街の記憶1  英国植民地時代のヤンゴン

街の記憶1  英国植民地時代のヤンゴン
パンソーダン通りを南(ストランド通り)に向かって撮影。英国時代に建造された壮麗な建築郡が今現在も、商業ビルや市役所の一部として活用されている。高い塔は港湾局。最近バスも新しいものが走行しているので、この写真だけでヤンゴンの街と分かる人はそんなにいないだろう。
1998年の3月から暮らし始めたヤンゴンライフも14年目になった。その間にもヤンゴンの街並みは、猛スピードで変化し続けている。NHKワールドプレミアを今年の2月まで受信していた。テレビばかり見ていて引き篭もりのような生活が続いたので、受信をやめた。
番組の中でブラタモリが秀逸だった。今の東京の街角を、江戸時代は明治の初期はどうだったかを、タモリが実際に路地を歩き、時にCGを使った再現映像で検証して行く、非常に興味深い番組だった。
このヤンゴンも特にダウンタウンと呼ばれる碁盤の目のような街並みは、英国統治時代に整備されたもので、ヤンゴン外大で2年学び、その後ロンドンで1年間留学生活を送った友人が、「変な話だけど、ロンドンってヤンゴンに似てる。実際は逆なんだろうけどね。ロンドンから来た人達が作り上げた街だから似ているのはあたりまえかも」と言っていた。
街の記憶1  英国植民地時代のヤンゴン
港湾局の建物を、ストランド通りより北に向かってシャッターを切った。最近減少してきたサイカーが客も乗せずに通っていた。
例えば、近所に新しいUNITEDショッピングセンターがオープンした。徒歩で3,4分なのでよく利用する。しかし、この場所に以前は何があったのか曖昧模糊で、どうしても思い出せない。人の記憶力とは案外頼りないものである。
ヤンゴン(ラングーン)の英国統治時代を記憶している人達も、今は随分高齢者になられているし、話を聞いても記憶がはっきりしなかったり、明らかに間違っている事もあった。
ミャンマーは、1826年 1852年 1885年、3回の英緬戦争を経て完全に英国領に併合された。
街の記憶1  英国植民地時代のヤンゴン
この壮大なアールデコ用式の建造物は、ヤンゴン管区の裁判所。写真は実は裏側で、正面からしか入れない。ストランド通りも、真横にコンクリート製の新ストランド通りが今まさに建造中。
スコットランド出身の技術将校アレキサンダー・フレーザーと医者のウィリアム・モンゴメリーの設計によりラングーンの街造りが始まったのは、第2次英緬戦争以後で、1860年頃には土地整備が整い、1892年下水道の完
成をもって、当時「東洋の真珠」と呼ばれたラングーンという都市がほぼ出来上がった。
今も英国時代に建造された、瀟洒で堅牢な建物が市内あちこちに散見される。

「街の記憶1  英国植民地時代のヤンゴン」への2件のフィードバック

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    ほんまに初めてラングーンへ訪れたのが1979の11月でした。ベーターさんの現在のヤンゴンの近況を拝見出来るのがいつも楽しみにしてます。小生も62歳、8年前に訪問したのが最後、徐々に変化してるんですよね。ビルきち(ビルマ好き)のメンバー員のつもりです。

  2. AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0)
    1979年、、へぇ~そんな古い時代からミャンマーに来られていたんですね。(驚き) ネーウインの時代だからビザは1週間しか許可されていなかったんではないでしょうか?
    私は1996年3月にはじめて行って、翌年2回 訪問して、1998年3月からヤンゴンに住み始めました。
    いろいろ問題や事件、 入院も3回、4回経験しましたが、住めば都という言葉どおり、
    なかなか飽きない街です。

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