ヤンゴン物語

ヤンゴンミャンマー情報
小津安二郎監督の映画「東京物語」は、私が生まれた1953年に上映された名作で、日本映画の最高傑作と評価する映画評論家もいるらしい。私はこの「東京物語」を、15.6年前に見たと記憶する。その頃でも40年前の映画である。映画の中で話される日本語があまりに美しいので感動した。
田舎から年取った老夫婦が東京に出てくる。医者になっている長男や美容院を経営してている長女は、そんな両親をあまり面倒を見ない。一番心を尽くしてくれたのが、戦争で亡くなった次男の嫁で原節子演じる女性だったというストーリーだ。

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WALKING

カンドーチ湖周辺の様子です
Photoは、12月25日木曜日の午前6時少し過ぎの、カンドーチ湖周辺の様子です。金曜日、土曜日ともなるともっと人が多く、まるでお祭りのような騒ぎです。多分この歩道は、朝が一番人が通る道で、日中や夜などはめったに歩く人もいない。
毎朝、愛犬のルーシー(ダルメシャン)と、4.3kmほどあるこの湖の周りを一周している。ここに引っ越してきたのは9年前。その頃にはこんなに多くの人がWalkingなどやってなかったっと思う。これほど人が多くなったのは、3年くらい前だろうか、日を追ってゆくごとに人が増えて、早朝5時過ぎ未だ日の出前の薄暗いうちから人が歩き始めている。
私のように湖の直ぐそばに住む人は、このコースに来るのはたやすいことだが、かなり遠方から歩いてここまで来る人もいるし、車で来ている人たちも多い。またWalkingを日課にしている人たちを当て込んだ、商売人も早朝から食べ物の屋台、体重計を持ってきて体重を量ることでお金をもらっている人もいるし、スポーツウェアーを売っている人たちも多い。
スポーツウェアーといえば、以前は見かけなかった、シューズからパンツとかランニングシャツにいたるまで、完璧にスポーツスタイルの人も増えてきている。これだけ健康志向の人が多いのに内心驚いている。

耳のお医者さん?

まだまだ知らないヤンゴンがたくさんある。秘書のゾーミントゥン、ミャンマー人離れした顔をしている。獅子鼻、しゃくれたあご、鋭い眉、その割には鈍い感性。顔自体が異様なのでIRAQ(イラク人ミャンマーも英語と同じイラキと呼ぶ)と日ごろ呼んでいる。
辞めていった子やマレーシアに行ったスタッフなど全部あわせると、60人位いたろうか? 全て田舎出身の金も学歴もないスタッフに、日本語学校やコンピューターのスクールに行かせたり、美容の学校で学ばせたりして育ててきたが、大卒は3,4人しかいない。その数少ない大卒の一人がこのイラキである。感性は鈍いがよく働く。 粘着力があるので、交渉事など任せると大体良い結果に納まる。
そのイラキが2,3日前から、右の耳が聞こえないと言い出した。それで病院に連れてゆくことにした。すると、イラキの従兄弟でマネージャーを任せている奴が、「耳の専門の病院(タムエの近くにある)に行っても直らないよ。僕がいいところ知ってます」と車で30ST,の狭い路地に出かけた。
そこはビルとビルの隙間のスペースに5,6人の、免許をもたない医者モドキがたむろするクリニックスペースだった。 すでに、10人近い患者が来ている。はじめイラキの難聴は,私が4年前にかかった突発性難聴(中年男性におおく、浜崎あゆみで有名になった)だと思った。ストレスが原因といわれている、1ヶ月以内に治療するとかなりの確率で改善するそうである。私は日本への帰国が遅れ、今も左耳がほとんど聞こえない。
それで、日ごろ難しい仕事にイラキを酷使しているので、仕事のストレスからの突発性難聴と思っていたのだが、ここのモドキ先生、「こりゃひどいね。ものすごくたまっているよ。」と、細い金属の器具に脱脂綿をつけて耳の穴を掃除すると、黄色の膿のようなものが、どんどん付いて来る。
「わぁ~汚い」と言っているうちに、当のイラキが「あっ聞こえる」と叫んで、一件落着。ただ単に耳の掃除を全くやってなくて、膿や垢がたまって穴の中をふさぎ聞こえなくしていたのだ。私と同じ病気ではなかった事に、ほっとした。まだまだ知らないミャンマーが、たくさんあるのだ。

サヤーとウッレーの間

ミャンマーに漂着して早10年。ミャンマー人から本名で呼ばれる事は、ほとんどなくなった。G&G旅行社のマ・カインカインエーが、唯一私を本名で呼ぶ。他はほとんどがサヤーで済んでいる。サヤーは本来「先生」という意味だが、会社でも上司はサヤーで済まされる。またレストランなどでも、従業員はお客をサヤーと、呼んでいるようだ。
しかし、時々、道端で話しかけられる場合や、服などを買った店で「ウとかウッレー」と呼ばれることがある。意味はおじさんという言う意味で、年齢的にも立派なおじさんなので、別にウーと呼ばれることに不満がある訳ではない。
最初惑ったのは、サヤーとウーの違いである。ジョルダーノというファッション・メーカーがある。本社がタイの製品だか?香港だか知らないが、このメーカーも、ミャンマーに進出して10年、店舗も増え客はほとんどミャンマーの裕福層。
ここの女性店長は、絶対に私をサヤーと呼ばない。ウーである。☆他の服飾の店では、かなり年配のオーナーでも、私を「サヤー」と呼びかける店もあるのだ。サヤーという言葉の意味するものは、呼びかける者が「自分はあなたより下ですよ」という意味も含まれているし、より親しい場合に使われる。また、ウーという呼びかけが尊敬の意味が全然ないわけでもない。言葉ひとつの問題だがウーンなかなか奥深い。

ヤンゴンの霧


日曜日の朝、早く目がさめてきましたました。家の前から「モーヒィン」が降っていますと喜んで叫んだ声を聞きました。ベッドを離れ、早速玄関へ出てみました。涼しい~、気持ちいい~。外は白いショールでかけられたように霧がたくさん降っていました。乾期の匂いがしましたと思いました。

スパイダーマン イン ヤンゴン

スパイダーマン イン ヤンゴン
颯爽と空かけるスパイダーマン。
中国から入って来る海賊版のDVDで、スパイダーマン1,2.を見たと思う。ヒロインが魅力が無いことを除けば、なかなか楽しめた。ここミャンマーでも、スパイダーマンは人気で、子供服のデザインにそのままスパイダーマン・ファッションがある位だ。しかし、これも中国製か?
しかし、この空翔るスパイダーマン人形は、Made In Myanmarである。 目の前で3分から5分で作ってくれる。他に動物やミャンマーのナッ神なども得意のようだ。
この人形何で出来てると思いますか?見た目や手触りは、ゴムで出来ているよう、、、しかし、実は台所にあるものを使っているんです。答えは、小麦粉です。 色を付けてよく練って、まるで粘土のようになって、さまざまな形を作ることが出来るのです。

「サイクロンから2ヶ月たって」



ヤンゴンでは、すべてがサイクロンの以前に戻り、一見平静に見えます。 停電も今はすくないし、物価も少し高いですが、 一時期の馬鹿高さはなくなりました。年配のミャンマー人に聞いても、これほどのサイクロンは誰も経験が無いと言ってました。 
救援にヤンゴンから3,4時間の所を中心に3回行きました。 3回目の時に米を満載したトラックに同乗してきた人が、被災地12箇所を回ったという人でした。私が「一番ひどい地区はどこでしたか?」と尋ねると、「そりゃ~ラプタだよ。 村ごと無くなっているところもあるしね、ひどいもんだ。」と言っていました。去年の7月11日に41歳で急死したミャンマー1の人気スターのドゥエーが亡くなって丸1年になりますが、彼が亡くなったときも、葬式があった翌日には無許可で撮影した葬式の模様が、VCDやDVDになって市中で発売されていました。
今回の被災地の様子も、数日後にはVCDになって発売されていました。私は見ていませんが、見た人の話では死屍累々の映像が延々と続いていたそうです。近所の家に親戚の知り合いのラプタで被災した人が2名いるというので、話を聞きに行きました。モウ時間がかなりたっているので2名とも落ち着いていましたが、やはり話し出すと声を詰まらせたり涙が出てきたりしてました。 主に30歳代の男の人が語った話は、かなりショッキングな内容でした。
真夜中、一晩中雨と風がうなりながら吹き荒れて、 家ががたがた大きく揺れて一瞬で家が壊れて、妻と2人の娘一家4人が家の外に流されて、真っ暗闇の中彼は偶然体があった木の幹に、必死でしがみついたそうです。妻や娘の名前も呼び続けましたが、風の音が激しく、 喉のところまで水が来ていたそうです。 恐怖心と寒さとで、必死で木にしがみついていて、流れてくる木やいろいろなものが体にぶつかり、着ている衣類もほとんどなくなり裸に近い姿で30時間位木にしがみついていたそうです。 
何とか水かさが人が歩けるくらいまで下がって、近所を見渡しても、村の家々がすべて流され、 生存していたのは5,6人で椰子の実を割り「水」の代わりに飲みながら、夜は生存した人達と泥だらけの体をよせあって4夜すごし、5日目に救援されたそうです。

二つのパゴダ

ヤンゴン市内観光で見所です。
前にも紹介したかもしれない。久しぶりに友人宅に子供の誕生祝うパーティに呼ばれた。夫は58歳、妻は15歳若いが結婚して14年間も子宝に恵まれなかった。ミャンマー国中のパゴダに祈願したが、一向に妊娠しなかったそうだ。
4年前にヤカイン州のミヤウの古いパゴダに夫婦して祈願したら、その年に娘に恵まれ、次の年に長男にも恵まれたそうだ。この家の窓からこれ以上の景色は無いだろうと思われる、スーレーパゴダとシュエダゴンパゴダが同時に眺めることが出来る。
画面 左からスーレーパゴダ、FMIビル、シュエダゴンパゴダ、グランドミヤタホテル、トレーダーズホテル その手前が市庁舎

ヤンゴンの。。。黄昏時はさみしくて、

ヤンゴンの。。。黄昏時はさみしくて、
日が沈んでも、1時間近くヤンゴンの街並はあかるい。この何か不思議な明るさのぼんやりした時間が好きで、近くのインド人がやっているサテンで、ゆっくりぬるいコーヒー等飲んでいる。
今季節は、猛烈なスピードで乾季(涼季)から暑季に移行している。明け方少し涼しかったりしても、太陽が顔を出すと午前中から気温がぐんぐん上がってゆく。正午から午後3時くらいに、外に用事で出かけたんだが目まいがするほど暑かった。

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今 ヤンゴンは、、、。(雑記)


日本に帰っていた。1ヶ月ぶりに、ヤンゴンからブログをしたためている。ヤンゴンは快晴、平穏無事、事もなし。
1月28日(月) 乾季のど真ん中、雨季までまだ4ヶ月もあるというのに、異常気象か雨が降った。前日には12月からのブログで紹介している、ミャンマーの中央部のジャッパタンで雨が降ったと、現地の友人から電話が入っていた。天気予報も「ヤンゴンでも雨が降る」という知らせだったが、その通りになった。

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