サロン(モーケン)のライフを撮影した映画

サロン(モーゲン)のライフを撮影した映画
有名な監督4人でサロン(モーケン)のライフを撮影した映画は2009年よりメイクアイランドの近く、ワーキュン村、サロン俗は一番住んでいるマジョンカラッで撮影をしました。最近は映画を都会と近い所で撮影しているのは多いですが、だんだん発展しているサロン族の生活やミャンマーにある様々な少数民族のことを世界中で知らせたいという目的でそこで撮影をしましたと監督は言いました。撮影時間は33日間かかります。主役としてLu Min、 Wei Lu Kyaw、 Min Ye Sat、Hanlayの俳優達は演じました。今年中で上映する予定です。タイトルは「Pinle Htet Kha Nay Wunn Ni」。意味を訳すと、海に輝く太陽です。

ミャンマーで一番美しい町はどこでしょう?

タウンドゥインヂーからネーピドゥに向かう、旧街道。並木道が続く。
タウンドゥインヂーからネーピドゥに向かう、旧街道。並木道が続く。
マグエ(マグエ管区)から山越えしてネーピゥ(マンダレー管区)に行く、山中 バイオエネルーギーに使われる植物(ジェッスーピン)が植えられていた。
マグエ(マグエ管区)から山越えしてネーピドゥ(マンダレー管区)に行く、山中 バイオエネルーギーに使われる植物(ジェッスーピン)が植えられていた。
マグエからネーピドゥまで鉄道でもいけるが、1日1本しか動いていない。
マグエからネーピドゥまで鉄道でもいけるが、1日1本しか動いていない。
立ち並ぶホテルのような公務員宿舎。
立ち並ぶホテルのような公務員宿舎。
ヤンゴンでも見たことがないような近代的なガソリンスタンド
ヤンゴンでも見たことがないような近代的なガソリンスタンド
大きなショッピングモール 食料品 衣料品 バッグ 化粧品 レストラン 美容院 2Fにはゲームセンター・映画館まである。
大きなショッピングモール 食料品 衣料品 バッグ 化粧品 レストラン 美容院 2Fにはゲームセンター・映画館まである。
修復中の巨大パゴダがあったタウンドゥインヂーからネーピドゥまでは、なだらかな低い山を少し上っては少し下り、だらだらと右に左に回りながら4時間山中をジープで巡りながらたどり着いた。
マグウェからだと西から東にネーピドゥまで6時間の行程である。しかし、普通 ヤンゴンからネーピドへは車やバス、鉄道で行く場合は、マンダレー街道を行くだろう。もちろん、飛行機が一番便利である。
今 ミャンマー好きの方に質問をしてみたい。「ミャンマーで一番きれいな町はどこか?」
普通、ピンウールイン(マンダレー管区)とか名前が挙がるだろう。ミッチナー(カチン州)もチャイントン(シャン州)も街中に花があふれなかなかきれいな町だった。しかし、新しく出来上がった、全く人工の町ネーピドウの美しさは何なのだろうか?
まるで外国に来たようである。公務員や軍で働く人たちの宿舎は4階建ての瀟洒なホテルのような建物、道路は8車線しかも、ミャンマーではここでしか見られないほど、中央分離帯に近代的な街灯が果てしなく立ち並んでいる。アメリカ映画でも見ているようである。
大きなショッピングモールの中には美容院、2階には映画館もあった。大きな公園、博物館、シュエダゴンパゴダに似せた黄金のパゴダ。(本物よりわずか4,5センチ高いとか)更にスケートリンクまで出来るとジャーナルには出ていたが。アイスではなくて、ローラースケート場だろう。しかし、なんとなく全体として殺伐とした人工的な印象はぬぐえない。
ただぴろい町でタクシーもない。車かオートバイがないと生活ができない町である。旧市街 ネーピドゥと名が変わる前のピンマナーに入ってゆくと、ミャンマーのどの町でも見られる猥雑感や、ごみごみした小さな建物を見て少しほっとした。
ネーピドゥのホテルは、ホテルゾーンというところに一箇所に集められていて、ピンマナーにある旧来のホテルには外国人は宿泊できないこともわかった。
それで、町の人にホテルゾーンのホテルはいくら位するのか聞くと、最低90ドルから120ドルというので、ネーピドゥでの宿泊をあきらめて、隣町まで車を飛ばし、5ドルの出来たばかりのゲストハウスに泊まった。
ヤンゴンに戻ってから、ネーピドゥにも40ドルクラスのホテルがあることを教えられたが、あのドアがよく閉まらなかった5ドルの部屋も忘れがたい。
その隣町から、ジープで10時間くらいかかってヤンゴンに戻ってきた。今年初めての5泊6日の旅が終わった。(2010年 1月)
☆G&Gのスタッフからの注意 今現在 ネーピドゥは観光の入域許可が下りません。バスや車で通過する事は可能です。

なぞの巨大パゴダ 

カンドーヂ湖でつり
カンドーヂ湖でつり
ヤンゴンからマグエまでバスで、13時間。そこから友人のジープで、東に1時間半でベイタノー遺跡。そしてさらに30分で、 タウンドゥインヂーという古い町についた。町の名前は「山に囲まれたその中」という意味を持つ。この町に修復中(2012年完成予定)の巨大パゴダがあった。
町の名前自体が、「地球の歩き方」にも「lonely planet」にも記載されていない。
このパゴダは、正式名アウンミン・ゼーヤーミャッヂー・ゼーティであるが、町の人はヤカインパゴダと呼んでいる。
元々のパゴダ先端
元々のパゴダ先端
完成模型
完成模型
ヤカインパゴダ
ヤカインパゴダ
歴史的にも規模的にもミャンマー有数のパゴダである。パガンのものより大きいし古い。年代は9世紀か?
パゴダの事を紹介したパネルがあったので、読んでみた。完成年度が1373年になっている。これはビルマの年号で書かれているので、1373年に639年を足して西暦2012年になる。
同じように建立された191年は、西暦に直すと830年ということは、パガンにあるパゴダ群(11世紀から13世紀)よりも古いパゴダということになる。
高さは、252ペイ(1ペイは1Feet) 75.6メートルになる。パガンで一番高いダヌービュパゴダが60メーター、2番目のゴードパリンパゴダ55メートルである。
歴史的にも、大きさ的にもミャンマー有数のパゴダになると思う。(ミャンマーで一番高いパゴダは、パゴーのシュエモードー・パゴダで114メートル。ミャンマーで一番有名なシュエダゴンパゴダ99メートル)
後先端の部分を残して修復がかなり進んでいる。ヤカイン族の姫様が、(山ひとつ西に行けばヤカイン州)
このタウンドゥインヂーの豪族に嫁ぎ、寂しくないように高いパゴダから故郷のヤカインが眺められるようにと、姫様の父王が建造させたという。
偶然立ち寄って15分20分間で修復中のパゴダに登り、修復現場の役人にあわただしく話を聞いたので、多少間違いがあるかもしれないが、相当古いヤカイン族のパゴダである事は確かだと思う。
カンドーヂ湖
カンドーヂ湖
その後、タウンドゥインヂーの町を車で1周した。カンドーヂ湖とヤンゴンにも王族が造った湖があるが、同じ名前の湖? 池があった。木製の風雅な太鼓橋があり、のんびり釣りをしている人々がいた。
そしてこの古い町からネーピードゥまでは、なだらかな低い山を、少し上っては少し下右に左に回りながら4時間山中をジープで巡りながらたどり着いた。
マグウェからだと、ネーピードゥまで6時間の行程である。

マグウェ

鬼のレリーフシャン様式のジャンドーヤ・パゴダ
鬼のレリーフシャン様式のジャンドーヤ・パゴダ
シュエセッドー
シュエセドー(2009年10月)
幻の町
シュエセドー 幻の町 (2010年 1月)
よほどの物好きでない限り、マグウェまで足を伸ばす人はいないだろうが、、宿泊したホテルには、フランス人の女性2名と、オーストラリア人の若い男子3名が、翌日車をチャーターして一緒にパガンまで行くと言っていた。、
マグウェの川向こう(ミャンマーNO1の大河エーヤーワディ河に架かるミャンマーで2番目に長いマグエ橋でミンブーと結ばれている)ミンブーには古いパゴダガたくさんあり、町の歴史の深さを物語っている。ナガープワッ(竜の地)と言われる、北海道にある昭和新山までは行かないが、マグマで押し上げられた灰色の丘もある。
ミンブーの北プインピューに、ジャウンドーヤというシャン様式の古いパゴダがある。このあたりまでパガン時代から稲作が盛んで、エーヤーワディ河沿いに南下したこの地帯と、北はミンジャンの稲作地帯、この北と南の稲作地帯(王族や僧院の荘園)の中間に位置するパガンに都を定めたと大野徹先生の説である。
*「なぞの仏教王国 パガン」大野徹著 NHKBOOK   
前回(2009年10月)も今回(2010年1月)もマグエまでは、1人でバスで来た。13時間くらいかかっただろうか? 2009年8月に行ったマンダレーへのバスがキンキンに冷えたバスだったので、冷房対策で靴下やジャンバーの用意もして来ていたが、マグエへのバスは25年位前の日本の中古バスで、冷房はとうに壊れていた。夕方5時出発の深夜バス(長距離のバスは普通夜走行する)で、途中3回ほど休憩が入り、トイレや軽食を取ることもできる。 なので長距離バスに乗ると3,4時間に一度は起こされるので、熟睡はできない。
マグエで友人(日本人男性)とお供のビルマ人2名と合流し、ヤンゴンに戻るまで友人が購入したばかりのダゴンエースというジープで行動した。
ミャンマー人が一生のうちに一度は行きたいシュエセッドー・パゴダも、前回10月には無かった川原に幻の町が出現していた。
以前祭りは3月と聞いていたので、何も期待しないで友人が行きたいというので同行しただけだったが、実は祭りは1月17日から5月まで開催されるとかで、「幻の町」が急ピッチで建造されていた。清流の砂と石ころ以外は何も無い川原が1週間で町に変身する。すでに来ている参拝者もいた。
祭り期間中は1万人の町になるという。長さ12メートルほどの橋も4箇所すでに造られていた。
そして祭りが終わるとすべて取り壊される。故に期間限定の「幻の町」といわれる所以である。
きちんとした計画もしないで行った旅だったが、思いがけず収穫の多いものになった。

ベイタノー遺跡 

ベイタノー遺跡 
ベイタノーの遺跡のすぐ近くでは、牛の市が開かれていて、大きな牛は25万ks(25000円)で売り買いされていた。
ベイタノーの遺跡のすぐ近くでは、牛の市が開かれていて、大きな牛は25万ks(25000円)で売り買いされていた。
ベイタノー遺跡 
今回のマグウェからネーピドゥを回る旅の中で、目玉というか目的は、ビルマ族がこのミャンマーという土地に出現する以前に栄えたピュー族の遺跡ベイタノー(2世紀から4世紀)に行くことだった。
ピーと言う町にもピュー族のタイェキタヤ遺跡があるが、こちらはずいぶん前に2回行ったことがある。ベイタノー遺跡には、新しく博物館も建てられていて、外国人料金5ドルを支払って館内を30分くらい見て回った。入場者名簿にちょうど1年前に日本人女性の名前が書かれていた。
話は少し変わるが、(2010年3月10日頃) 衛星放送で中国の「大理」を紹介していた。1200年前に南ショウ国の都だったと。このナンショウ国が9世紀に南下してミャンマーに攻めてきて、滅ぼしたのがピュー族の城塞都市とモン族の都であるといわれている。
しかし、13世紀にやって来た元寇(モンゴル)もそうであったが、このナンショウも、長居はせずに自国に早々と戻って行った。今の昆明にピュー族の捕虜3000人を連れていったという。
遠い昔、騎馬民族のビルマ族は、そもそもナンショう軍の斥候セッコウ(敵の地形や軍備の情報を調べる役目)や先導を担っていたという。 それで、9世紀後半ナンショウが引き上げて政治的空白地帯になったミャンマー北部から中部にかけて、先に定着したシャン族を避けて南下して来たといわれている。
ベイタノーの博物館には、出土したコインの写真はあるが、実物はない。つぼや土器も日本の縄文時代のものと大差がない、日干し煉瓦でできた城壁、ピュー族はどんな民族で宗教は何だったんだろうか? どんな衣装を着て何を食べていたのだろうか?興味は尽きない。
2009年の12月に行ったカヤー州の山岳地帯の民族にも、元ピュー族だと自称する民族がいるという。この自称ピュー族の末裔というのは、日本の平家の落ち人伝説のように、この国各地に根強く残っている。
この旅から戻ってきた時に、ビルマ族の友人の一人が、もうじき「ピュー族とその文化」という本が出版されるというニュースを教えてくれた。一般のミャンマー人もピュー族については、ほとんど何も知らない。この本が出たら早速辞書を引き引きゆっくり読んでみようと思う。