昔池だった場所を埋め立てて出来た広場。スーレーパゴダの北側に市庁舎、その東横にある建物は、英国時代デパートだった。この広場(フインチスクェア)にビクトリア女王の大理石の像があった。
1820年代のヤンゴンの古地図を見ると、スーレーパゴダは湿地帯に突き出た島のような丘の上に立っている。
その北側周辺は多くの寺院があった。そして、東と南方面は湿地帯、池のような状態で、さらに南にあるヤンゴン河に続いていた。その湿地帯が埋め立てられ、今現在のマハバンドゥーラ公園や市庁舎前の広場になっている。(ファインチスクェア)スーレーパゴダの北側にあった寺院は、都市計画の邪魔になるので、今現在のボージョーアウンサン市場の西側、タイェードゥ寺院がある場所や、それより北に移された。
サクラタワー20Fのスカイラウンジから撮影。南にヤンゴン河が見える。スーレーパゴダの裏側から東横は200年前は大きな池だった。
そして、東西に走る大通りは5本。北からボージョーアウンサン通り(西側をコミッショナーSt. 東側をモンゴメリーSt.)。アノーヤター通り(フレーザーSt.)。マハバンドゥーラ通り(ダルホージィSt.)。コンデー通り(マーチャントSt.)。カンナー通り(ストランドSt.)。( )内は英国時代の名称
街の記憶1 英国植民地時代のヤンゴン
パンソーダン通りを南(ストランド通り)に向かって撮影。英国時代に建造された壮麗な建築郡が今現在も、商業ビルや市役所の一部として活用されている。高い塔は港湾局。最近バスも新しいものが走行しているので、この写真だけでヤンゴンの街と分かる人はそんなにいないだろう。
1998年の3月から暮らし始めたヤンゴンライフも14年目になった。その間にもヤンゴンの街並みは、猛スピードで変化し続けている。NHKワールドプレミアを今年の2月まで受信していた。テレビばかり見ていて引き篭もりのような生活が続いたので、受信をやめた。
番組の中でブラタモリが秀逸だった。今の東京の街角を、江戸時代は明治の初期はどうだったかを、タモリが実際に路地を歩き、時にCGを使った再現映像で検証して行く、非常に興味深い番組だった。
このヤンゴンも特にダウンタウンと呼ばれる碁盤の目のような街並みは、英国統治時代に整備されたもので、ヤンゴン外大で2年学び、その後ロンドンで1年間留学生活を送った友人が、「変な話だけど、ロンドンってヤンゴンに似てる。実際は逆なんだろうけどね。ロンドンから来た人達が作り上げた街だから似ているのはあたりまえかも」と言っていた。
港湾局の建物を、ストランド通りより北に向かってシャッターを切った。最近減少してきたサイカーが客も乗せずに通っていた。
例えば、近所に新しいUNITEDショッピングセンターがオープンした。徒歩で3,4分なのでよく利用する。しかし、この場所に以前は何があったのか曖昧模糊で、どうしても思い出せない。人の記憶力とは案外頼りないものである。
ヤンゴン(ラングーン)の英国統治時代を記憶している人達も、今は随分高齢者になられているし、話を聞いても記憶がはっきりしなかったり、明らかに間違っている事もあった。
ミャンマーは、1826年 1852年 1885年、3回の英緬戦争を経て完全に英国領に併合された。
この壮大なアールデコ用式の建造物は、ヤンゴン管区の裁判所。写真は実は裏側で、正面からしか入れない。ストランド通りも、真横にコンクリート製の新ストランド通りが今まさに建造中。
スコットランド出身の技術将校アレキサンダー・フレーザーと医者のウィリアム・モンゴメリーの設計によりラングーンの街造りが始まったのは、第2次英緬戦争以後で、1860年頃には土地整備が整い、1892年下水道の完
成をもって、当時「東洋の真珠」と呼ばれたラングーンという都市がほぼ出来上がった。
今も英国時代に建造された、瀟洒で堅牢な建物が市内あちこちに散見される。
「スパ」イン バガン
文化遺跡のバガンにはスパやマッサージなどはホテル内でできるようになっています。ただし、最近で新しくオープンしたお店ではスパもできます。名前はBlossom Spaです、ニューバガンに位置しています。料金は、ミャンマー式マッサージは【15ドル/45分】、オイルマッサージは【25ドル/1時間】、アロマセラピーは【35ドル/1時間】、フットマッサージは【20ドル/1時間】となっています。
また、スパのほか「The Roasted Bean Coffee Shop」も「City Bar」もあります。さらに、夜には伝統的な踊りや操り人形のショーを鑑賞しながらお食事もできます。ミャンマー料理、中華料理、西洋料理、タイ料理とアジアンが注文できます。
住所:No(25), Thiripyitsaya Quarter, New Bagan
電話:061-65099
出国税
以前、ヤンゴン空港出国税は外国人の場合は10ドルですが、ミャンマー人の場合は500チャットのみでした。但し、今年の7月1日からミャンマー人も外国人と同じ10ドルで変更することになります。
現在の実勢レートは1ドル/800チャット(6月27日のレート)ですので、空港税10ドルですと、8000チャットぐらいかかります。以前の500チャットと比べたら、16倍になってアップされました。
GSM携帯
ミャンマーでは携帯電話についてさまざななものが出ていますが、今までは電話や携帯のほとんどはミャンマー通信局より管理していましたが、今月の8日からGSM携帯電話を民間のお店で自由に買えるようになりました。契約金は50万チャットと手数料1500チャットを支払ったら15分間で取得できます。通話料はプリペイド式です。
今年中では全ての携帯電話の通話料はプリペイド式に変わる予定です。
ホテルの改造のお知らせ
この雨季でヤンゴン、バガン、インレー湖であるホテルは改造の工事を行っています。
:カンドジーパレスホテル
6月と7月に改装工事を行いますので、その間はホテルも休業することになります。
:トレーダーズホテル
7月から改造工事を行います。デラックス部屋のみ改造しますので、クラブ部屋などはご利用できます。改造工事は約4ヶ月間位かかります。
:バガン・ティリピサヤ・サンクチュアリ・リゾート
ティリピサヤ・サンクチュアリホテルは6月10日~7月10日まで改造工事を行います。その間はホテルも休業することになります。
:ゴールデンアイランドコテージ II
インレー湖のGIC IIホテルは5月から7月15日まで改装工事を行いますので、その間はホテルも休業することになります。
エアマンダレー航空の突然欠航について
ヤンゴンからバガン間の飛行機につきまして、お知らせです。
ヤンゴンからバガンはいつも早朝便で飛んでおります。(6:30発)と(8:00発)で飛んでおります。その中、エアマンダレーは451便(1100発-1225着)で丁度よい時間帯となっております。旅行シーズンですと、スケジュール通りで飛んでいるのは多いですが、今の時期であるローシーズンにはよく欠航となっております。
エアマンダレー航空の正式ホームページでは451便が運航すると記載しており、予約時にも運航と回答していただけますが、日にちが近くになってから飛行機は欠航ですと、突然に知らせが入ってきます。到着後で乗り継ぎ便で行かれる方には困らせることです。従いまして、信用が難しいですので、ご注意をしてください。
ヤンゴンとマンダレーの港
ヤンゴンの観光地となっているヤンゴン港。Wardan港、Pansodan港、Botataung港としてそれぞれが分かれています。朝はヤンゴンまで通勤して、夕方は対岸に帰っていますので、午前と午後は賑やかです。
同様、マンダレーにも港があり、Gaw Wein港とShwe Kyat Yet港です。Gaw Wein港は客船、船荷などが利用している所です。Shwe Kyat Yetは燃料タンク、木材などの船が中心で使っている所です。
生活が好きな方々には見て欲しいところです。
エアーカンボーザ(Air Kanbawza)航空
Photo by ミッジマ-ニュース
今年より誕生しましたエアーカンボーザ(Air Kanbawza)航空はもう一機の飛行機を増やして、7月の上旬でミッチナー(Myitkyina)とコッタウン(Kawthaung)へ運航する予定です。飛行機はATR-72-500で72席となります。
また、今年中に飛行機を2機増やして、モンユア、ホンマリン、プタオ、カレー、ラショー、チャイントン、タンドウェ、シットウエへ運航するプランです。
シンビューブウェ(得度式)に招かれて(4)
会場は村人でいっぱい。明け方まで延々とサインワインの演奏は続く。
得度式の次なるハイライトは、サインワイン(伝統音楽の楽団)である。 近隣の村からも村人が続々と主催者の家の庭に集まってきていた。ニ昼夜、夕方から演奏が始まり明け方まで演奏と、ハタと呼ばれるコメディアンの掛け合い漫才が、会場を爆笑の渦にしていた。
ミャンマーの伝統音楽の楽団サインワイン。ワインには取り囲むという意味がある。打楽器中心の楽団である。
今回の楽団は、2つの楽団がニ交代で演奏していた。学校が休みの時期(3月から5月いっぱい)なので、団員の子供だろうか12歳と10歳の兄弟が太鼓を受け持って、手馴れた手つきで演奏していた。
ジャッパタンの芸人通で出会ったテテモーさん。19歳の芸人さん。叔母が有名な女芸人で, その叔母さんの元12歳から修行しているとか。素顔も可愛い。
楽団の中心は、サインと呼ばれる円形の囲いの中に演奏者が座り、大きな物から順に19個もの太鼓が円形の内側に付けられていて、この楽器が楽団をリードしてゆく。今回の演奏者は、歌も歌えてハタとの掛け合い漫才もやり、何よりハンサムだったので、村の娘さん達にものすごく人気があった。
しかし、2007年の村には、このサインワインに加えて、ミンタミーと呼ばれる、女性の芸人さんが歌って踊って、ハタとの絡みも上手にこなして、村中の人が熱狂的に盛り上がっていた。
この地方の中心都市のジャッパタンには、芸人通りと呼ばれる場所があって、こんな祭りのためのサインワインや男芸人や女芸人の、芸能プロの事務所が並んでいる通りがあった。
テテモウさんの舞踏。歌も良し、踊り良し、愛嬌もあった。
2007年の時は、得度式の2日前にこの通りに私も一緒について、女芸人を捜しに行ったのだ。なんか少しすれた感じの女性が多い中で、19歳のテテモーという芸人さんが、とても感じが良かったので、2日間の契約を結んで村に来てもらった。
歌良し、踊り良し、姿良し、そして性格もいい人だった。主催者の(うちのスタッフの)両親から、いい人を選んでくれたと感謝された。こうして、二日間の得度式の最後は、王子様の剃髪である。頭を坊主にしてお寺に入り1週間から10日間、見習い沙弥(しゃみ)として修行に励むのである。