ハンターワディ遺跡 王城 パゴー3

ハンターワディ遺跡 王城
ハンターワディ遺跡 王城
ハンターワディ遺跡 王城
ハンターワディ遺跡 王城
ハンターワディ遺跡 王城柱 チーク材
柱 チーク材
在りし日の王宮を再建したハンターワディ遺跡
戦国時代の覇者織田信長が安土城を築城した頃、ここミャンマーは、モン族との死闘を勝ち抜いたビルマ族がタングー王朝を開き2代目のバインナウン王が(バインというのが王の意味。現在のヤンゴンの中西部の地名にもなっている)パゴーに7層の黄金に輝く王城を築いていた。
写真にあるようなチーク材の大柱の根元だけが残り、在りし日の王城の大きさをハンターワディ遺跡に見ることができる。
数年前に、7層からなる黄金の王城が再建されたが、これが考古学的に16世紀の末に築城されたバインナウンの王城の正確な姿なのか疑問視する識者が多いそうだ。
いずれにしても、小雨降る中タイや中国からの観光客で賑わっていたので、新しいパゴーの観光名所にはなっているようだ。
入場料が必要。

百年前の寝釈迦の写真を見ながら、、、[パゴー2]

寝釈迦 顔
寝釈迦 顔
現在の寝釈迦
現在の寝釈迦
昔のチャイプーン・パゴダ
昔のチャイプーン・パゴダ
チャイプーンパゴダ
チャイプーンパゴダ
19世紀英国統治時代に、ヤンゴン・パゴー間の鉄道を敷くための測量に来ていたインド人の技師が、密林の中に横たわる寝釈迦(シュウェターリアン)を発見した。実に900年の長き眠りから覚めたモン族・が建立した寝釈迦像である。
発見された当初のご尊顔と現在を比べると、私的な感想だが、昔のモン様式の顔立ちの方が、素朴で尊く有難い面差しに見える。
ヤンゴンからパゴーに向かうと、パゴーの手前にチャイプーンの四面パゴダがある。これもモン文化独特の形式で、パゴーには他にも大小さまざまな四面仏がある。 15世紀末に建立されたチャイプーン・パゴダも昔のままのご尊顔のほうが私は味わい深いと思う。
そして、これも不可解なのが、シュウェターリアンのすぐ横に、数年前に新しい寝釈迦・新シュウェターリアンが建立された。 古い寝釈迦が全長55米新しい寝釈迦は、90米あるそうだ。
シュエタリアン
シュエタリアン
ヤンゴンの寝釈迦は60米、後は全国に60米以上の大型寝釈迦が続々と建立され、大きさ比べの様相を呈している。モーラミャインの南に位置するチャウタロンにある寝釈迦は全長実に200米というものまで出現した。
小さきものにこそ、仏が宿るという教えはどこに行くってしまったのだろうか?

シュウェモードパゴダ [パゴー]

地震で
地震でシュウェモンドーパヤーが壊れました。
シュウェモンドー
シュウェモンドーパヤー
「満月の祭日にパゴダ詣ではコリゴリだ」とつくづく思った。
7月15日の満月を過ぎると雨安居に入り、10月12日の満月(タディンジュの祭り)まで、結婚式や旅行、ステージショーなどを慎む時期になっている。
それでこの7月15日の満月の日は、謹慎する前に楽しもうというミャンマー人で、パゴーの町はどこもかしこも、信じられないような人出だった。タクシーのドライバーをしているサルが、「明日、嫁さんとバゴー(文字でペグーと書いてパゴーと読む)にパゴダ参りに行くので、一緒に行かない? 」と誘ってくれた。
ぼろのタクシーだが、スピードは出る。ヤンゴンから1時間半くらいで隣町のパゴーに到着した。しかし、雨が降り出してきた。
まずは一番有名なシュウェモードパゴダに詣でた。雨の中ものすごい参拝客である。
過去5,6回このパゴダに来ているが、こんなに人が多かったのはの初めての経験。
パゴーはもともとモン族の町である。このパゴダも最初の仏塔は825年に建てられたそうで、その後だんだん大きくなって、現在のパゴダは、114メートルあって、ヤンゴンのシュウェダゴンパゴダ(99米 これもモン族が建立)よりも高い。1930年の大地震で、仏塔の先が折れて落下した。
そのままの状態で祭られている。