ヤンゴンの今日この頃 4

猛暑を避けて宿泊したホテルより、手前がサクラタワー、後ろがトレーダーズホテル この2つが今現在ミャンマーで一番高いビル。
猛暑を避けて宿泊したホテルより、手前がサクラタワー、後ろがトレーダーズホテル この2つが今現在ミャンマーで一番高いビル。
話が雑多になってきているが、続けて書いている。
最近気が付くのは、友人の車に乗ってガソリンスタンドに行くと、以前は国営で決められた店でのみ、手帳がないと給油できなかったが、今は民営化されて、それぞれのガソリンスタンドもカラフルになった。ユニホーム姿の女子スタッフ置いたり売り上げ競争でサービスもよくなった。
民間委譲といえば、ヤンゴン空港の地上業務も民営化され、到着時にビザの取得ができるようになった。これで旅行者も煩雑で時間のかかるビザ取りから開放される。
あと、ヤンゴン市内に目に付くのは、ネットカフェが雨後の竹の子のように増えてきている。私は1度も利用したことは無いが、半年前に引っ越したものの、電話の設置が遅れに遅れている日本人の友人は、毎日通っているそうだ。
友人の自宅より、スーレーパゴダとシュエダゴンパゴダ2つが同画面に収まるポイント。
友人の自宅より、スーレーパゴダとシュエダゴンパゴダ2つが同画面に収まるポイント。
それと、最近目を引くのがペットの店だ。私も、日本から連れてきた愛犬が3年前に14歳で死んで、去年の9月にこちらで買ったダルメシアンが突然急死した6歳だった。猫も相次いで2匹死んでいったので、それ以後3ヶ月間は動物が1匹もいないヤンゴンライフを送ってみたものの、やはり寂しい。 間が持たない。
それでユズナプラザでメス猫を買いミケとなずけた。2週間後に、市場で鶏肉売ってるおばちゃんが、子猫がたくさん生まれたんで1匹あげると、オス猫のカプをくれた。
左がメス猫のミケ、右がオス猫のカプ 本当はカプチーノとつけたものの長いので、もっぱらカプである。最近犬猫を飼う家も増えてきている。
左がメス猫のミケ、右がオス猫のカプ 本当はカプチーノとつけたものの長いので、もっぱらカプである。最近犬猫を飼う家も増えてきている。
半年たって,オス猫は丸々太り何でも食べる。しかし、メスのほうはやせ細り体重を量るとオスの半分も無い。始終咳みたいな、なにか吐くようなのどの動きがあり、長くは持たないだろうと覚悟を決めていた。
しかし、何かちゃんと調べてみようとクリニックに連れて行きレントゲンを撮ってもらった。胸から腹にかけて水が溜まっていると言われた。それで2回に分けて水を抜いてもらったら、非常に元気になってオスに負けない食欲も出てきた。
こうしたペットの病院も増えてきている。最後に、レストラン関係。今やおしゃれなカフェが増えてきて、ミニスカートのお嬢さんと男の子が携帯片手に腕組んで出てきて、車で帰る姿をよく見かける。
私はレストランといえば日本食の店しか行かない。今年14年目という「一番館」に行くことが一番多い。このごろは週に2,3回行っている。
常においしいし「ハズレ」がすくない。また経営者が毎月タイや日本に食材のために行かれている。こまでやっている店は多分他にないだろう。
ここ13年間で閉店した日本レストランは10本の指では足りない。そもそも今現在日本人会の会員は300人以下、子供を入れて未加入の日本人を合計しても600人くらいではと推測している。
日本人だけを対象ではそもそもやって行けないだろう。「SUSHI」と看板があるのものの、とても寿司といえないものが出てくる店もある。
日本人経営の店が数軒、ミャンマー人の経営の店など暇に任せて数えていたら、22,3軒あった。 驚いた。
前記に日本の存在価値が急速に落ちてきていると記したが、どうやら日本食だけは本物であれまがい物であれ、増えてきている今のヤンゴン事情です。
おわり

ヤンゴンの今日この頃 3

ヤンゴンの小雨
思いつくまま、書き進めている。
最近、やっと日本人会に入会した。年会費70ドルで、ものすごい量の蔵書がある図書館を利用できる。読書だけが唯一の趣味の私にとって、まさにありがたい図書館である。それまで日本に帰国したときに10冊、友人知人が来緬する際に、5冊6冊と頼んでいたのが、最新のDVDまで多くの会員さんが寄付されて、自由に本5冊DVD5枚まで借りることができる。
年費70万ks*7万円と少々お高いがNHKプレミアムも、毎日見ているので日本語に困ることも無い。ネットの発達で、日本の情報世界の情報も、日本にいる人と変わらない。
先日、ミャンマー女性を嫁にした友人が、2年ぶりにヤンゴンにやってきた。全く日本語を話せなかった嫁さんは、日本語検定試験2級合格。今は仕事を2つこなしているそうだ。
彼女の話が興味深かった、ネットで世界中のミャンマー人と接していて、「ブログ書いてるミャンマー人世界中に何千人もいますよ」と言う発言に驚いていると、5月に私の自宅から100メーター先にあるミンガらマーケットの火事を、彼女はネットで知り、早速ヤンゴンにいる両親に電話で無事を確かめたそうだ。すると、両親はまだその火事のニュースを全く知らなくて、娘が何を言ってるかわからなかったそうだ。
私もミャンマー国内のニュースを外国のニュースで知ることも多い。
最近の土地バブルの記事も日本人の友人から、実はベトナムの投資家がヤンゴンの土地を買いあさっていると言う情報を得た。
話は、ミンガラ市場の火事について、今はすぐ隣の空き地に仮の市場ができているが、雨季の中テント張りの店舗で、お客はまばらでここに出店した店舗も少数にとどまっている。
5月24日だったか、私は友人5人でグイサウンビーチに行っていて、友人が家までジープで送ってくれた。 午後の3時過ぎだったが、家の前が人垣ができていて、前方を見た友人が叫んだ「ひゃ~ ビルが火事だよ」それが、ミンガラ市場だった。 何でも朝8時ごろから燃えていると言う。結局鎮火するのに一日半かかった。
同時期にマンダレーに近いモンユアのショッピングモールも火事になり、2年くらい前か?マンダレーのスカイウォークと呼ばれるビルの大火事もあった。
ミンガら市場は幸い死者やけが人は出なかったが、スカイウォークは早朝から英語の塾などの生徒が被害にあったとと聞いている。 ビル火災に対する消防があまり機能していないようだ。
これもヤンゴンやマンダレー等ビルが増え続けている都市部の大きな課題だと思う。
なぜグイサウンビーチに行ったかを思い出した。ビーチに行く前に10日間ほどヤンゴン市内のさるホテルに宿泊した。 2010年は、不動産バブルのニュースと共に後年記憶されるのが、「猛暑」だと思う。
今は日本でも猛暑で熱中症で何人亡くなったなどのニュースをNHKを見て知っている。
ミャンマーは今年の4月5月すさまじい猛暑だった。38度以上の猛暑日が45日間以上続き、40度超える日もあった。 日本でも携帯電話とエアコンは使わない主義を、12年間以上ヤンゴンでも続けていたが、さすがの私も半分熱中症のような症状が出たので、やせ我慢もこれまでとホテルに宿泊した。
中級のホテルだったが、ミャンマーの金持も多数暑さを逃れてホテル暮らしをしていた。どうせホテル暮らしならと、友人らとグイサウンビーチに行き、戻ると火事に遭遇した話は、前に書いた。このころから雨季に突入して涼しくなって、今も雨季は続いている。

ヤンゴンの今日この頃 2

サクラタワー20Fより写す、スーレーパゴダ通り。左側の大型ビルポイントタワービル1998年完成予定が、未だに完成していない。そんなビルが他にもたくさんある。
サクラタワー20Fより写す、スーレーパゴダ通り。左側の大型ビルポイントタワービル1998年完成予定が、未だに完成していない。そんなビルが他にもたくさんある。
ミャンマーは今バブル経済に突入したと言う人たちもいる。海底ガスの産出で世界13位に躍り出たというニュースを読んだ。ミャンマーの通貨がアメリカドルに対してじりじりと上昇している。故にマレーシアなど海外で働く人たちからの送金が目減りする現象がおきている。どういうわけか半年前に車(99%中古車)は急激に値下がりしている。
先日中国製の新車のバスを大量に購入したニュースを目にした。中国の首相が來緬して、この国の一番偉い方と固い握手をしていたのも最近の話である。6年位前から火がついた韓国ドラマのブームは今も続いて、音楽、ファッション、髪型化粧品あらゆる分野で韓国ブームで、日本の存在を探すのは困難である。
いつまでも、ミャンマーがすばらしく親日国家というのも、今現在さびしいけれどミャンマー国内での日本の存在価値は日々薄れてきている。また不動産バブルもたとえば私が住む集合住宅のビルは、築11年1000万ksで購入した部屋が、1ヶ月くらい前に7階の701号室が6500万で、3日ほど前803号室が7200万ksで売却されたそうだ。高級住宅地のバハンの土地つきの豪邸などは、10億ksから20億ksの値がついているのを、不動産の情報誌で見ることも度々である。日本円で1億円とか2億円の世界である。
いつまでもミャンマーが貧乏国家だと思っていると大間違いである。もちろん貧しい人が大半なのも変わらぬ事実であるが、全体的に底上げしてきている感は否めない。
カンドーヂ湖の近くに、これも10年以上前から、工事が再開したりストップしたりで完成していない。ミャンマーキックボクシングラウェイのスタジアム。
カンドーヂ湖の近くに、これも10年以上前から、工事が再開したりストップしたりで完成していない。ミャンマーキックボクシングラウェイのスタジアム。
先ほどのCapitalショッピングセンターに補足だが、隣にケーキで有名なシュエパズン(金のえびという意味 もともとは海外輸出までしていた醤油メーカー)が、高級ホテル並みの豪華な喫茶店とケーキ、お菓子類の販売店を大型駐車場つきでオープンしてから、ここドーボン地区と、道路一本で隣接するタケダ地区は、地域のイメージがグンと上がった。
80年代半ばからの日本でバブル経済を経験した者の目から見て、地図だけ見て10年以上前からこの地区は絶対発展すると確信していたが、ビルマ人は誰も信じなかった「あそこはルーマイ(やくざ者)のすむ所」と言って、一段も二段も低く評価されていた地区である。しかし、ヤンゴンの地図の基点になっているスーレーパゴダから、マッハバンドゥーラ通りと、同じ名前の橋を越え10分くらいでドーボン、タケダ地区である。
Shwe Pu Zun cake and cold drinks Yangon
SHWE PU ZUN ケーキ屋
新興住宅地の北ダゴンや南ダゴンは、ここ10数年本当にミョーティ【新しい町】として発展を遂げてきているが、スーレーパゴダまで車で30分、乗り継ぎのあるバスだとどうかすると1時間もかかる。それで、最近の不動産バブルで、ドーボン、タケダ地区が急速に地価が沸騰して来ている。友人知人に「10年以上前から、こうなると言ってただろう」と言ったものの、奴等はすっかり忘れていたようだ。

ヤンゴンの今日この頃 1

ヤンゴンの今日この頃 1
曇り空のタムウェ地区 正面中央がユズナプラザ バス停もある。
ヤンンゴンでの生活も13年目に入り、刻々と変化してゆく街の様子に驚くことが多い。 それでは、最近のヤンゴン事情を、思いつくまま筆を進めてゆこうと思う。
 
ストーカン(Store Room の意味) と呼ばれる小部屋は北向きの部屋で、めったに入ることがない。久しぶりにこの3角形の小部屋から北向きの町並みを見ていると、少し前までは無かったタワーが4つ5つと目に入ってきて驚いた。
タワーは携帯電話の中継塔だろうか? 携帯電話が種類も多種多様、最近かなり普及して来ている。
私が住むタムウェ地区にまた新しいシティマートがオープンした。これで10軒目かな?2,3年前までシティマートがヤンゴンの上流階級の顧客を独占していたが、最近はタケダ地区のタイ系の品揃えのCapitalスーパーマーケットも、日曜日などは大型駐車場が満車状態である。家具から食料品、ベビー用品など百貨店のような品揃えが人気の秘密だと思う。
うちの近所に(タムウェ南部)に、建物は完成していていつまでもオープンしないので、そういう事例はいくつもあるので、つまり失敗かな?と思っていると満をきしてUnitedがオープンした。ここはオープンまでもたもたしてた割にはすぐに成功したようだ。
閉店時間の夜9時まで満員御礼が続いている。Unitedはモスリム系のスーパーで、豚肉とアルコール類は販売されていない、製品はマレーシア製が多い。歩いて3分の近さなので最近は利用することが多い。
もちろんTVで派手な宣伝をやったにもかかわらず失敗した、ブレイゾンやエクセルショッピングモール等もある。失敗と成功の分かれ目は生鮮食料品が充実しているとか? 駐車スペースが十分にあるかなどが挙げられると思う。
ヤンゴンの今日この頃 1
観光客があまり足を伸ばさないユザナプラザ。
ユズナプラザ(これもタムウェにある)は、ここ10年もっともお客の多いショッピングモールだが、生鮮食料品売り場は無いものの、圧倒的に店が多いこと、隣に立体駐車場があることが成功の理由だろうか?
シティマートは新機軸の大型店オーシャンを、ヤンゴンの北と東に続き、新首都ネーピードウにもオープンして、今やスーパーマーケット業界は覇者争いの時代に突入してるかのようだ。
話は、ちょっと脱線するが、10数年前まではりんごはヤンゴンには売られてなくて、旅行でミャンマーに行く時、日本に住むミャンマー人からりんごをお土産に、家族にもっていってくださいと頼まれたことがあった。しかし、今やミャンマー中が中国産のりんごであふれ返っている。
小さな梨もよく売られていたが、最近は日本の長十郎のような大きな梨がスーパーでお目にかかれるようななった。これも中国製だろうか? あまり甘くないが時々買う。
唯一無いものと思っていた桃が、前記のCapitalとUnitedで前後して見つけて早速買った。どちらも1個1200ks 日本円で約120円この国では高額だが、まずまずおいしかった。
*りんごは、種類 大きさにもよるが300ks~800ks

干したマンゴ

干したマンゴ
ミャンマーにマンゴを1年中食べれるように中身をとって干して保存しています。皮をむいて、中身をつぶします。その時に出てきたマンゴの液体を沸かします。ある程度粘りの状態になると、はっぱに薄く注ぎます。そのものを乾かすと、写真の状態になってきます。科学も使わず、味付けもなしですので、マンゴの味が楽しめます。作るマンゴンの種類によって酸っぱいや甘い味ができます。

のどかなカレン州のパアン旅行へ ②

パアンといえば、洞窟がいくつか見学できる所です。今でも有名な洞窟もあり、時代の状況で薄れていく洞窟もあります。
Kaw Goon(コッグン)洞窟。7世紀からの洞窟ですので貴重な技術が見学できます。洞窟の天井にはたくさんのせんぶつが貼られています。昔から洞窟の前にある池からの泥でその小さいせんぶつを作って、天井に埋めてたようです。言葉では説明できない所ですので写真をご覧して下さい。
コッグン洞窟の天井
コッグン洞窟の天井
コッグン洞窟の中
コッグン洞窟の中
その次はKaw Kathaung(コッカタウン)洞窟です。洞窟の奥には仏舎利が置かれています。狭い道から暗い所へ入ることですので、狭い所が苦手な方のため、奥まで入ることがオススメできませんが。
コッカタウン洞窟
コッカタウン洞窟
また、ネットでよく出ているBayint Nyi(バ・ヤィン・ニー)洞窟。パアンの地域を平和にさせてくれましたThamanyaサヤドー(お坊様)が亡くなられる前にThamanyaへ行く参拝などが必ずこの洞窟にも寄っていました。その時は非常に賑やかな所でしたが、現在は人の姿が薄れていっています。洞窟の前には温泉もあります。男女別れていますが、温度が低く温かくだけです。洞窟が長くて広かったですが、管理ができなくなって今は中まで入るのは出来なくなっています。
ダイブしてたサル
ダイブしてたサル
洞窟の玄関
洞窟の玄関
その次がSat Dan(セッダン)洞窟が一番大きくて、長い洞窟です。中が暗いため、発電機を回さないと、行けません。洞窟ですので、ジメジメしているのは当然ですが、ここの歩く道が泥もあり、水も流れています。中では約30分位の長さでした。洞窟内には乳石が下にもあり、上からもぶら下っています。大きな乳石も見ました。セッダン洞窟までは道が凸凹で悪く、車が行けなくなったため、歩きました。
洞窟内の乳石
洞窟内の乳石
洞窟の最後で見ました山羊です。高い所に立ってカメラをじっと見ていました。可愛かった。
洞窟の最後で見ました山羊です
モーラミャイン町を出て、パアンへ向かう道路の横にもPhayone(パヨン)洞窟があります。

のどかなカレン州のパアン旅行へ ①

チャウカッラパゴダ
チャウカッラパゴダ
ヤンゴンから車で5時間で運行すると、カレン州の首都であるパアンへ着きます。パアンの両側が田んぼ、山、崖、牛で緑が多く見えますので、のどかな雰囲気です。パアンのランドマークがズェカビン山(Zwe Kha Bin)。ほとんどの写真には真ん前から撮ったのが多いです。チャウカラッパゴダへ行く途中ではズェカビン山を通っていきます。道路のすぐそばでズェカビン山を近くから見れます。そこで現地の人の話にはズェカビンの兄弟があり、山腹にその兄弟の姿が出ているといわれています。よーく見ると、山腹に人の姿を書いてたようで高い方が男性、低い方が女性のような形で見えます。
兄弟と言われている所です。
ズェカビン山の兄弟と言われている所です。
チャウカッラパゴダから見たズェカビン山の横の姿です。
ズェガビン麓はロンビーニーと呼ばれています。500以上の立仏像が見渡しできる所まで建てられています。
仏像の一体ずつに木が一本ずつ植えたが、
仏像の一体ずつに木が一本ずつ植えたが、管理ができなくなって、別の木もばらばら

チャウカラッパゴダ。崖のような頂上でパゴダを立てていました。きれいなのはその崖と真ん前にある池です。池に長い橋をかけています。その橋から見えるチャウカッラ全体が非常にきれいです。崖の下では僧院があります。パゴダがある所までは登れませんが、半分位まで登れ、そこから見ました周囲が非常に素晴らしいです。
チャウカラッから見ました周囲。
チャウカラッから見ました周囲。緑や山で新鮮な空気が疲れをとれます。

酸っぱい味のグァバ

大きいサイズのグァバのみ売っているし
通常は大きいサイズのグァバのみ売っているし、食べています。写真に載っているものが同じ種類のグァバと呼ばれていますが、普段のグァバよりサイズが10倍以上、小さくて、でき立ての実と似ています。酸っぱい味がしますので、そのまま【酸っぱいグァバ】と呼んでいます。
ヤンゴンにはめったにないものです。地方や田舎さえ何処でも取れるものではありません。山の中で野生植物として生えていると言われています。ミャンマーでは生のグアバに食塩または甘草、チリ、が混ぜた粉末をつけて食べることがあります。
グァバがミャンマー語で【マーラーカーティー】といいます。

ジャパンホテル(Japan hotel)

<Japan hotel>ジャパンホテル”><br />
<span style=モーラミャインのストランドロードで位置して、タンルイン河に面しているホテルです。ホテルと書いてありますが、小さいゲストハウスです。ジャパンホテルと名づけていますが、外国人の宿泊が不可能になっているようです。ゲストハウスのほかではネットカフェ、コンピューター商品のお店も持っています。ネットカフェが市内にあり、日本語もできます。1時間/600チャットです。ゲストハウスがぼろぼろでしたが、ネットカフェがおしゃれできれいです。

懐かしい石版


懐かしいことですので、撮ってきました。ミャンマーには5歳から小学校の1年生が始まります。子供の時に4歳以上で5歳もなってない時に、幼稚園のように学校へ入れました。その時にノートブックの代わりに石版と石筆を使わせました。モーラミャイン市場で偶然に見しましたので、懐かしく写真を撮ってしまいました。また、今までも使っているのもびっくりしました。