ヤンゴン物語

ヤンゴンミャンマー情報
小津安二郎監督の映画「東京物語」は、私が生まれた1953年に上映された名作で、日本映画の最高傑作と評価する映画評論家もいるらしい。私はこの「東京物語」を、15.6年前に見たと記憶する。その頃でも40年前の映画である。映画の中で話される日本語があまりに美しいので感動した。
田舎から年取った老夫婦が東京に出てくる。医者になっている長男や美容院を経営してている長女は、そんな両親をあまり面倒を見ない。一番心を尽くしてくれたのが、戦争で亡くなった次男の嫁で原節子演じる女性だったというストーリーだ。


うちのスタッフのラーゾー(20歳)の田舎から出てきた両親が4日間ほどうちに滞在し、今日の昼過ぎにバスで帰っていった。 父親は57歳母親は私と同じ55歳、8人の子供がいる。パゴーの近くのバス乗客相手のレストランで働く19歳の弟も来ていた。
マグエ管区で農業を営む父親は、初めてのヤンゴン見物である。母親は5回ほど来ことがあるそうだ。しかし、ここ10年のヤンゴンの町並みの変化に愕いていたそうである。この4日間はラーゾーの両親の「ヤンゴン物語」である。
うちは美容院をやっているので、当然息子は24時間付きっきりで両親の面倒は見ていられない。そんな折住まいの7階から仕事場の8階に上がってきて、息子の仕事振りを眺めていたり、客がいない時間に、息子が父親の髪の毛をカットし、白髪を染めてやっている構図に少し感動した。
私も父親は40才を超えた時の子供なので、成人した頃には父も母もずいぶん年を取っていて、一緒に旅行に行ったりとか自分なりに親孝行をやってきたつもりでいるが、直接にこの国の人のように年老いた親の手を引いてあげるとか、このラーゾーのように体に触れるような親孝行を何もやって来ていない。
何年か前ヤンゴン在住の日本人の方から借りた中国映画の「山の郵便配達人」というDVDでも、主人公の青年が年老いた父親を背負って川を渡るシーンで、画面が涙で見えなくなった。「親孝行したい時に親は居ず」という言葉を思い出した日になった。

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