昔池だった場所を埋め立てて出来た広場。スーレーパゴダの北側に市庁舎、その東横にある建物は、英国時代デパートだった。この広場(フインチスクェア)にビクトリア女王の大理石の像があった。
1820年代のヤンゴンの古地図を見ると、スーレーパゴダは湿地帯に突き出た島のような丘の上に立っている。
その北側周辺は多くの寺院があった。そして、東と南方面は湿地帯、池のような状態で、さらに南にあるヤンゴン河に続いていた。その湿地帯が埋め立てられ、今現在のマハバンドゥーラ公園や市庁舎前の広場になっている。(ファインチスクェア)スーレーパゴダの北側にあった寺院は、都市計画の邪魔になるので、今現在のボージョーアウンサン市場の西側、タイェードゥ寺院がある場所や、それより北に移された。
サクラタワー20Fのスカイラウンジから撮影。南にヤンゴン河が見える。スーレーパゴダの裏側から東横は200年前は大きな池だった。
そして、東西に走る大通りは5本。北からボージョーアウンサン通り(西側をコミッショナーSt. 東側をモンゴメリーSt.)。アノーヤター通り(フレーザーSt.)。マハバンドゥーラ通り(ダルホージィSt.)。コンデー通り(マーチャントSt.)。カンナー通り(ストランドSt.)。( )内は英国時代の名称
スーレーパゴダを南側から北に向かって撮影。撮影している場所は昔は湿潤地帯(池)だったところ。撮影者の東横がマハバンドゥーラ公園アベックで有名。ただし夕方5時閉園。
南北に走る通りは、西から番号が付いた通りが2つ続いた後に、名前の付いた通りが続き、全部で80本以上ある。
因みにマハバンドゥーラ公園の東側のマハバンドゥーラ公園通りは、昔はバーランと呼ばれていた。バー(BAR)ランは(通り)である。その昔バーやレストランが軒を並べていたのであろう。今は主に電気機器の店が多い。
そして、スーレーパゴダの北東に位置する市庁舎。 その東横にある建物は今現在修復中で、(市内あちこちで歴史的建造物を保護する動きが最近顕著に見られる)英国時代はローウェ社のデパートだったもので、今現在も商業ビルとして、すばらしい立地条件の元活用されている。
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ほんまに、このブログをまとめただけでビルマ、ミャンマー風物本で出版できますね。普通なら体験出来ない地域やミャンマー人よりもよく承知されてますよね。いつも関心して拝見してます。これからも応援してます。