夕べ、各家庭の玄関にろうそくを灯して仏様を迎えました。爆竹を鳴らしてる音もあちこちから聞こえていました。【一時的に爆竹鳴らすと捕まえられるようなりましたが、、)学校のタディンジュッ休みであり、季節も晴れることであり、爆竹の音や子供たちの走り回って遊んでいる声が、タディンジュッという雰囲気をたっぷり感じさせていました。
国さえ安定すれば、政府ももっと庶民のことを暖かく愛情をもってくだされば、人々の生活はもっと優しくなれば、心が安心して、こんな可愛い習慣や行事があるこの国の季節や楽しみがもっと味わえると思います。
、、、、と思っているとき停電になってしまいました!!!
いつもは予告もなく停電になりますが、今回の原因は飛ばした熱風船が幹線の電力ケーブルに落ちってしまったからだそうです。
カテゴリー: ミャンマーの祭り
水かけ祭の準備急ピッチ
水かけ祭(明けてミャンマー新年)駐在の日本人は≪この喧噪の祭?りが嫌で≫どんどん日本帰国、私も帰りたい~近所のカンドーヂ湖?の周辺もマンダ(本来は仏教用語水かけのお立ち台ステージ)が?たくさん建造中。3日間でステージ入場料1名4万ks(4000?円)ビルマ的には高い!!車借りて(18万ks)水かけられるほ?うに回るか、マンダのお立ち台で水かけるほうに回るか?どちらも金がかかる?!!部屋で猫たちとまどろむか?今日は昼に早々と強風の後雨が1時間降った。本格的雨季はまだまだ先だ、、
シンビューブウェ(得度式)に招かれて(4)
会場は村人でいっぱい。明け方まで延々とサインワインの演奏は続く。
得度式の次なるハイライトは、サインワイン(伝統音楽の楽団)である。 近隣の村からも村人が続々と主催者の家の庭に集まってきていた。ニ昼夜、夕方から演奏が始まり明け方まで演奏と、ハタと呼ばれるコメディアンの掛け合い漫才が、会場を爆笑の渦にしていた。
ミャンマーの伝統音楽の楽団サインワイン。ワインには取り囲むという意味がある。打楽器中心の楽団である。
今回の楽団は、2つの楽団がニ交代で演奏していた。学校が休みの時期(3月から5月いっぱい)なので、団員の子供だろうか12歳と10歳の兄弟が太鼓を受け持って、手馴れた手つきで演奏していた。
ジャッパタンの芸人通で出会ったテテモーさん。19歳の芸人さん。叔母が有名な女芸人で, その叔母さんの元12歳から修行しているとか。素顔も可愛い。
楽団の中心は、サインと呼ばれる円形の囲いの中に演奏者が座り、大きな物から順に19個もの太鼓が円形の内側に付けられていて、この楽器が楽団をリードしてゆく。今回の演奏者は、歌も歌えてハタとの掛け合い漫才もやり、何よりハンサムだったので、村の娘さん達にものすごく人気があった。
しかし、2007年の村には、このサインワインに加えて、ミンタミーと呼ばれる、女性の芸人さんが歌って踊って、ハタとの絡みも上手にこなして、村中の人が熱狂的に盛り上がっていた。
この地方の中心都市のジャッパタンには、芸人通りと呼ばれる場所があって、こんな祭りのためのサインワインや男芸人や女芸人の、芸能プロの事務所が並んでいる通りがあった。
テテモウさんの舞踏。歌も良し、踊り良し、愛嬌もあった。
2007年の時は、得度式の2日前にこの通りに私も一緒について、女芸人を捜しに行ったのだ。なんか少しすれた感じの女性が多い中で、19歳のテテモーという芸人さんが、とても感じが良かったので、2日間の契約を結んで村に来てもらった。
歌良し、踊り良し、姿良し、そして性格もいい人だった。主催者の(うちのスタッフの)両親から、いい人を選んでくれたと感謝された。こうして、二日間の得度式の最後は、王子様の剃髪である。頭を坊主にしてお寺に入り1週間から10日間、見習い沙弥(しゃみ)として修行に励むのである。
シンビューブウェ(得度式)に招かれて(3)
得度式のハイライトはの一つは、得度式の主役の男の子が、王子様の扮装でお寺へ詣でる儀式だ。村中の人が、特に小さな女の子、妙齢の女性が正装してお寺に続く道を練り歩きます。今回、体がすごく小さなお婆ちゃんが、家の前に座り込んでこの華やかな行列をずうと見ていたのがすごく興味を引いた。 このお婆ちゃんは若くて着飾った娘時代の事を思い出しながら見ていたのかもしれない。
2007年のレーヂ村では牛車を飾り立てて、そこに王子様の男の子や女神に扮した女の子が乗っていたが、今年のジョーピンタ村では、10数頭のきれいな馬に乗って村を練り歩きお寺まで進んでいった。
割合近いバガンなのど馬車に使っている馬は、ミャンマー産の小柄な馬だが、この村の得度式で見た馬は、たぶん外国産の(アラブとかサラブレットといった)
馬だと思う。姿も美しく、何よりも大人しいので王子を乗せて優雅に行進していた。
シンビューブウェ(得度式)に招かれて(2)
6人いる妹の上から4人。美人姉妹である。ミャンマー版「細雪」だと思った。
ジャッパタンから東のレーヂ村は、水が豊富で水田が広がり村全体が豊かだった。しかし、2月で寒かった。
2007年12月 レーヂ村出身のスタッフの「弟」の得度式。6人妹がいる中の下の2人の妹は、ナッタミー(女神)の扮装で。
休憩所のレストラン 5,6軒並んでいるが、PIONEERという店が一番人気だった。
今回年老いた村長が是非来てくれと、マレーシアから戻った息子が,うちに伝言を伝えに来たので、これは行かねばなるまいと、体調はあまり良くなかったものの、バスで村に向うことにした。
バスの目的地はマグウェ管区のジャッパタンという町である。そこから村まで、オートバイで40分ほど。(ジャッパタンは、かなり大きな町で、ミャンマーの中で15大都市に入るのではないかと思う。)
2007年の12月に、やはり別のスタッフの弟の得度式に出席したことがある。そのレーヂ村は、今回のジョピンター村と、ジャッパタンを挟んで東と北の位置関係にあたる。東のレーヂ村は水が豊富で稲作で村は豊かだった。この3年前と今回の得度式と比較しながら筆を進めてゆこうと思う。
まずは、飛行機も鉄道も無い地域なので、長距離バスで行く事になる。ジャッパタンまで前回の旅では、3回の休憩を挟み13時間掛かったのに、今回は、なんと新しいハイウェーが完成していて、9時間で到着した。途中の休憩レストランも、アメリカ映画を見ているような、モダンな造りになっている。
発光ダイオードの照明が輝き、噴水や彫刻。カラフルなユニフォーム姿で、闊達に働くスタッフ達。 正直、かなり驚いた。
しかし、大型レストランの一隅に、ウィスキーやビールを売るコーナーがあって、ハイウェーの休憩所にアルコール販売とは、日本ではちょっと考えられないことである。車を運転する人が飲むわけには行かないだろうし、バス旅行で、車内に酔っ払いがいるのは不愉快な事である。
実際帰りのバスで、後部座席に5,6人の若者が車中でウィスキーを飲み続け、怪気炎をあげて大声で歌ったり騒いで、非常に不愉快だった。
シンビューブウェ(得度式)に招かれて(1)
霊山 タウンカラッ ポパー山の中の信仰を集める山である。火山の噴火で吹き飛んできた山と言われている。37体あるナッ神信仰の総本山と言われている。
ミャンマーの中央乾燥地帯に位置する遺跡の都市パガン。その近くにポッパー山(霊山)がある。
今回私が得度式に招かれて行ったジョーピンタ村は、そのポッパー山から車で1時間の、人口1000人弱の村である。多くの若者がマレーシアに出稼ぎに行ったり、ヤンゴンやその近郊の都市に働きに出ている人も多いので、実際の村の人口はもっと少ないと思える。
村の経済は、それら村から出て働いている人達の送金と、乾燥地帯で降雨量が少なく米作は全く無いが、ゴマやピーナツ、そして椰子の実で作るタニイェといわれる甘い菓子が、近くの町のジャッパタン・タニイェとして出荷されている。
まず得度式とは何ぞや? ミャンマー語でシンビューブウェといわれている。ブウェとは祭りを意味する。男の子が7,8歳くらいになると、髪の毛をそり寺の見習い沙弥(しゃみ)として、十戒を守りだいたい1週間程度仏門に帰依する。早い話が子供の出家である。
シュンビューブウェ 男の子が前列 女の子は後列。あくまでもシュンビューブウェは、男の子が主役。女の子は、お寺に行かないが、ミャンマーの宗教は、仏をナッ神がサポートするという構図があるので、女の子はナッタミー(女神)の扮装で、シンビューブウェに参加している。
しかし、日本の七五三的な意味合いもある。 仏陀が修行に入る前は、苦労知らずの王子であった事を受けて、沙弥になる前に、王子様の衣装をつけ盛大に着飾ってお祝いする儀式を、シンビューブウェ(得度式)と言う。
親達も、この仏に息子を献上する事によって、より大きな功徳を受けるといわれている。そして立派な得度式を行う事が、立派な親の義務とされている。
マンダレーとMyomaティンジャン
写真は昔のMyoma ティンジャンのものです。Photo Wikipedia
Myoma Music Troupe。マンダレーで有名なミャンマー伝統的なオーケストラです。1925年にミャンマーの音楽界で天才の作曲家「Myoma Nyein氏」が設立されました音楽隊です。ティンジャンと言えば、マンダレーが一番人気が高い所であります。そして、マンダレーのこと言うなら、Myoma Music Troupeのことも残してはいけない楽団です。
作曲家Myoma Nyein氏は有意義で深遠な歌詞ばかり作ってきて、今までも有名な歌がたくさん残っています。彼は非常に優れている芸術家でしたので、優れている彼の脳を調査したいとイギリス人たちが狙っていました。植民地時代でしたため、イギリス人の手元には調査されるより死んだ方がよいと決意し、走っていてた車に頭を突っ込んでたと、現地の人々が言われています。亡くなられた時は45歳でした。
Myoma Nyein氏が亡くなられましたが、Myoma Music Troupe は今まで引き続けられています。
ティンジャンになると、Myoma 音楽隊は車を舞台のように設定し、「Ngwe Ngan」と呼ばれる大きな白鳥の形のものをつけて、上には女性達が踊って、街中へ回って演芸しています。
以下はティンジャンの踊りと音楽、Myoma 音楽隊が記載しているサイトです。
Shwe Mann Marlarティンジャン歌と雰囲気:
http://www.anschauenoderauch.net/watch/?v=gbZEdZFQgzU
Myoma Music Troupeの音楽隊:
http://www.youtube.com/watch?v=tED9drCyOLo
ティンジャンの踊り:
http://www.youtube.com/watch?v=MLZZMlzkrZ4
ミャンマー全土のティンジャン【水掛祭り】祭り
「写真は昨年撮ったものです。」
いよいよティンジャン【水掛祭り】が近くなってきます。今年も例年と同じ13日~16日まで水掛祭りになります。今年はマンダッと呼ばれる臨時ステージには監視カメラをつけるように決まられました。そのため、数が少ないカメラレンタル屋は商売になってきました。
カメラはドームカメラ、スピードドームカメラ、固定焦点カメラでなり、カメラによって祭りの期間【4日間】で一番高いのは90万チャット【約9万円】で安い方は50万チャット【約5万円】位かかります。監視カメラはつけなければなりませんので、ステージの費用ももっとかかってしまいます。ステージで参加する料金も高くなってきます。
毎年は3日間で一人で3万チャット【約3000円】ですが、1日ですと一人で15000チャット【約1500円】くらいしますが、今年は監視カメラも付けられることになりましたため、もっと高くなると思います。場所やふくまれる内容によって料金も多少は変わります。朝8時~夕方6時まで楽しんでいる若い者は多いです。ピークの日はもちろん16日になります。17日は元日です。
ちなみにお正月の休みは12日~21日までになります。
タマネーの祭り
タマネーのお鍋が並んでいる。
近くに見ると、ねばねばそうで。
季節と食べ物が一緒になっていると思います。また、食べ物、植物などがその時の季節がやってきましたことが分かります。
ミャンマーではタマネーという食べ物があちこちで見られるようになります。ミャンマー暦によるとダボドェーがやってきましたとのことです。タマネーの原料としてお餅、黒ゴマ、ピーナツ、ココナツ、しょうが、油を使用して、大きな鍋で作っています。ねばねばが強くて、とても柔らかいものです。作るため、かなりの体力が必要な食べ物です。お餅の姿が消えて、のりの状態までなるようにかき回さなければなりません。
できたタマネーを満月の日の早朝にお釈迦様にお供える習慣ですので、満月の日の前に各地区ではダマネーを作られます。お供えした後は近所や通って行く人々にも配っています。場所によってタメネー作りの試合も行っています。一生懸命お布施することですので、大変な功徳になると信じられています。
火祭と雨
精進日になると、シュエダゴンパゴダのアウンミェと呼ばれる所でお経をしている。
いよいよタディンジュッ満月の日になります。雨安居があけて、火祭が始まる時期ですので、満月の日にはパゴダなどでは多くのろうそくを立てて仏様にお供えします。そのほか果物、花などたくさんお供えしているし、参拝者で非常に賑わっている夜です。
ただし、本日までは雨が続いています。特に午前中は雨が多く、午後でも続けて降りそうで曇っているのは最近の気象状況です。ヤンゴンだけではなく、バガンやマンダレーやインレーでも同じ雨になったり、曇ったりしています。土曜日まで今のように雨が続くと、パゴダの参拝やろうそくのお供えがうまく行かないかと思います。
気温は最低は23℃、最高は30℃です。毎日は雨傘が必要です。