12月は外国人観光客だけではなくミャンマー人旅行者も多い時期です。ローカル用の観光バスを利用してビーチへ行ったり、様々なパゴダを巡礼したりで賑やかなシーズンになっています。そこでチャイティヨー(ゴールデンロックパゴダ)へ行く人々も少なくないです。非常に多いため、寝る所がなくてパゴダの広場に寝る人も多いです。写真はチャイテーヨーパゴダへ社員旅行で行った時に撮影した夜の風景です。
WALKING
Photoは、12月25日木曜日の午前6時少し過ぎの、カンドーチ湖周辺の様子です。金曜日、土曜日ともなるともっと人が多く、まるでお祭りのような騒ぎです。多分この歩道は、朝が一番人が通る道で、日中や夜などはめったに歩く人もいない。
毎朝、愛犬のルーシー(ダルメシャン)と、4.3kmほどあるこの湖の周りを一周している。ここに引っ越してきたのは9年前。その頃にはこんなに多くの人がWalkingなどやってなかったっと思う。これほど人が多くなったのは、3年くらい前だろうか、日を追ってゆくごとに人が増えて、早朝5時過ぎ未だ日の出前の薄暗いうちから人が歩き始めている。
私のように湖の直ぐそばに住む人は、このコースに来るのはたやすいことだが、かなり遠方から歩いてここまで来る人もいるし、車で来ている人たちも多い。またWalkingを日課にしている人たちを当て込んだ、商売人も早朝から食べ物の屋台、体重計を持ってきて体重を量ることでお金をもらっている人もいるし、スポーツウェアーを売っている人たちも多い。
スポーツウェアーといえば、以前は見かけなかった、シューズからパンツとかランニングシャツにいたるまで、完璧にスポーツスタイルの人も増えてきている。これだけ健康志向の人が多いのに内心驚いている。
「ビルマの竪琴」水島上等兵のモデルが死去
アウンラン町にあるマガネのパゴダ
ピィーの市外にある慰霊塔
『「ビルマの竪琴」水島上等兵のモデルが死去 』という記事を見つけた。
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竹内道雄の小説「ビルマの竪琴」の主人公、水島上等兵のモデルとされる僧侶、 中村一雄さんが 17日、老衰で死去した。92歳だった。13歳で仏門に入り1938年に応招。インパール作戦などに参加し終戦をビルマで迎えた。中村さんの所属していた部隊にオーケストラ団員がいたことから編成されたコーラス隊で「埴生の宿」などを歌い、捕虜や死者の魂を慰めた。小説は、中村さんと同じ部隊に所属していた教え子から聞いたエピソードをもとに書かれたという。
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作者の竹内道雄氏は、この本を書くにあったて1度もミャンマーに来たことがないそうである。また亡くなった中村さんも、ミャンマーに残って僧侶を続けていたわけではないようだ。
第2次大戦後、ミャンマーに残り僧院に匿われそのまま何年か僧院で過ごした方や、ミャンマーの女性と結婚して、そのまま日本に帰らずにひっそりとこの国で暮らし、ミャンマー人の家族に見守られながら、静かに亡くなった方も何人か いらっしゃる。
バガンティリピサヤサクラホテル・ランチプロモーション
エーヤワディ川ほとりに位置しいてる観光客の中でも人気が高いバガンティリピサヤサクラホテルはシーズンによりランチやディナーのプロモーションを行っています。ランチは1名様/7ドルで提供しています。
西洋メニュは
~Served with Breads & Butter ~
・Sweet Corn & Tuna Flake
・Delicatessen of Potato Pancake
With Mozzarella & Basil (or)
・Sea Bass Poelee
With Mushroom Risotto & Nicoise Vegetables in Beurre Blanc Sauce
・Fresh Fruit (or) Shorbet (or) Tea (or) Coffee
アジアメニューは
・Vegetable Eggs Sour Soup with Tofu
・Potato and Grilled Beef Salad
・Braised Pork Sparerib and Kikkoman Sauce
・Myanmar Style Saffron Fried Rice
・Seasonal Mixed Fruit ( or)Tea (or) Coffee
GAMONEPWINT SHOPPING MALL
日本にメールを送った後で
メールのアドレスが変わったので、日本に住む友人知人20名にメールを送った。その後、その続きになる気になる事が見えてきた。
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お元気でしょうか? ミャンマーは5カ国に囲まれた国ですが、最近は両隣のタイやインドが、物騒だったり騒動が続いておりまが、ミャンマーはいたって平穏です。もうじき住み着いて11年になるヤンゴンは、乾期に入り朝夕は冷え込み風邪を引く人が多いです。実は私も4,5日寝込んでおりました。
アメリカ発の金融危機も、アメリカから制裁を受けている国ですし銀行も機能してない国ですから、表面的には影響はないようです。株式市場もありませんしね。後、NHKのスペシャル番組で見たんですが、「アメリカ発世界食糧危機」これも、アメリカに関係していないことは幸いしてか?農業国ですし、多少の値上がりはありますが、影響は少いようです。世界の時流に遅れていることが、逆に幸いしているような感じです。
しかし、おいおい有形無形で何らかの影響は出てくると思います。我が家では、やっとADSLが出来るようになって、ネットもメールも少し便利になっております。今年は目一杯いろいろありすぎて、忙しすぎたのが2008年の印象です。来年は、もっとゆったりと過ごしたいものです。
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以下はおいおい出てきた世界同時金融危機の影響である。
1.ミャンマー通貨ksが、日本円に対し下落。
2.海外就労の雇用が急激に減り始め、失業して帰国する。ミャンマー人も出はじめている。
3.ミャンマー国内98%以上が中古車だが、その車の値が急激に下がり始めている。
4.外国製品であるセメントなどの値上がりにより住宅などは値上がりしている。
5.世界に歩調をあわせるようにガソリン代がかなり下がった。
6.うちは幸いにも免れているが、他の地区では深刻な停電が続いている。
私が気が付いただけど、このような影響が出てきている。
「バスが宅配業者?」
宅配便などミャンマーにはない。
だから最近日本で起きた「元厚生次官夫婦殺傷」のような陰惨な事件は起こりえない。またヤンゴン市内の中流家庭では、お手伝いさんがいるのが普通で、すぐに奥さんが外から来た人に応対しない。また、大体ドアは2重になっている。昼間女性だけの所帯など、鉄格子状のドアはロックされた状態で、木製のドアを内側に開ける。うちもその様な構造になっている。
話を、宅配の荷物の事にもどす。1週間ほど前に、日本に住む友人のWから郵便小包が届いた。私宛の品物ではない。 W君はヤンゴン外国語大学で、3年間同級で、まじめでミャンマー語が上手い優秀な好青年だった。時々メールが届く。 6月に結婚したようだ。その結婚の写真をヤンゴン外大でお世話になったT先生(女性)に、送りたいというメールである。
郵便物は、先に小さな紙切れが届き、それとパスポートを持って中央郵便局に取りに行かねばならない。以前は1時間待ちが普通だったが、今回は10分間ですんなり賄賂も要求されずに品物を受け取ることが出来た。
いろいろ調べるとT先生は今メイティーラ経済大学で教鞭をとられているのが解った。それで、今ヤンゴン外大に勤務する知り合いの先生に。電話番号を教えてもらったものの、メイティーラまでなかなか電話が通じない。
乾季によりキャンペーン
乾季になるとヤンゴンでは特別販売促進キャンペーンをあちこちに行っています。9マイルにあるOCEANスーパーも臨時店舗を建て、12月2日~7日まで販売促進をしています。さまざまな商品及び食べ物のお店も出ています。クーポンで購入するシステムで発売していますが、余ったクーポンを出口で現金に換えれるようにカウンターもおいてありますので、余っても心配する必要はありません。
てんぷらカニ
市場フェスティバルへ行ってきた時に見ました揚げカニです。日本のてんぷらと似たものですが、野菜、たまねぎ、大豆、えびを潰したお米の液体に浸し、そして油にあげているものです。多少硬いかもしれませんが、カニが好きな私にとっては美味しいです。
ミャンマー最南端コータウンへの旅 3
ミャンマーの最南端というだけの理由で来たコータウンだが、パロントントン・ビーチの他にもいくつか見所がある。1番有名なのが、タテイジュン(富豪島)に行ける。 コータウンの船着場から、タイバーツ150Bで船のチケットを買って、20分くらいで富豪島に到着する。島全体がANDAMAN CLUBの敷地になっていて、ミャンマー国内でも多分1,2を争うような豪華なホテルである。この島はタイ人の観光客が多く利用するのだそうだ。
ギャンブルが出来ることで有名らしい。エステ・マッサージ・ゴルフ・プライベート・ビーチリゾート志向の方にはまたとない施設が整っている様だ。私は一つも利用することなく。ホテルを風のように横切って小1時間ほどで戻ってきた。島内に野生のサルがたくさん見られた。カメラを構えたら、あっという間に逃げていってしまったので、本当に人になれてない野生サルなのだろう。