12月の中旬から1週間ほど旅に出ていた。ミャンマーの中央部にある村で、友人の弟のシンピューブエ(得度式)があるというので、風邪気味なので行くかどうか迷っていると、もう3人分のバスチケット買ってきたというので、30分で荷造りしてアウンミンガラバスターミナルにタクシーで駆けつけた。友人の従兄弟と3人でバスに乗り込むと、午後3時ジャストにバスは北に向かって走り出した。
このバスは冷房ががんがん効いているので有名で、寒いので毛布を用意している人もいた。私も靴下はいてジャンバー着て防寒対策を取っていた。14時間掛かって午前6時に霧のかかったジャッパッタンの町に到着した。村にはここから更にオートバイで1時間半かけて行ったが、まずはこのジャッパッタンの町を紹介しよう。町の人に聞いたら人口25万位と言う話で、YOMA BANKもあるし、わりあいに大きな町だ。
HAPPY NEW YEAR 2008!!
タナカ・ミャンマーを代表するお化粧
まるで日本語の「田中」と全く発音も同じですので、日本人にはなじみやすい言葉でしょう。ミャンマーの伝統的な化粧です。 子供は寝る前や学校に行く前に塗ります。ニキビが気になる若者も、就寝前にべったり塗ったりします。
女性は、田舎では普通に顔の化粧はタナカだけか、タナカの上にちょっと口紅を引いたくらいで完了です。また腕や手、首などにもタナカを薄く延ばして塗ります。
「オカマさんのステージショー」
乾季になると、あちこちでパゴダの祭りが開催され、アニェイと呼ばれる女芸人(ミンタミー)とハタ(コメディアン)のステージショーや、ミンター(男芸人)の華麗なるステージショーなどが華やかに開催されています。ここモーガウン・パゴダでは、なんとオカマさんのステージショーが人気を集めていました。歌あり踊りあり皆芸達者で、ハタを使わなくても自分たちで「笑い」も取っていました。
ミャンマーのパゴダ祭り
今ミャンマーは乾季です。涼しくて一番過ごしやすい季節です。この季節になると、ミャンマーの各地ではイロイロなパゴダ祭りを行われています。ヤンゴンにも市内から離れているモーガウンパゴダで祭りがあっています。普段は何もないところに屋台や夜店、喫茶店、レストラン、オカマのダンスショー、人力の観覧車、カラオケ店、一晩中上演する芝居が立ち並んでいます。夕方から賑やかになって、多くの人たちが並んでいるさまざまな屋台をのぞきながら、夜遅くまで祭りを楽しんでいます。
ミャンマーでXmasの雰囲気
結婚のシーズン
雨季が終わり乾季になりますと、結婚式のシーズンを迎えます。このおめでたい結婚式に、今までに25回くらい招待されました。中国系の結婚式、シャン族、ヤカイン族、軍人さんの結婚式、クリスチャン、回教徒、新郎新婦のどちらかが日本人の結婚式にも5回程出席したことがあります。また式場は、一流ホテルの大広間から有名なレストランを借り切ったり、街角にある仏教施設で行われたり、本当にさまざまな式を経験しました。
本日紹介する新郎新婦は、本当に庶民的な街角にある仏教施設で、親類や親しい人を招いた心温まる披露宴でした。新郎は弁護士の卵27歳、新婦はパンライン病院の看護婦さんだそうです。普通花嫁はメイクアップの専門の人(ほとんどオカマの美容師さん)が衣装からアクセサリー、新郎新婦2名のメイクを手がけるのが普通ですが、この2名の場合は新婦は自分で全てやったそうです。また、新郎も薄化粧されたり香水つけたりするものですが、この新郎の場合は本当に素顔で、「鼻毛くらい抜けよ!!」と声が掛かるほど普段通りの装いで、お客さんたちの周りを歩き回っていました。
「父王を越えるには (9万パゴダ)」
今回はバングラディッシュに隣接するヤカイン州の、古代都市ミヤウの遺跡の話である。その前に、ミヤウは英語表記でMrauk-Uと表記される。しかし、ミャンマー人はミヤウと呼んでいる。英語表記が現地の発音と合致していない典型的な例の1つである。ミャウでは15、16世紀中に多くのパゴダが建造され、パガンを除けばこれほどパゴダが点在する遺跡の町も他に類を見ない。シッタウン(8万)パゴダは、その中にあって最大規模のパゴダである。
今回 紹介するのはコウタウン(9万)パゴダ。ミンテッカ王が父王が建造した壮麗な8万パゴダをしのぐ為に、8万より大きい9万パゴダを建造した。いつの世にも、2代目と言うのは辛いもの。良くて当然、常に先代と比較される。また先代を超えたいという思いは、パゴダの大きさとなって現れた。壁のレリーフの仏像、回廊に配置された仏像9万体を擁していただろうが、私が初めてここを訪れた10年前には、地震で崩れ回廊も1部を除いて歩行もままならない有様だった。
しかし、1997年から始まった改修工事で今現在は、建立当時の壮麗な外観や回廊などもほとんど修復が終了していた。王として息子は父王を超えることが出来たのだろうか?
水田のある風景
写真はヤンゴンの隣町モン族の王都だったパゴーを過ぎたあたりです。マンダレーとパゴー・ヤンゴンとつなぐ幹線道路は、北の方から大きなチーク材を満載した大型トラックや、中国との国境の街ムセから出た、大量の中国製品を満載したトラックが轟音と共に下ってきます。
ヤンゴンからは海外から輸入された建築用の鉄材等を積み込んだトラックが行きかう、まさにミャンマーを南北に貫く輸送幹線道路です。 12月9日、バス旅の昼食の為に停車した店の前の水田には水が張られていました。雨季の「モウサパー(雨季米)」が刈り取られ、今度は「ヌイサパー」と呼ばれる乾季から暑季にかけての、二期作の田植えがもう直ぐ始まるところです。
「Glory of Emotion Art Exhibition 2007」
「Glory of Emotion Art Exhibition 2007」というアート展覧会をパークロイヤルホテルで今日より行っていました。ミャンマーでもっとも有名な画家10名(70歳以降)の絵画を展示していました。スポンサーはパークロイヤルホテルで、協力したのはオアシスアートギャラリーでした。8日~22日まで実演として描きます。