「ビルマの竪琴」水島上等兵のモデルが死去

アウンランまちにあるマガネのパゴダ
アウンラン町にあるマガネのパゴダ
ピィーの市外にある慰霊塔
ピィーの市外にある慰霊塔
『「ビルマの竪琴」水島上等兵のモデルが死去 』という記事を見つけた。
-----------------------------------------------------------
竹内道雄の小説「ビルマの竪琴」の主人公、水島上等兵のモデルとされる僧侶、 中村一雄さんが 17日、老衰で死去した。92歳だった。13歳で仏門に入り1938年に応招。インパール作戦などに参加し終戦をビルマで迎えた。中村さんの所属していた部隊にオーケストラ団員がいたことから編成されたコーラス隊で「埴生の宿」などを歌い、捕虜や死者の魂を慰めた。小説は、中村さんと同じ部隊に所属していた教え子から聞いたエピソードをもとに書かれたという。
-----------------------------------------------------------
作者の竹内道雄氏は、この本を書くにあったて1度もミャンマーに来たことがないそうである。また亡くなった中村さんも、ミャンマーに残って僧侶を続けていたわけではないようだ。
 
第2次大戦後、ミャンマーに残り僧院に匿われそのまま何年か僧院で過ごした方や、ミャンマーの女性と結婚して、そのまま日本に帰らずにひっそりとこの国で暮らし、ミャンマー人の家族に見守られながら、静かに亡くなった方も何人か いらっしゃる。

 


何度かピーという町に行ったことがある。 これと言って何がある町ではないが、ヤンゴンやマンダレーを除けば、10大都市(というには小さいが)に入るのではないだろうか?
 
病に付臥すサンペイさんに、2回ほど薬を届けたことがある。今現在は下関に住む女性のMさんから届いた薬である。Mさんはライフワークで、ミャンマーでの韓国女性の従軍慰安婦の研究をされている研究家で、ヤンゴンに1年4ヶ月住んだこともあり、このサンペイ氏にも何度かインタビューをされたそうである。
 
サンペイさんは、16才で日本兵の通訳として働いていたそうで、今でも聞き取りにくいが達者な日本語で話される。
 
今は娘さん夫婦と同居されていて、ピーの町でながらくパン屋さんを経営していたそうである。息子にパン屋を譲って楽隠居をし始めた途端に、息子さんがなくなって、パン屋の名義もその息子の嫁のものに、病身のサンペイさんには1Kのお金もくれない鬼嫁だそうだ。
 
サンペイさんが愚痴をこぼした訳ではない、娘婿の人が市内を案内しながら、訥々と話してくれた。案内された家は、Hさんという日本兵が日本に帰らずそのまま現地の女性と結婚して、住んでいた家で、Hさんはすでに10数年前になくなっているが、娘さんが暮らしていた。突然やって来た日本人に笑顔で話をしてくれたが、日本語はほとんど出来ない。
 
この娘さんの娘さんが今千葉県で働いているといわれていた。店内には、いろんな日本人からの土産だろうか、鷺娘の日本人形や日本のカレンダーなどが室内に飾ってあった。ここヤンゴンでも、21,2歳でミャンマーに嫁いで来て、去年91歳でなくなったエミさんには、1度お会いしたことがある。江戸前の言葉が耳に心地よかった。
 
そんなことをつらつら思い出していたら、私自身ももうこの地に来て、そろそろ11年になろうとしている。90歳までこの地で生きて、日本に45年ミャンマーに45年で死ぬのが、今の夢かな?あと、、、34年か、、、う~ん。

「「ビルマの竪琴」水島上等兵のモデルが死去」への1件のフィードバック

  1. ビルマの竪琴 現地でなくなった日本人の魂

    昨日、中井貴一主演のビルマの竪琴を観ました。そこで、先日、登山家の野口健さんが、フィリピンで戦没者の遺骨収集をされているというニュースを思い出しました。終戦から60年以…

コメントは停止中です。