☆英国人の社交場ペグークラブ

ペグークラブ
次に驚いたのは、英国統治時代、英国人の社交の場だったパゴー(ペグー)クラブを初めて見つけた事だ。
 ダウンタウンから行くと国立博物館の一つ手前の路地を右に曲がると、ロシア大使館の無味乾燥な門扉の前に、パゴークラブは、その百年前の姿を残しつつ、朽ち果ててまぼろしのように陽光の中に佇んでいた。
一応警察官が詰め所にいたが、「撮影していいか?」と聞くと、「いいともいけないとも言えない」と弱弱しく言うので、2000KSを、手の中に押し込んで中にズンズン入っていって撮影した。
大きな玄関かホールのような建物が向こうに見えたが、数匹の犬がうるさく吠えるので、遠くからの撮影になった。どうもそこが入り口だと思うが犬が怖くて近寄れなかった。
ペグークラブ
多分英国時代は、ピィーロードから直接入れる構造だったのではと思う。そして思い出したのは、以前福岡在住のM女史(従軍慰安婦の研究家)から、ここが日本軍が占領時、ヤンゴン市内6箇所あった慰安所の一つだと聞いていたのだ。久留米から芸者衆も何人が来ていたと言う話である。
慰安婦のことを書いて思い出したのは、それより以前に明治時代に、1890年以降1920年代まで、ミャンマーの地に「から行きさん」と呼ばれる女性達が、累計すると数百人いたという。その中にはこの地で命を落とした女性も少なからずいた事と思う。
その人達の墓が、トレーダーズホテルの駐車場の横、スーレーパゴダ通りに面した今は有料トイレが設置してある場所にあったという話を聞いた。そんな一等地にと最初は信じられなかった。
最近読んだ土橋泰子先生の著書「ビルマ万華鏡」にも、ピィーロードとタムウェの2箇所に日本人墓地があり、1998年11月に、ミンガラドン地区に移転されたとある。
ペグークラブ
しかし、から行きさんの墓の話は、まるで聞いたことが無く、実はサクラタワーで歯科クリニックを開いている、博識のウ・トントントゥエに聞いたのだが、やは
り多くの日本人が、から行きさんを日本人墓地に入れたくなかったのではないかと推測できる。
死んでからも差別された女性達の遺骨は、果たして新しい日本人墓地に葬られたのだろうか?タムウェの元の日本人墓地は、かなり荒れ果てていたようで、私がミャンマーに来た1998年に移転されるまで、今現在去年2010年5月に大火事で燃えたミンガラー市場がその場所だったと聞いた。

「☆英国人の社交場ペグークラブ」への2件のフィードバック

  1. 日本の伝統番組とは何でしょう(●´ω`●)?

    藤丸です。何だかすっきりしない天気が続きます。今は夏なんでしょうか。やっぱり夏といえば!こんな感じですよね〜。さてさて宮崎あおいさんのダンナ様が、twitterで某テレビ局を…

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    英国時代の古き良き時代の建築物を発見出来て良かったですね。こうしてブログで見れて最高です。ペグーまで行かなくて見学できるなんて。

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