恐ろしいサイクロン後②

ミャンマーサイクロンの被害
ミャンマーサイクロンの被害
ミャンマーサイクロンの被害
ミャンマーサイクロンの被害
ミャンマーサイクロンの被害
サイクロンの現場へ行ってきました。ひどい災難にあいましたコンチャンゴン周辺であるタンピンゴン村です。難民たちのほとんどは道路沿いに人々ががずらりと並んでいた。今回はメンバー13人でお米や豆や薬やタマネギや服装や蚊帳や等、女性用の下着、子供達にお菓子、お坊さんにお金、、、、寄付しました。
彼らの全ての物がなくなりました。先ずは食べ物を渡してこれからは住むためのシートが必要です。1人しか残らない年上の方々も生活の困っている。親が無くなった子供達も行く所がなくて、、、、我らのグルプのようなボランティアグルプもたくさん見られました。行く時も帰も何の問題もなかった。

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大切な命






サイクロンで家をなくなりました人々を保護している「マウーピン町」の所です。「マハーボーディ」宗教の建物をキャンプのようにしています。そこらにいる難民たちのほとんどは、ひどい災難にあいましたボカレー町周辺からは多いです。マウーピン町へ集まってきた難民は4500人くらいです。マウーピンの地元民がグルプをわけて、ご飯を作ったり、面倒をみたりしています。ここの情報を聞いて各方面からの民間たちがお米、飲み水、薬、服装などを次々に寄付しにきていました。弊社と仲間達もお米、お水、服をヤンゴンから車でもって行ってきました。
今現在はそこで食糧などについてはなんとなく解決できると思いますが、難民の家族たちはこれからの復興は非常に大変なことと思います。

初めての恐ろしいサイクロン









5月3日の朝2時。激しい風で目が覚めました。ドアはがたがた、恐ろしい風の音も聞こえました。ギョッとして、ベッドを離れ、真っ暗の外を覗いて見ました。激しい風に与えられ樹木がよろよろしていたました。ガレージも倒れていました。当日は電気がくる日でしたが、停電のままで回り全部は真っ暗だった。朝5時半ごろからもっと恐ろしい強風がやってきました。目の前で次々に倒れた樹木、飛んでたトタン、衛生、なくなった屋根、悲劇的な場面が見えていました。昼12時ごろに、だんだん弱くなってきて、13時ごろに止んだ。何処の大道でも、小道でも、巨大な木が転んで道が詰まっていました。電柱も倒れ、電機や電話なども中止になった。外へ出かけてみました。一晩だけで、町がつぶれたと思います。
4日の朝、食料の問題は始まりました。市場では売り切れました。お米や油などがありますが、売らないため、奪われました。日雇いや労働者などは余分のお米はないため、本当に困ったようです。車代もあちこち位ですと、前は1000チャットでしたが、5000チャットまで上がりました。バスなども走れないため、ほぼ徒歩しました。
5日には車代はもっと高くなり、安定はなくなったような気がしました。困るのは電気がないため、水がなくなっていました。発電機を回していましたが、ディーゼルは1ガロン/7000チャット、ガソリンは1ガロン/10000チャットまで上がりました。
9日は少々回復しました。ガソリンもだんだん下がってきました。街中の屋台なども出て、お店も普通に開いていました。ヤンゴンの状況は落ち着きました。ただ、今度の台風で一番影響を受けましたデルタ方はまだまだ大変な状態と聞きました。死亡者も多いし、不明になっているのも多いです。悲劇的な話ですが、知り合いの親戚はラプッターからです。近所の5人家族で家がつぶれたため、お母さんは水に流されました。小さい子供三人で残されましたお父さんはどうしようか知らず、あまりにも若い子供たちをつぼに入れて、流しました。ただ、水の流れでつぼが沈んでしまいました。そのような悲劇的話は次々に耳に入ってきました。家がなくなった、家族を失った、食糧は一切ない、彼らの苦労は想像もつかないほど辛いことでしょう。一番大切なものである命を一刻も早く助けなければならないと、、、。