ミャンマー最南端コータウンへの旅 2


最初この旅行記の題名を「ミャンマー災難端の旅」にしようと思ったくらい、到着そうそう不快なことが続いた。
あのコーヒーとかに入れるコンデンスミルクにアレルギーがある。しかし、何も起こらない時もある。まぁ 忘れていたんだけど、飛行機の中で、鼻水が出ていた。軽い風邪のような状態で体調悪かった。 ホテルの近くのサテンの、小さなカップに少量のミルクが入っているコーヒー1杯で、 突然呼吸が出来なくなるほど咳が出て、ドウカしてもう少し酷いと、呼吸困難で死んでしまうのではないかなと、、、酷い咳だった。、結構怖い。
実際どうやってホテルまで歩いて戻ったか解らないほど意識朦朧として、倒れこむようにホテルに着くと、ドアボーイの子が愕いて、部屋まで体を支えるようにして付いて来てくれて、「医者呼びましょうか?」と聞いてくれた。部屋で手作りのエッセンシャルオイルを、喉から胸にかけて塗りながらマッサージして、小1時間で咳も止まり楽になった、、、が、その後3日間寝込んだ。 年に1,2回発作のような症状が現れる。


ずいぶん前もマンダレーの有名な「ナイロン」というアイスクリームの店がある。そこで小さなアイスクリームを食べても、元が牛乳なので今回ほど酷くはなかったが、症状が出た。どうしてこんな発作がおきるのか?なかなか原因がわからなかったが、牛乳=アレルギーにたどり着くまでかなり時間がかかった。しかし、ミャンマーにあるインスタントコーヒーで、砂糖もミルクもコーヒーも1袋に入っているコーヒーで
は発作はおきない??
奇病なのかか? 異常体質なのか?もうこれは自分で気をつけてゆくしかない。それで5泊6日中、4日間はほとんどホテルだけで過ごした。そうそう到着してホテルの窓をあけたら、目の前が港で人が大勢集まっていた。案内したボーイが、「水死体があがったんですよ」これが到着の第一声。なんという不吉な旅のスタート。
その後1時間くらい仮眠して、サテンで起こったのが上記の症状なので、 水死体の件も何か関連があるのか?私は憑依体質ではないが、 とにかく酷い第一日目だった。
5泊6日の間ホテルの部屋では、読書三昧の日々をすごした。司馬遼太郎の、「播磨灘物語」を持ってきていた。 黒田如水の話だがが、 福岡=黒田藩の住人だったくせに如水のこと何も知らなかったので、全4巻ホテルで読み上げた。
この本しかもっていなかったので、ゆっくり読書に浸れたという意味では、それなりに有意義な時間が持てたのではと思っている。写真は、体調が戻ってオートバイタクシーを雇って行ったパロントントン・ビーチ町より30分くらい。ビーチには、誰もいなかったが、左手に見える島はジャパン・ジュン(日本島)という名前。
水もきれい砂も白くて、ガッパリ・ビーチやグイサウン・ビーチ チャンター・ビーチなどにも遜色ない美しいビーチだと思う。 砂浜がやや狭いのが欠点か?