ミンタミーは、王女という意味で、ヨッシン・ミンタミーになると映画女優になる。そして女芸人(舞台で活躍する)も、ミンタミーと呼ばれる。写真のミンタミーは、得度式の為に呼んだミンタミー・テテモーさん19歳。
14歳からトレーニングを受けて5年目、徐々に有名になりつつあるミンタミーらしい。得度式を行うAの家では、すでにサインワインという伝統音楽の楽団は予約していたそうだ。少し予算オーバーになるけどやっぱりミンタミーを呼んだほうが、ステージが盛り上げるというので、急遽ジャッパッタンで探し出したミンタミーだった。
投稿者: Golden Garden Tour
ミンター(男役者)
ミンターは本来 王子さまの意味である。映画スターをヨッシン・ミンターという。
まぎれも無く日本で言う大衆演劇の世界である。午後9時半くらいから始まり、ミンターの踊りやステージが始まるのは午前3時頃、終わるのは明け方の5時に近い。演じるほうも見るほうも体力と根性がいる。9年前にマウンチャンターというミンターのザップエを見たっきり、久しぶりのザップエである。
得度式 (シンピューブエ)
村で行われたシンピューブエ、近隣の村人も大勢やってきて、大変な盛り上がりでした。先日紹介した若い弁護士さんの結婚式が総額30万ksくらいで出来たジミ婚でしたが、この村の得度式は豚肉だけでも88万ksかかって、村人にご馳走は振舞われました。総額は220万ks掛かり、村人の寄付で半分は賄うことが出来たそうです。
サインワインという伝統音楽の楽団(15人編成)ミンタミー(女芸人)も呼んでいました。家の前のかなり広い庭にマンダ(仮設舞台)を造り得度式は3日かけて行われました。
美人の宝庫 大田村2
田舎の村である。電気も来てないし、水は井戸水が豊富にある。しかし、なんておおらかで豊かな村だろうか?しかも美人が多い。今回お邪魔した家の友人Aは、英語も日本語も出来コンピューターにも明るい相当な秀才だが、チビで猿顔でハンサムでもなんでもない。
それに家族構成など村に着くまで何も聞かされていなかった。1人の弟の得度式があることだけが今回村で知っている全て、いや何年か前にヤンゴンに来た両親に紹介はされていた。長男Aの下に妹が6名兄弟は全部で8名。
ミャンマーの中央部2 大田村
日本人女優ミャンマー映画に出演
ミャンマー中央部・ジャッパタン
12月の中旬から1週間ほど旅に出ていた。ミャンマーの中央部にある村で、友人の弟のシンピューブエ(得度式)があるというので、風邪気味なので行くかどうか迷っていると、もう3人分のバスチケット買ってきたというので、30分で荷造りしてアウンミンガラバスターミナルにタクシーで駆けつけた。友人の従兄弟と3人でバスに乗り込むと、午後3時ジャストにバスは北に向かって走り出した。
このバスは冷房ががんがん効いているので有名で、寒いので毛布を用意している人もいた。私も靴下はいてジャンバー着て防寒対策を取っていた。14時間掛かって午前6時に霧のかかったジャッパッタンの町に到着した。村にはここから更にオートバイで1時間半かけて行ったが、まずはこのジャッパッタンの町を紹介しよう。町の人に聞いたら人口25万位と言う話で、YOMA BANKもあるし、わりあいに大きな町だ。
結婚のシーズン
雨季が終わり乾季になりますと、結婚式のシーズンを迎えます。このおめでたい結婚式に、今までに25回くらい招待されました。中国系の結婚式、シャン族、ヤカイン族、軍人さんの結婚式、クリスチャン、回教徒、新郎新婦のどちらかが日本人の結婚式にも5回程出席したことがあります。また式場は、一流ホテルの大広間から有名なレストランを借り切ったり、街角にある仏教施設で行われたり、本当にさまざまな式を経験しました。
本日紹介する新郎新婦は、本当に庶民的な街角にある仏教施設で、親類や親しい人を招いた心温まる披露宴でした。新郎は弁護士の卵27歳、新婦はパンライン病院の看護婦さんだそうです。普通花嫁はメイクアップの専門の人(ほとんどオカマの美容師さん)が衣装からアクセサリー、新郎新婦2名のメイクを手がけるのが普通ですが、この2名の場合は新婦は自分で全てやったそうです。また、新郎も薄化粧されたり香水つけたりするものですが、この新郎の場合は本当に素顔で、「鼻毛くらい抜けよ!!」と声が掛かるほど普段通りの装いで、お客さんたちの周りを歩き回っていました。
「父王を越えるには (9万パゴダ)」
今回はバングラディッシュに隣接するヤカイン州の、古代都市ミヤウの遺跡の話である。その前に、ミヤウは英語表記でMrauk-Uと表記される。しかし、ミャンマー人はミヤウと呼んでいる。英語表記が現地の発音と合致していない典型的な例の1つである。ミャウでは15、16世紀中に多くのパゴダが建造され、パガンを除けばこれほどパゴダが点在する遺跡の町も他に類を見ない。シッタウン(8万)パゴダは、その中にあって最大規模のパゴダである。
今回 紹介するのはコウタウン(9万)パゴダ。ミンテッカ王が父王が建造した壮麗な8万パゴダをしのぐ為に、8万より大きい9万パゴダを建造した。いつの世にも、2代目と言うのは辛いもの。良くて当然、常に先代と比較される。また先代を超えたいという思いは、パゴダの大きさとなって現れた。壁のレリーフの仏像、回廊に配置された仏像9万体を擁していただろうが、私が初めてここを訪れた10年前には、地震で崩れ回廊も1部を除いて歩行もままならない有様だった。
しかし、1997年から始まった改修工事で今現在は、建立当時の壮麗な外観や回廊などもほとんど修復が終了していた。王として息子は父王を超えることが出来たのだろうか?
水田のある風景
写真はヤンゴンの隣町モン族の王都だったパゴーを過ぎたあたりです。マンダレーとパゴー・ヤンゴンとつなぐ幹線道路は、北の方から大きなチーク材を満載した大型トラックや、中国との国境の街ムセから出た、大量の中国製品を満載したトラックが轟音と共に下ってきます。
ヤンゴンからは海外から輸入された建築用の鉄材等を積み込んだトラックが行きかう、まさにミャンマーを南北に貫く輸送幹線道路です。 12月9日、バス旅の昼食の為に停車した店の前の水田には水が張られていました。雨季の「モウサパー(雨季米)」が刈り取られ、今度は「ヌイサパー」と呼ばれる乾季から暑季にかけての、二期作の田植えがもう直ぐ始まるところです。