モーラミャイン観光その②

モーラミャイン・チャイカミー・セッセー・ムドン
モーラミャインから車で2時間位の距離ではチャイカミーと呼ばれるパゴダがあります。地元だけではなく全土でも有名なパゴダです。願いが叶いますので、信じ深く祈っているといわれています。海のほとりで建てられましたため、雨季では水に囲まれたようになってしまいます。乾季では陸上が半分になります。
チャイカミーパゴダ全体
チャイカミーパゴダ全体
写真に通り、丘からパゴダの全体を見えています。ベンチも置いてあるため、ゆっくり鑑賞できる眺めが非常に素敵です。参道が2つで上からも下からも行けるように作っています。下の方が海の波がやってきますので、濡れていますが、滑ってないように敷いておきます。
チャイカミーパゴダへ参道
チャイカミーパゴダへ参道
チャイカミーパゴダの宿坊
チャイカミーパゴダの宿坊
10月、11月(ミャンマー暦によりタディンジュッ月)にチャイカミーパゴダ祭りを行っています。遠くからの参拝者が宿泊できるように宿も建てました。一部屋で1泊おを5000チャットです。


War Cemetery
War Cermetery
セッセービーチ
セッセービーチ
チャイカミーから帰りに寄れるセッセービーチ。ビーチですので、リゾートホテルがあると思えば間違ってしまいます。地元用で宿もありません。外国人用の観光場所としては魅力が落ちているかもしれません。
セッセーからタンピューザヤェッへ。
昔が町も村もなく、各方面から通って行った殆どの旅客がここで休憩をしていました。そして、1874年にモン族の家族がタンピュー【ブリキ】で作ったザヤェッ【休憩所】を建てました。その依頼、だんだん賑やかになってきて村のようになってきました。その後、ブリキの休憩所があったことで【タンピューザヤェッ】と名づけられました。
セッセーからタンピューザヤェッへ
そこの周辺には日本軍がタイへ結ぶため、泰緬鉄道を作らせたところで、今まで機関車が残っています。鉄道博物館もありましたが、が6年前から消滅しました。
(現地の運転手の話では、ガイドブックを持ってきた日本人客が本に載せた博物館がなくなったことに信じてなく、運転手に問題に取り込ませました。現地の市役所や警察官まで連れて行くように支持して、運転手も連れて行きました。但し、市役所や警察官の説明にも信じず、全ての人々が嘘つきだ、本に書いてたので絶対あると言いました。ホテルに戻った後でもホテルのスタッフ達にこの運転手が嘘つきで悪いと言ってたようです。当日の事件を話している運転手の顔がとても辛かった顔をしていました。)
ここからはムドン町に入ります。
ウインセイントォーヤ
ウインセイントォーヤとも呼ばれ、ビャインニッカウンとも呼ばれます。入り口の途中に托鉢している僧の像がずらりと並んでいます。森の中へ入ってた像もありました。丘で巨大な寝釈迦が建てられています。寝釈迦様の中も見学できます。以前が無かったですが、寝釈迦様の隣で遊園地のようになって若者達が遊びに来ています。その寝釈迦様を建てたお坊さんが人の時の名前が【ウインセイン】ですので、そのまま呼ばれています。
カマーウエッ
カマーウエッ。
102年前から立てられました僧院です。建物内には仏陀の遺物が置かれています。
上記の全箇所へ大体はゆっくり見るとしたら、1日位かかります。モーラミャインから早朝で出て、夕方5時ごろに戻れます。

「モーラミャイン観光その②」への1件のフィードバック

  1. AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0; GTB6.5; .NET CLR 2.0.50727; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729)
    タンピョーザヤに、2009年3月に行った時、
    実は私も博物館を捜しました。
    われわれはモーラミャインからオートバイを借りて
    行ってまして、地元の人にいろいろ聞いて、
    泰緬鉄道の終点の石碑や、そこでなくなった多くの外国人捕虜 タイ人 ミャンマー人の慰霊のためのパゴダ。
    そして そこから少しはなれたところに、当時の機関車が
    おいてあり、これらが博物館だという説明でした。
    昔は建物で博物館があったことは誰も記憶にないといわれましたが、、、
    よくわかりませんね、

Beder へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です