マンダレーにて2 〔タウンピョンブエ〕

マンダレーは、雨季でもあまり雨が降らないとマンダレーに2年以上住んだことがある友人が教えてくれた。私はマンダレーという名前は、英語の名前をそのまま使っているものとばかりかなり長い間誤解していた。
マンダレーは、雨季でもあまり雨が降らないとマンダレーに2年以上住んだことがある友人が教えてくれた。私はマンダレーという名前は、英語の名前をそのまま使っているものとばかりかなり長い間誤解していた。
というのは、40年位前の話で恐縮だが高校生の時に、ヒッチコック監督の「レベッカ」をTVで観て、早速学校の図書館からダフネ・ドュモーリア著の原作を借りて読んだ記憶がある。 そこに登場するのが英国にあるマンダレーという土地なのだ。今考えるとその土地名は架空のものかもしれないが。


それで英国の植民地時代に今のマンダレーに命名したのであろうと勝手に思い込んでいた。さて、今回8月4日〔2009年〕にマンダレーに到着すると、最近この街に住み始めた友人が、「タウンピョン・ブエが明日が最終日ですが、行きますか?」と尋ねてきた。*ブエとは祭り以前よりヤンゴン在住の日本人や旅行記で読んでいた、別名オカマ祭り。その人達の記述ではミャンマー中のオカマがはせ参じるらしい。
まったく予想もしていなかったが、面白い祭りならば行かない手はない。早速車を借りた。ここマンダレーでは乗用車タイプのタクシーが無い、軽トラックを借りて1時間半くらいでタウンピョン村に到着。まだ午前9時だというのに信じられないほど人人で溢れかえっている。 
まずは人の波にもみくちゃにされながら仏像を拝みに行った。とにかく参拝に上がってゆく人と下ってゆく人がぶつかって、人の間に挟まった子供は泣き出すは、小さな押し合いの喧嘩はそこかしこでやってるは、まぁ大変な騒ぎである。
続いてナッ神のところに行くとサインワインと呼ばれる数人の演奏者が演奏する曲にあわせて100人近い参拝客、主に若者達だが、奇声を発しピョンピョンと榊(さかき)を掲げて踊り狂っている。
それはまるで80年代や90年代のデスコックの熱狂に似て、なんというか? 踊る宗教にも見える。突き飛ばされそうで、とてもその踊りの輪の中には入れなかったが、最初からこんなハイテンションで祭り見物は始まった。
朝っぱらから、夜に引き続き酒を飲んで踊っている人もいるし、喧嘩も多いらしい。幸い私達には何もアクシデントは起こらなかった。 人も多いし、昼間なのでノーメイクのオカマがぞろぞろ歩いていたり。マンダ(水祭りのときに作られる特設ステージ)じゃなくてなんと言うのだろうか?
ナッ神の祭壇つきの小さな小屋が立ち並び、朝というのでナッカドー〔霊媒師 ナッ(神)のガドー(妻)〕も、普通のおじさんだったり、おばさんであったりが多い。せっかくオカマ祭りなんだから、どうせならオカマのナッカドーを見たいと練り歩けども、まだまだ時間が早いのか、昨晩夜通しの興行に人気のオカマのナッカドー達はまだ寝ているのかもしれない。
しかし、その普通ぽい親父のナッカドーも、よくよく見てると、信者からのチップの1000ks札を衣装にピンで留めてもらいながら、タバコを寄進されタバコをすいながら、酒をブランディーかウィンスキーか判然としないが、それを信者や周りの者と回し飲みしながら、ナッカドーの親父は瓶ごとラッパのみでグイグイストレートで酒を飲んで、なおかつ踊り続けている。 あっちの小屋こっちの小屋、似たような展開である。
ある小屋では、我々が入った途端にナッカドーのおばさんが気絶したようだ。皆に起こされ空ろな目で天井を見上げていたがやがて正気になって、また踊り始めた。信者はそれをナッ神がナッカドー(霊媒)の中に入ったと思うらしい。おばさんの様子を見ていて演技ではないようだ、、、顔も真っ赤になって目がらんらんと輝いて、ちょっと寒気がしてきたので別の小屋を回った。
3時間くらいサテンでの休憩を挟んで20ばかり小屋を見てまわったが、全部でいくつの小屋があるのか?見当も付かない。信者というか観客というか、酔ってふらふらしている人や別の土地からはせ参じたオカマが4.5人で賑やかに通りすぎたり、踊りながら歩いている人もいる。とてもじゃないが体力が続かないので、夜が面白いと聞いたものの、なんと昼の3時にはマンダレーに帰り着いていた。もっと賑やかでもっと怪しい祭りを楽しみたい方は、ぜひ午後からお出かけください。ただし帰りの車を確保してから、、、。 
PHOTO オカマのナッカドーの踊り