最後の王妃 スーパヤーラッとコーミンコーチン通り

コーミンコーチン通りkominkochimlan_yangon
「コーミンコーチン通り」
何てこと無い写真で失礼します。タクシーを止めてパチリと撮った1枚。
コーミンコーチン通りをずっと捜していた。日本大使館があるナッマウン通りに繋がるだけを手がかりに捜していたら、今までカバエーパゴダ通りだと思っていた、シュウェダゴンパゴダ東門の前の通りと交差するアタリから、シュウェゴンダインの交差点までの短い700米くらいをコーミンコーチン通りという事が分かった。
ビルマ最後の王朝コンバウンの最後の王ティーボーミンが妻や子供と、王都マンダレーの王宮を追放され、インドのボンベイの南ラトナギリに幽閉されたのは1886年の事。1916年にティーボー王が亡くなると、王妃は許されてマンダレーには帰れなかったものの、ラングーン(ヤンゴン)のコーミンコーチン通りに、亡くなるまで住んでいたという。 ほとんど100年前の出来事である。
直ぐ近くにあるシュウェダゴンパゴダが大きな慰めになった事だろう。
ティーボー王と王妃スーパヤーラッ
随分前、多分10年近く前に買ったBurmahという英文の写真集(スコットランドで上梓され、1855年から1925年のビルマを撮影)に、シュウェダゴンパゴダで撮影された、ティーボー王と王妃スーパヤーラッの写真を見つけた。写真集の中にもう1枚「王と王妃」と題した写真が彩色されポストカードになって掲載されていた。

やはり色ツキのほうがきれいだなぁと思って、見ているうちにこちらの写真は王夫妻ではない事が分かってきた。多分 モデルを使ってスタジオで撮られたものである。
王妃役もふくよかな美人で王もキムタクばりのハンサムである。王の役は当時超人気のミンター(役者)ポーセインではないかと思う。因みに、王子も役者(男)も、ミャンマー語では同じ「ミンター」と言う。王女と女優も同じで「ミンタミー」

王妃 スーパヤーラッは、コーミンコーチン通りの住まいで、何を見、何を感じて最晩年を過ごしていたのだろうか?

「最後の王妃 スーパヤーラッとコーミンコーチン通り」への3件のフィードバック

  1. AGENT: Mozilla/5.0 (Macintosh; U; Intel Mac OS X 10_5_8; ja-jp) AppleWebKit/533.21.1 (KHTML, like Gecko) Version/5.0.5 Safari/533.21.1
    ゴールデンハッピーの前の道がコーミンコーチンロードですよね?ホッポ食べたいです。

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    そうですね。ミャンマー語でシュエガウン ぽっぽサイン 
    多分ミャンマー国で一番お客の多い店だと思います。
    コウミンコウチン通り
    毎日通ってるんですが、1868年のに建てられたお寺がその通りにあるので、いつかお坊さんに会いに行って、王妃の住まいが何処だったか?
    聞いてみようかと思います。
    シュウェゴンダイン十字路から先は、ガバエパゴダ通りですが、ウヌー首相がカバエパゴダを建立した後に付いた名前でしょうから、いずれにしても1960年から後ですね。
    それまでは、、ガバエパゴダ通りは何と呼ばれていたのだろうか?
    いろいろ分からない事だらけで、
    友人はそんな事どうでもいいやんか!!
    といいますが、、、

  3. AGENT: Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 8.0; Windows NT 5.1; Trident/4.0)
    英国時代は、
    どうも
    チャーチル ストリートと呼ばれていたそうです。
    王妃は、 最後の最後まで浪費癖が直らず、当時のビルマ政府が
    借金の肩代わりを何度かしたと友人から教えてもらいました。
    又G&Gのカインさんから聞いた話、
    彼女の友人宅に スーパヤーラッが送った借金を頼む手紙が残っているそうです。
    それも見せてもらいたいな~

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