ラフー族の村。わりに低地の村で、大きなキリスト教会があり、若い娘さんなどは民族衣装を着ていない。
アカ族 チャイントンの市場で見かけた。他にも市場ではたくさんの民族の人たちに会うことが出来る。
エン族の村長の妻。コーン(噛みタバコ)の長年の習慣で、歯も唇も黒くなっている女性が多い。
エン族の集落。もちろん電気は来ていない。
2日目の夜、激しい雨と落雷が2時間も続いた。山に囲まれたこのチャイントン全体を震わす、実際木造で出来ているホテルが地震のように揺れていた。
3日目は快晴であった。7年前にも行ったことがあるミャ・シュエ・イー温泉に行った。温泉はこれまで、インレー湖、コータウン、ラショー、ダウェーなどでも入ったことがあるが、ここの温泉が一番気に入っている。
4日目は、トレッキングガイド雇って、ラフー族、アカ族、エン(イン)族の村をめぐった。エン族の村長の家の壁に「日本のグループツアーで初めてこの村を訪れた**グループ」と総勢10名くらいの名前を書いた紙が貼ってあった。
5日目は、ゆったりと小さな静かな町を歩きまわって、午後は読書で過ごした。インレー湖がすごい人気になっているが、チャイントンはまだまだ観光ずれしてなくて、静かでのんびりしていて、私は勝手に「ミャンマーのスイス」と呼んでいる。インレーで失われつつある「豊かな田舎」がここチャイントンにはまだまだ残っていると感じた。
カテゴリー: インレー湖
避暑地チャイントン① (英語表記KENGTUNG)
ナントウン湖 チャイントンで一番の景勝。小高い丘の上に立像の仏像が湖を目指して指差している。マンダレーヒルに立つ仏像のぱくりと思われる。
白壁にいい色合いの瓦、素敵な時代がかった家が多い。
それらの家の屋根に使われている出来立ての瓦。
ヤンゴンの暑さを逃れて、チャイントン5泊タチレイ2泊の旅に行ってきた。(2010年 3月29日~4月5日)G&G旅行社に無理を言って、とにかく直ぐにエアーチケットを予約してくれと頼んで3日、キャンセル待ちのチケットが取れて、思い立って3日で急遽旅に行くことにした。
チャイントンへの飛行機は、ヤンゴン→ヘーホーここからマンダレー→タチレイ→チャントンと各駅停車のローカル線で4時間半かかった。
チャイントンは前日に雨が降ったそうで、ひんやりと涼しい。ヤンゴンでは連日猛暑と停電が続いていることを思うと、同じミャンマー国内なのにコウも違うものかと驚きを覚えた。
チャイントンは実は7年前にも1度来たことがある。町を歩くと、タイ風の華麗な建物が増えてきている。
つぼ等の焼き物を作ってるという工房(ただの民家)が4,5軒ある地区に行った。陶器を期待して行ったが素焼きのつぼであった。ヤンゴンから河を越えダラー地区から40分のトンテイでも同じような物を見ることが出来るので、ガイドに直ぐに次に行くように言ってる時だった。
これが「かわら」ですと素焼きの小さな板状のものを示しされた。チャイントンの緑に映える白壁の家々の屋根が素敵な色合いで、アレは木の幹の皮かなんかで出来てるのかしらと以前から思っていた疑問が解消した。
瓦は出来立てはレイガ色している(レンガと同じ材料工法で作るので、同じで当たり前なんだが)、それが屋根に葺かれて、雨風に打たれて1年もすると、あの素敵な濃い茶褐色の瓦の風合いになるのだ。
インレー湖の観光
今回初めて、インレー湖の南部からインデインパゴダに行った。インレー湖の観光で一番すばらしかった。最近欧米人に人気が出てきているそうだ。改めてインレー湖の観光を見直してみた。
《5日ごとに開かれる湖上の市》
インダー族の湖上の住まいと、足でこぐ小舟。
以前はインダー族の日常の市だった。今でも油を売る小船や日常雑貨を売る船もあるが、多くは外国からの観光客向けのお土産を売っていて、これがかなりうるさい。
小船を作る工房 ハスの糸で布を作る工房 銀製品の工房なども興味のある人には楽しい。特にハスの茎の繊維で布を作るのは世界中でここインレーにしか無い。蓮の布は、又後日書くかも?どうして始まったのか推理小説のような話があるので。
《猫のジャンプで有名なガベーチャウン僧院》
2004年に行った時の、まだお坊さんが見せていた頃。猫はすでに肥満していた。
この寺には、1997年 20004年 と今回3回行った。はじめて来た時、猫のジャンプが有名になったばかりで、しかも、ガイドさんの説明では、日本人のカメラマンが撮った写真でこの寺の「ジャンピングキャット」が知れ渡ったと言う説明だった。
お坊さんが観光客に仏教の話など、英語で説明して。口笛を吹くとやせた精悍な猫が10数匹集まってきて。坊さんが掲げた直径20センチばかりの輪をジャンプして通りぬけるのだ。
2004年に来た時、観光客が4倍くらいになっていて、大勢の見物人の前でお坊さんが、猫の芸を見せていた。猫達は芸をした後にエサが与えられるので、すっかり太っていた。又えさをめぐってケンカするのもちょっと嫌だった。
2009年12月今回、この間に1,2年「もう芸を見せてはいけない」という噂を聞いていた。それでか?坊さんではなく女性が、観光客が集まったら猫を呼び集め芸を見せていた。猫はますます怠惰に太り、ただの見世物になっていた。
《パァンド-ウ・パゴダ 》
パァンド-ウ・パゴダ 水の都イタリアのはベネチアの寺院を思い出す。
ファンドーウとガイドブックにはなっているが、スペルからも、ガイドさんの発音からも私にはパァンド-ウに聞こえる。
壮麗でヴェネチアの寺院を思わすパァンド-ウ・パゴダ由緒ある仏像5体が、長年金箔がはられつづけて、金のダルマのようになっている。
毎年9月10月に(独特の暦を使うので毎年開催日が違う)湖上を巡る祭りがある。5体の仏像をカラウェー(伝説の鳥ヒンダー)をかたどった船で、インレー湖畔にある村を巡る。
いつもはこの5体の仏像パァンド-ウ・パゴダの2階の大広間に安置されている。自由に男子のみ金箔を貼ることができる。
マンダレーのマハムニパゴダ、チャイティーヨーのゴールデンロック、ザルンの仏像すべて男子のみで、女性はそばに行き触れる事すらできない。日本でも相撲の土俵は女性は登れないね。インデンパゴダのことが次回にする。
カヤー州ルインコー(ロイコー)2 少数民族 (2)
ミャンマー全土の少数民族は、130とも135族とも言われています。私が実際に会って確認した民族は、25種族くらいです。
シャン州のラショーなどの朝市に行くと、たくさんの少数民族に出会えます。又、チャイントンやカローなどでは、少数民族の村を歩くトレッキングなどもあります。
パダウン族(首長族)
話は、先日行ったカヤー州のロイコーに戻って。友人から「もっとロイコーのことを書いてほしい。ロンリープラネットにも載っていないので、貴重だよ」とメールが来たので、少数民族パダウン族の村に行った事を書いてみよう。村の名前はサンポン村といい、ロイコーの中心から15分くらいで到着。その先は入域規制地区で、外国人はロイコーまでの許可を取っていても入れない。
写真の女性2名は50代から60歳代で、20から25連ある金色の(ブロンズ製)の首輪をはめている。寝るときも体をい洗う時もはずさないらしい。首輪と首の間に手を入れて器用に首を洗うと説明してくれた。5歳から首輪をつけ始め、最初は3連とか5連とか、大人になるにつれて首輪の数が増えてゆく。
ガイドさんとパダウン族(首長族)の女性
家には15歳のかわいらしい少女もいたが、この子は首輪をしていなかったし、この2名の女性を含み8名だけが首輪をしているらしい。ガイドさんが、「ありがとうございました」と言って、3名に2000KSづつ上手に撮影代を支払ってくれた。(写真は2名だが、3名撮影させてもらったので)
インレー湖でマッサージNO1に会う!
旅行に行く前に、G&G旅行社から、「インレー湖ニャウンシュエに、ものすごく上手なマッサージがありますから、写真とってきて下さい」G&Gの客人のお一方が、ヤンゴン、マンダレー、パガンとマッサージしてもらったが、ここニャウンシュエが一番だった。」と言ったそうである。
しかし、場所が「え~っ」という感想だったらしい。その「え~っ」の意味が何なのか?がわからない。ちょっといかがわしい感じなのか? 汚いのか? うるさいのか? マッサージの場所としてふさわしくないのか?
宿泊したアメーズィング・ホテル(小型ホテルだけど、清潔でサービスが行き届いていた)のすぐ裏通り徒歩で5分くらいの場所にあった。Photoにあるように、「Massage Win Nyaunt」と赤と黄色の看板ですぐわかる。
インレー湖のニャウンシュエにすんでいるが、ビルマ族で37歳、子供は3人。兄の子供も3人計6人の子供が庭で遊んでいる。場所は、ビルマ的には普通の家で、カーテンで仕切られていたり、マットの上の白いシーツも清潔だし、何をもって「え~っ」なのかは?ちょっとわからない。
その客人もアメーズィング・ホテルに、宿泊していたらしいから、あのホテルと比べると、それは「え~っ」となるかもしれないが、私には快適な場所だった。マッサージは小1時間であった。
噂にたがわず「うまい」。そして「独特」の「リズム」がある。ミャンマーの伝統的なマッサージだと、ウィンニャウン君の説明である。「君のマッサージが一番よかった」と言う上記の客人の話をしたら、非常に喜んで彼は、手もよく動くが、口も饒舌だった。
2週間くらいの期間で講習会などもやっていて、韓国人、イスラエル人オーストラリア人などが習いに来たと得意げに話していた。1時間で5ドルまたは5000ks。インレー湖で体が凝ったらお試しあれ。
インレー湖 インデイン・パゴダ
シャンのソーボワ(藩主)が建立したパゴダ
奥インレーでも見られる、木とパゴダの競演
インレー湖は3回目である。1997年1回目は、湖上をボートで行く時、身を切るような寒さで途中の土産物屋さんでシャンの上着を買った。
2回目2004年 ジャンバーは着ていたものの、素足にサンダル履きだったので、もうどうしようもなく足が冷たい、ルエエイと呼ばれるシャンバックに足を突っ込んで暖をとった。
そして今回である、靴下にワーキングシューズ、ジャンバーと万全を期したつもりだったが、湖上に出るとやはり寒い、1時間ばかりはそれに耐えていたが、ふと後ろを見るとガイドの女性は、毛布をかけている。それで座席の背に毛布が用意されてるのを遅ればせながら知って、やっと防寒できた。ミャンマーはこの時期かなり寒いのである。
今回は初めて、インデインパゴダに行った。ここでも遅ればせながら、考えが及んだのは、ミャンマーで1番大きなインドージ湖、2番目のインレー湖、ヤンゴン大学の裏手に広がるインヤー湖 そして今回のインデイン湖。どれもインが付く、それでやっと思い出したのは、イン自体が(池や湖)を表す言葉なのだ。この地に住むインダー族は、イン(湖)ター(民)というわけである。
そのインデェイン・パゴダは、14世紀から18世紀にかけて建立されたシャン族の朽ち果てたパゴダが1000基以上残っている。バガンのパゴダ群のように、すべて修復されていないのが逆に風情があって、日本人の心情にマッチしているような気がする。
インレー湖(シャン州)のトマト
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インレー湖で収穫したトマト。インレー湖から大量にミャンマー全国へ送っている。写真は湖上からとってきましたトマト陸上へ運んできた写真です。インレー湖(シャン州)の野菜は新鮮で美味しいと有名です。