルで外国人用にアレンジされたマイルドな料理であきらめるしかないであろう。
ロヒンギャー
ヤカイン州にはロヒンギャー(ロヒンジャー)と呼ばれるインド系の民族が住んでいる。顔立ちは彫りが深く、肌はやや黒く、言葉はミャンマー語ではなくインド系のベンガル語である。どれだけの数がいるのか不明であり、IDカードを持たないため、他の地域に移動することが出来ない、とのことである。つまり、ミャンマー国民と認められておらず、少数民族の範疇にも入っていないのである。
ロヒンギャーのいる場所に案内して欲しい、と頼み込み、クルマから下りないで、との条件で、シットウエ郊外の部落に行ってみた。みな、大人も子供もこちらをジロジロ見るので緊張する。物資の行き交いや、商店があることから、この土地に根付いた生活が存在することがわかる。思い切ってクルマから下りると、ミヤウーの村と同様、子供たちが集まってくる。日本では考えられないほど子供が多い。貧困であることは、身なりからすぐわかるが、皆屈託がなく、人なつっこい。ここでも皆デジカメを懸命に覗き込もうとして集まりすぎ、とうとう、身動きが出来なくなってしまったほどである。ミャンマーの抱える民族問題の一端を垣間見る思いでこの部落を後にした。
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ロヒンギャーと。 |
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ロヒンギャーの部落。 |
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シットウエ市内で。 |
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シットウエ市内で。 |
ミャンマーから足を洗えない
今回、自分に適した旅が出来たかな、との思いである。今後、G&Gカインカインエーさんのバックアップで、自分にしか出来ない、自分だから出来るミャンマー旅行があるのかもしれない、と思い始めている。
地図の入手が難しく、起伏ある土地、舗装されずうねった道、請求書にミャンマー数字を使うレストラン、あれやこれやで、ミャンマー、特に地方ではガイドなしで歩くことは極めて難しい。白人でもバックパッカーはいない。今回、改めて気がついたことは、ヤンゴンとヤカインを比べると、その生活、文化、文明、人々等の差は、東京と沖縄の差よりはるかに大きい、ということである。これらがミャンマーの魅力でもあるのだ。
ますます計り知れない面白さを感じるのは私だけだろうか。
ミャンマー旅行日記 > ヤカイン州- 1 : ヤカイン州- 2
廣瀬 幸一
(ミャンマー滞在2009年12月29日から2010年1月3日) |