ミャンマーの中央部2 大田村 

ミャンマーの中央部2 大田村 
ミャンマーの中央部2 大田村 
ジャッパタンから砂道をオートバイで1時間以上かけて村に到着した、村の名前はレーヂユアという。 レー(水田)ヂー(大)ユア(村)なので日本語的には大田村である。
この村の友人宅に4泊させてもらった。「寒かった~」結局 行き帰りのバス中泊も含め6日間イェジョー(水浴び ミャンマーには風呂に入ると言う言葉が無い)をやらなかった。もちろん手足や顔、歯などは毎日きれいにしていたが、寒すぎてましてや庭にある井戸端での水浴びである。


ミャンマー人はロンジーをはいたまま水を浴び、筒状になった新しいロンジーを頭の方からすっぽりかぶって、ぬれたロンジーをするりと脱ぐ、慣れればやれないことは無い。農業で成り立っている村だが、電気や水道の施設は無い。しかし、貧しいといった感じが無い。
特に今年は稲作が豊作だったそうだ。村は人口800人くらい。ほとんどがなんらかのつながりで友人の家とは親戚である。 遺跡の町バガンも車で1時間くらいの距離だが、その近くの村にも泊まったことがあるが、(「行ってきました」のコーナーの中に「ジョーピンタ村に行く」がある)そこは、雨が降らずしたがって稲作が出来ず、ピーナツやゴマだけが生産できて、村全体が大田村に比べると貧しく、知っているだけでも20名の若者がマレーシアに出稼ぎに行っている。
車で2時間くらいしか離れていないのに、大田村は水も豊かで稲作ができ、村民の暮らしも豊かなようだ。その豊かさは家や食べ物電化製品といった形で出てこない、いかにも堅実な農家の人は、子供たちの教育に使っている。大田村では、多くの家で子供をマンダレーの大学や、中にはシンガポールの大学に留学させている家もあった。(もちろん学生本人が優秀で奨学金を得ていると言う話だが)
最後出発の日の朝、友人の母親が新しい畑に案内してくれた。そこは砂地で河の直ぐ横にある。雨季には水があふれるので川底になる畑だ。だから乾季の間に作付けして暑季に採り入れが出来るニンニクを植えていた。 4万ksで購入した土地から、上手くゆけば1年目の収穫が10万ksになると言う話だった。 8人の子供を育てながらの農作業、働き者の母親である。
出発に際して、歩いて15分の隣村(電話も1台ある)まで私の荷物を母親が持ってくれて、一応遠慮したのだがそのまますたすたと歩いって行ったのでこちらもすたすたと後をつけて行って、3人の為に3台のオートバイも用意されていて、そこからジャッパタンまで帰っていった。