マグウェ

鬼のレリーフシャン様式のジャンドーヤ・パゴダ
鬼のレリーフシャン様式のジャンドーヤ・パゴダ
シュエセッドー
シュエセドー(2009年10月)
幻の町
シュエセドー 幻の町 (2010年 1月)
よほどの物好きでない限り、マグウェまで足を伸ばす人はいないだろうが、、宿泊したホテルには、フランス人の女性2名と、オーストラリア人の若い男子3名が、翌日車をチャーターして一緒にパガンまで行くと言っていた。、
マグウェの川向こう(ミャンマーNO1の大河エーヤーワディ河に架かるミャンマーで2番目に長いマグエ橋でミンブーと結ばれている)ミンブーには古いパゴダガたくさんあり、町の歴史の深さを物語っている。ナガープワッ(竜の地)と言われる、北海道にある昭和新山までは行かないが、マグマで押し上げられた灰色の丘もある。
ミンブーの北プインピューに、ジャウンドーヤというシャン様式の古いパゴダがある。このあたりまでパガン時代から稲作が盛んで、エーヤーワディ河沿いに南下したこの地帯と、北はミンジャンの稲作地帯、この北と南の稲作地帯(王族や僧院の荘園)の中間に位置するパガンに都を定めたと大野徹先生の説である。
*「なぞの仏教王国 パガン」大野徹著 NHKBOOK   
前回(2009年10月)も今回(2010年1月)もマグエまでは、1人でバスで来た。13時間くらいかかっただろうか? 2009年8月に行ったマンダレーへのバスがキンキンに冷えたバスだったので、冷房対策で靴下やジャンバーの用意もして来ていたが、マグエへのバスは25年位前の日本の中古バスで、冷房はとうに壊れていた。夕方5時出発の深夜バス(長距離のバスは普通夜走行する)で、途中3回ほど休憩が入り、トイレや軽食を取ることもできる。 なので長距離バスに乗ると3,4時間に一度は起こされるので、熟睡はできない。
マグエで友人(日本人男性)とお供のビルマ人2名と合流し、ヤンゴンに戻るまで友人が購入したばかりのダゴンエースというジープで行動した。
ミャンマー人が一生のうちに一度は行きたいシュエセッドー・パゴダも、前回10月には無かった川原に幻の町が出現していた。
以前祭りは3月と聞いていたので、何も期待しないで友人が行きたいというので同行しただけだったが、実は祭りは1月17日から5月まで開催されるとかで、「幻の町」が急ピッチで建造されていた。清流の砂と石ころ以外は何も無い川原が1週間で町に変身する。すでに来ている参拝者もいた。
祭り期間中は1万人の町になるという。長さ12メートルほどの橋も4箇所すでに造られていた。
そして祭りが終わるとすべて取り壊される。故に期間限定の「幻の町」といわれる所以である。
きちんとした計画もしないで行った旅だったが、思いがけず収穫の多いものになった。

ベイタノー遺跡 

ベイタノー遺跡 
ベイタノーの遺跡のすぐ近くでは、牛の市が開かれていて、大きな牛は25万ks(25000円)で売り買いされていた。
ベイタノーの遺跡のすぐ近くでは、牛の市が開かれていて、大きな牛は25万ks(25000円)で売り買いされていた。
ベイタノー遺跡 
今回のマグウェからネーピドゥを回る旅の中で、目玉というか目的は、ビルマ族がこのミャンマーという土地に出現する以前に栄えたピュー族の遺跡ベイタノー(2世紀から4世紀)に行くことだった。
ピーと言う町にもピュー族のタイェキタヤ遺跡があるが、こちらはずいぶん前に2回行ったことがある。ベイタノー遺跡には、新しく博物館も建てられていて、外国人料金5ドルを支払って館内を30分くらい見て回った。入場者名簿にちょうど1年前に日本人女性の名前が書かれていた。
話は少し変わるが、(2010年3月10日頃) 衛星放送で中国の「大理」を紹介していた。1200年前に南ショウ国の都だったと。このナンショウ国が9世紀に南下してミャンマーに攻めてきて、滅ぼしたのがピュー族の城塞都市とモン族の都であるといわれている。
しかし、13世紀にやって来た元寇(モンゴル)もそうであったが、このナンショウも、長居はせずに自国に早々と戻って行った。今の昆明にピュー族の捕虜3000人を連れていったという。
遠い昔、騎馬民族のビルマ族は、そもそもナンショう軍の斥候セッコウ(敵の地形や軍備の情報を調べる役目)や先導を担っていたという。 それで、9世紀後半ナンショウが引き上げて政治的空白地帯になったミャンマー北部から中部にかけて、先に定着したシャン族を避けて南下して来たといわれている。
ベイタノーの博物館には、出土したコインの写真はあるが、実物はない。つぼや土器も日本の縄文時代のものと大差がない、日干し煉瓦でできた城壁、ピュー族はどんな民族で宗教は何だったんだろうか? どんな衣装を着て何を食べていたのだろうか?興味は尽きない。
2009年の12月に行ったカヤー州の山岳地帯の民族にも、元ピュー族だと自称する民族がいるという。この自称ピュー族の末裔というのは、日本の平家の落ち人伝説のように、この国各地に根強く残っている。
この旅から戻ってきた時に、ビルマ族の友人の一人が、もうじき「ピュー族とその文化」という本が出版されるというニュースを教えてくれた。一般のミャンマー人もピュー族については、ほとんど何も知らない。この本が出たら早速辞書を引き引きゆっくり読んでみようと思う。

ヤンゴン/バガンの列車

ヤンゴン/バガンの列車
ヤンゴンからバガンへの列車は本日より運航開始しました。寝台は2車両、座席のFirst Classは1車両、エアコン無しのSecond Class 座席は2車両、食堂は1車両、荷物は1車両があります。
料金は以下のようになります。
Sleeper(Special.I) 【US$ 50】
Sleeper(Special.II)【US$ 50】
First Class Seat 【US$ 40】
Second Class Seat 【US$ 30】
Sleeper(Special.I)
Sleeper(Special.I)
仕切り客室(コンパートメント)の種類です。1車両に4人部屋の4室が入ります。2段ベッドで、シーツと毛布が備えられています。設備は4人部屋に個室のエアコン、トイレが付いています。
Sleeper(Special.II)
Sleeper(Special.II)
片側通路式寝台車です。1車両に4人部屋の4室が入ります。 2段ベッドです。設備は個室のエアコン、トイレとシャワールームが付いています。
First Class Seat
First Class  Seat
座席車の料金で乗れる設備としては、それぞれ一部の列車に、リクライニングシートを装備しました。エアコン付きで1車両に40席が入っています。
Second Class Seat
Second Class Seat
エアコン無しで1車両に62席が入り、2両ですので、合計124席が入ります。
食堂車
食堂車
Sleeper(Special.I)はコンパートメントですので、走行中は食堂まで行く事はできませんので、事前に食べ物などを買っておく必要があります。

観光用の地図

ミャンマー全土、ヤンゴン市内、バガン、マンダレー の地図が必要な方には無料で差し上げてます。
広告はあまり取れてないため、新しい地図の出版は遅くなっていましたが、やっとミャンマー全土、とバガンの新しい地図が発行しました。料金は少し上がりましたが、エリアの情報も載せています。ヤンゴンの地図は6月に出版する予定です。 

グエサウンビーチの10周年目

グエサウンビーチの10周年目
2000年3月に開きましたグエサウンビーチの10周年記念を3月25、26、27日の3日間かけて行う予定をしています。記念の行事として26日にビーチミニサッカーの決勝試合、午後にはミス・グエサウン(Miss. Ngwe Saung)コンテストを行います。27日の夜には有名なサインサインカンライン歌手を初め、若者のビーチステージショーも行う予定です。行事する場所はBay of Bangle hotelと近いになります。3日間の期間中に砂浜では様々な店舗も出ます。観光シーズンもなっているため、バスはほぼ毎日の朝(0600時)にヤンゴンを出て、グエサウンから(1000時)に戻っています。通常の日程は2泊3日です。

ヤンゴン/バガン直行列車

ヤンゴン中央駅
ヤンゴン中央駅
しばらく、直行の列車がなくなったバガンへ3月より直行の列車を走る予定をしております。Tourist Trainと名づけた列車はSpecial Sleeper(特別の寝台車)、Sleeper(通常の寝台車)、Upper Class(エアコン付き座席)、Ordinary Class(エアコン無しの座席)で構造されています。
Special Sleeprは家族用の目的で作られ、プライベート用のトイレやシャワー室が付いています。Sleeperはシャワー室とキッチンが付いています。もちろん、エアコンもあります。
なるべく早めに進行する予定ですが、日にちや料金はまだ確定になっていません。値段も大体は50ドルからになる予定です。
ヤンゴン発(16:00)- バガン着(翌朝9:30頃)
バガン発 (16:45)- ヤンゴン着(翌朝10:30頃)
Yangon - Pyay - Kyauk Padaung - Bagan のルートで進行します。後ほど、料金等を記載させていただきます。

JAPANESE FOOD PROMOTION

JAPANESE FOOD PROMOTION
3月8日にヤンゴンのパークロイヤルホテルのグランドボールームで日本食の販売促進を行います。シンガポール、Pan Pacificの『Keyaki』日本レストランのシエフ、Hiroshi Ishii様が腕を振るうイベントです。着物の着用する方法も実演します。その後、9日から14日まではホテルの『しきてい』レストランで楽しめます。主催はKOSEです。チケットをPark Royal Hotelの『しきてい』日本レストランにて取得できます。和食の食べ放題を楽しみ!!
LAUNCHING DINNER – 8 MARCH 2010
6:00PM at Grand Ballroom
一人/US$ 32(食べ放題)

ベトナム航空会社よりヤンゴンへ直行便

ベトナム航空会社よりヤンゴンへ直行便
2010年3月2日にてベトナム航空会社よりハノイからヤンゴンへ直行便を運航する予定です。ベトナムの観光業界も発展しておりますので、ミャンマーまでお足を運びたい観光客のためはとても便利になって来ると思います。現時点では週4回で運航する予定で、スケジュールは以下のようになります。
運航日
(火・木・土・日曜日)
時刻表
ベトナム航空 VN-701便 ハノイ発 (16:10)- ヤンゴン着(18:10)
ベトナム航空 VN-700便 ヤンゴン発(19:10)- ハノイ着(21:30)

モーラミャインの北京(ペキン)

今も現役のインド製の三輪車
今も現役のインド製の三輪車
トラックを改造した市内バス
トラックを改造した市内バス
モーラミャイン港
モーラミャイン港
モン州のモーラミャインは、タンルイン側の河口付近に発達した活気のある町である。(本当の河口はまだまだ先)ミャンマー関係の本で、第2次世界大戦後に、捕虜になっていた多くの日本兵がこの港から日本に帰還した話を読んだ記憶がある。
今回気付いたのはどの地方都市でも、サイカーが減りオートバイが増えている。 ミャンマー中央部や北部は中国製のオートバイ、ここ南部の都市モーラミャインは、隣接しているタイのバイクが多いそうだ。
ミャンマーの国の形は、ひし形で南に向かってエイのヒレのような尾が細く、タイと国境を接しながら続いている。これらの地方の日用品なども当然タイ製品が多い。モーラミャインでは、タンルイン河の川べりに立つゲストハウスに宿をとった。
昼過ぎに、シャンプーアイランドと呼ばれる島に渡った。モーラミャインホテルのすぐそばに渡し場がある。その横にはタンルイン川に架かるミャンマー最長のモーラミャイン橋が銀色に光りながら対岸のモッタマに向かって長く伸びている。
小船で5分で島に着いた。小さな島全体が僧院になっていて、さまざまな形のパゴダをめぐる庭園があり、たくさん犬が飼われていた。
モーラミャインには、昔私のところで働いてくれたミャンマー人のスタッフが3人くらい住んでいるので、何とか連絡を取ろうとしたが、ホテル、レストランどこもかしこも電話が故障中。
それでやっと通話ができる電話器を見つけてかけてみたら、今度は向こうの電話が故障中で連絡がつかず、結局再会は叶わなかった。
食事の事であるが、ミャンマーでの女性の評価としてバゴーの「カカア天下」、モウラミャインの「料理上手」と聞いたことがあるが、しかし、モーラミャインでの食事はどこもまずかった。
特にひどかったのは、「ペキン」という店である。
7年前にも来た事がある。ペキンダックが売り物で北京から名をとったのだろう。その当時は満席であった。そこそこおいしかった記憶があるが、値段は外国人料金、かなり高かったと思う。
今回久々に行ってみると。お客はいない。ウェーターもいない。 やっとオーダーを取りに来たので注文したものの、何かいやな予感がした。
案の定、これ以上まずく出来ないだろうという、私のミャンマーでとった食事中最もまずい料理、いや料理といえる以前のものが出てきた。
全員ほとんど食べずに店を出たと思う。翌日 ちょうど北京の前にあるルビーというレストランに行った。ルビーレストランは、よくはやっていたし、味もそこそこおいしかった。そして客はゼロでド暇のペキン・レストランが目の前に見える。と言うことはペキンの方からもルビーが見えているはず。
悔しいと思わないのだろうか?
そして7年前にあんなに忙しい店だったペキン・レストラン。もう1度忙しい店にしたいという望みはないのだろうか? 余計なことだけど、、、、、
腕のいいコックを探してきて、店を少しこぎれいに改装して、新聞広告などでリニューアルオープンとか広告を打って、やり直せるのに、、、、なんて考えていた。 ここミャンマーだって、流行る店にはお客が多い訳があるのに。