ミャンマー的「光陰矢のごとし」


勢ぞろいしたコーイン達猫と遊ぶ

カヤー州ロイコーの僧院
ビルマ(ミャンマー)語で、小坊主をコーインと呼ぶ。まさに光陰と同じ発音である。なのでいつもコーイン達を見かけると、「光陰矢のごとし」それに続く「少年老い易く学成り難し」という漢文を連想している。
自分が老いてみて、しみじみ身にしみて納得できる語句である。
このコーインの中から、僧正まで上がってゆける子がはたしているだろうか?
ミャンマー仏僧会は、厳しい試験制度で階級が上がってゆく。
一説にはミャンマーで最も難しい試験であると耳にしたことがある。
そうこうするうちに、「僧正にあってみますか?」とガイドさんに言われて、
お坊さんと話すビルマ語もよくできないしと躊躇していると、偶然僧正がお出ましになったので、僧正の個室で、お話しすることになった。
お坊さんと話す時は、ビルマ語の一人称「私」は、普通男は「チャノー」が「ダビィード」になる。又、「はい」は「ホッケー」だが、これも「ティンバー」になる。そのほか必ず語尾に「パヤー」をつけるなど、理屈ではわかっていても、そうそう慣れないので話せるものではない。
その旨僧正に申し上げると、「普通でいいよ」とやさしく言われたので、本当にちょっとだけ丁寧語にして普通語でお話させていただいた。
僧正が開口一番言われた言葉に驚いた。
「大野先生を知っていますか?」であった。
大野徹先生にお会いしたことはないけれど、
「もちろん知っております。 大野先生のおかげで、我々日本人は辞書や参考書で、ビルマ語を学習することができるからです」と申し上げると、
僧正は、「40年前に大野先生とヤンゴン大学で、碑文を学びました」続けて、「非常に優秀な方でしたよ」と言われた。
大野先生は、ジャウサーといわれる石碑に彫られた碑文、漢籍、英語など第一資料からの、ビルマ族の歴史書、参考書、辞書など著書も多数ある。
真に「学、成りえた方」である。
冷や汗をかきながら、僧正のお部屋を退室して、改めて、わが身を思い「コーイン矢のごとし、、、」とつぶやく私だった。
また恐れ多くて、僧正の写真は撮れなかった。
カヤー州 ロイコーのホーヂィ僧院にて