再び ペグークラブに行った。
100年前に建てられた、その後何度か改修されたであろう、
今は朽ち果てるのを待つように、小雨の中たたずんでいる。
もうじき改修作業が始まるのだろうか?あちこちにコンクリートのレンガが山済みされていた。
本来立ち入り禁止の建物だが、管理している人にコネを使って2度目の撮影を敢行した。
ここは英国統治時代の社交クラブである。もう1つのジムカーナー社交クラブは何度か捜し回ったが発見できないまま。当時ラングーンと呼ばれていたヤンゴンライフの英国人社会の華やかな社交の場として、2つの社交クラブは競い合っていたのだ。
第2次世界大戦中は、日本軍の将校クラブとして使われていた。久留米から芸者衆も随行していたそうである。従軍慰安婦の研究者の女性から聞いたことがある。
今は国軍の建築部の管理の下、訪れる人もなくひっそりと、朽ち果てるままに放置されている。
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ベーターさん、ご無沙汰です。前回のスーレーパゴダの記事やペグーの古き英国時代の建物もミャンマーを語るには英国時代の建築物がよく似合います。インド人街の古いアパートの裏で隣のビルとの間のカビ臭く排水溝の水の音等を思いだします。ボージョーマーケットの中にある食堂の丸椅子に座りミャンマービールと豚まんは最高。
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今英国時代の歴史的建造物を保存する
補修工事があちこちで行われています。
統治されていたのは、ミャンマーにとっていい思い出ではありませんが、1948年の独立後も、多くの行政府の建物として、また道路も名前は変わりましたが、英国時代のママ使われていますし、補修作業がすめば、また観光客の目を楽しませてくれると思います。