ミャンマーのラウェイ(ミャンマーボクシング)とタイのムエタイの選手たちによる対戦が11月8日と9日にヤンゴンで初めて開かれます。1日9試合が行われ、そのうち4試合がミャンマーラウェイの選手とムエタイの選手との戦いになります。場所はThuwanaスタジアム(国立室内競技場)です。
入場料は7000チャットと10000チャットの2種類です。ミャンマー・ラウェイ協会とKLN Gropuの主催で、試合形式はミャンマー・ラウェイ公式ルールで行うようです。
主な組み合わせ: 「ミャンマー 」 Vs 「タイ」
Lone Chaw Vs ピチチャイ (2005年ソンチャイジム72kg ゴールドメダル)
Twe Ma Shaung Vs パーウェイ (2007-8年61Kg ウエルター級チャンピオン)
Saw Nga Mann Vs トーントン (2008年71kgゴールドメダル)
Win Tun Vs ポーチャイレック (2005年ルンビニーチャンピオン)
現在、今大会についての最終調整が行われていますので、詳細については変更される可能性があります。また、以下の連絡先でチケットが購入できます。
No(203), 3rd Floor, (36) Street Upper Block
Phone : 095004738
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注)ムエタイ選手の名前は現地ジャーナルにミャンマー語で記載されたものをカタカナに書き換えています。アルファベット表記と多少違う場合があるかと思います。
ミャンマーの習慣
昨日は雨安居があけた満月日でした。爆竹の鳴らしも前日より多く聞こえました。各家庭ではろうそくを立てて仏様をお迎えしました。、高齢やお世話になっている方々、そして自分の親、先生などにお礼を申し上げ日です。写真は爆竹を楽しんでいる子供達と高齢に拝んでいる娘さん達の写真です。
Thadingyut
9月30日から10月28日はミャンマーの暦によると「Thadingyut」月と呼ばれています。また、今月14日の満月日から雨安居があけます。そろそろ雨季があけて、うっとうしい季節が終わるとのことで、楽しくなるか、停電が多くなるから(ミャンマーは水力電気です)大変な毎日になるか、楽しい半分、心配半分になっています。
Thadingyut期間になると、各家庭では提灯をつけたり、子供達は爆竹を鳴らしたり、夜ではろうそくを立てたりで気持ちのよい時期です。写真はThadingyut期間で電気製品やスーパー等でバーゲンの看板を出しているものです。今年は看板は少ないかと気がしました。
耳のお医者さん?
まだまだ知らないヤンゴンがたくさんある。秘書のゾーミントゥン、ミャンマー人離れした顔をしている。獅子鼻、しゃくれたあご、鋭い眉、その割には鈍い感性。顔自体が異様なのでIRAQ(イラク人ミャンマーも英語と同じイラキと呼ぶ)と日ごろ呼んでいる。
辞めていった子やマレーシアに行ったスタッフなど全部あわせると、60人位いたろうか? 全て田舎出身の金も学歴もないスタッフに、日本語学校やコンピューターのスクールに行かせたり、美容の学校で学ばせたりして育ててきたが、大卒は3,4人しかいない。その数少ない大卒の一人がこのイラキである。感性は鈍いがよく働く。 粘着力があるので、交渉事など任せると大体良い結果に納まる。
そのイラキが2,3日前から、右の耳が聞こえないと言い出した。それで病院に連れてゆくことにした。すると、イラキの従兄弟でマネージャーを任せている奴が、「耳の専門の病院(タムエの近くにある)に行っても直らないよ。僕がいいところ知ってます」と車で30ST,の狭い路地に出かけた。
そこはビルとビルの隙間のスペースに5,6人の、免許をもたない医者モドキがたむろするクリニックスペースだった。 すでに、10人近い患者が来ている。はじめイラキの難聴は,私が4年前にかかった突発性難聴(中年男性におおく、浜崎あゆみで有名になった)だと思った。ストレスが原因といわれている、1ヶ月以内に治療するとかなりの確率で改善するそうである。私は日本への帰国が遅れ、今も左耳がほとんど聞こえない。
それで、日ごろ難しい仕事にイラキを酷使しているので、仕事のストレスからの突発性難聴と思っていたのだが、ここのモドキ先生、「こりゃひどいね。ものすごくたまっているよ。」と、細い金属の器具に脱脂綿をつけて耳の穴を掃除すると、黄色の膿のようなものが、どんどん付いて来る。
「わぁ~汚い」と言っているうちに、当のイラキが「あっ聞こえる」と叫んで、一件落着。ただ単に耳の掃除を全くやってなくて、膿や垢がたまって穴の中をふさぎ聞こえなくしていたのだ。私と同じ病気ではなかった事に、ほっとした。まだまだ知らないミャンマーが、たくさんあるのだ。
サヤーとウッレーの間
ミャンマーに漂着して早10年。ミャンマー人から本名で呼ばれる事は、ほとんどなくなった。G&G旅行社のマ・カインカインエーが、唯一私を本名で呼ぶ。他はほとんどがサヤーで済んでいる。サヤーは本来「先生」という意味だが、会社でも上司はサヤーで済まされる。またレストランなどでも、従業員はお客をサヤーと、呼んでいるようだ。
しかし、時々、道端で話しかけられる場合や、服などを買った店で「ウとかウッレー」と呼ばれることがある。意味はおじさんという言う意味で、年齢的にも立派なおじさんなので、別にウーと呼ばれることに不満がある訳ではない。
最初惑ったのは、サヤーとウーの違いである。ジョルダーノというファッション・メーカーがある。本社がタイの製品だか?香港だか知らないが、このメーカーも、ミャンマーに進出して10年、店舗も増え客はほとんどミャンマーの裕福層。
ここの女性店長は、絶対に私をサヤーと呼ばない。ウーである。☆他の服飾の店では、かなり年配のオーナーでも、私を「サヤー」と呼びかける店もあるのだ。サヤーという言葉の意味するものは、呼びかける者が「自分はあなたより下ですよ」という意味も含まれているし、より親しい場合に使われる。また、ウーという呼びかけが尊敬の意味が全然ないわけでもない。言葉ひとつの問題だがウーンなかなか奥深い。
ナロン依存症 (ミャンマーの暗部)
日本に帰るたびに聴かされるのが、亡くなった人と離婚したカップルの話。 アルコール中毒というか依存症だった知人が、40歳を越えたあたりで、4,5人亡くなっていた。
この国でも、政治が悪いと声高にいろんな人が言っているが、ヤンゴンでの生活も10年になってくると、庶民レベルでこの国を覆っている悪習が、腐敗臭を撒き散らしながら蔓延しているのを知った。ナロン・トンロンといわれるギャンブルだ。ナロンは、タイの宝くじ番号の下2桁を、トンロンは下3桁を当てるギャンブルで、当たると掛け金がそれぞれ8倍と80倍になる。
ヤンゴンの霧
日曜日の朝、早く目がさめてきましたました。家の前から「モーヒィン」が降っていますと喜んで叫んだ声を聞きました。ベッドを離れ、早速玄関へ出てみました。涼しい~、気持ちいい~。外は白いショールでかけられたように霧がたくさん降っていました。乾期の匂いがしましたと思いました。
カロムゲームとミャンマーのゼーコウッ
ずいぶん前に、毎年ミャンマーに遊びに来る滋賀県在住の友人が、「ヤンゴンの路上で男4人でやっているゲーム、どうも滋賀県にだけにあるカロムと言うゲームにそっくりなんよ」と言っていた。
先日そのなぜか日本の中で滋賀県の彦根地方にだけにあるカロムゲームをNHKで見た。なるほどヤンゴンにあるゼーコウッと呼ばれるゲームに似ている。調べてみると、はっきりした事は分からないものの、12世紀のエジプトが発祥地で、その後ヨーロッパから世界中に広がったそうだ。しかし、日本ではなぜ滋賀県にだけあるのだろか?
またミャンマーにはどうやって伝わってきたのだろうか?
英国が植民地にしていた時に英国から? それとも隣のインドから伝わったのか?
私はまったく興味ないが、スタッフの退屈しのぎにはなるだろうと買って置いたものだが、私がいない間に大金ではないものの賭け事をやっていたので、すぐに取り上げた。
まぁ~カロムの話から、ミャンマー人がギャンブル好きなことが、このゲームが今日までヤンゴンで人気がある理由なんだろう。
ROAD RUNNER IN YANGON
はじめて走るミニトラックタクシーです。今までセダン車は多かったですが、写真の通りミニトラックがタクシーになりました。今現在はためし期間として15台がヤンゴン市内で走りている。タクシーを「ROAD RUNNER 」と名づけています。
路上の耳鼻科
ヤンゴンは雨季の真っ只中、連日雨が降り続き、猛暑の日本に比べると気温も30度以下です。大学を出たばかりの新しいマネージャーが昨日から、「突然 耳が聞こえなくなったので、病院にいきたい」と言い出した。
ベーダーも、2004年の暮れに、突然左耳が聞こえなくなって、今も改善されていない。歌手の浜崎あゆみで有名になった突発性難聴である。 多くは男性に多く、主な原因はストレスだとか、、、。田舎出身で気が利かないマネージャーに、日ごろからがんがん仕事言いつけていて、 オーバーヒートしてストレスから難聴になったのでは? 私の責任かも?と、早速私も当時かかった国立の耳鼻咽喉科の病院に連れて行く事にした。
そこへ、スタッフのAがやってきて、「僕もあの病院行ったけど、まったく直らないので、30St,にいい所がありますよ」という言葉を信じ、3名で30St,に行くと。そこはビルとビルの間の、路面に開業した、医者の免許などない「お医者さん」ばかり5.6人が、耳や爪などのCareをしていた。
早速マネージャーの耳も見てもらうと。「これは汚い!いっぱい詰まっているね」と、細い金属の棒に脱脂綿を巻きつけて耳の中に、、、、果たして黄色の膿のようなものがべったりついて来た。
何度か脱脂綿を替えて耳の中を掃除してゆくと、いきなりマネージャーが叫んだ。「あっ!! 聞こえる!! 聞こえる!!」と。私もある期待を抱いて見てもらったら「耳の穴は非常にきれいで、清掃しても直らないタイプの難聴です。」と言われてしまった。
後で聞くとマネージャーは、麺棒などで1度も耳の中を綺麗にした事がなかったそうだ。 私の責任でないことに安心したが、こんな路上の病院があるのも、またミャンマーらしいと感心しながら戻ってきた。