グエサウンビーチの10周年目

グエサウンビーチの10周年目
2000年3月に開きましたグエサウンビーチの10周年記念を3月25、26、27日の3日間かけて行う予定をしています。記念の行事として26日にビーチミニサッカーの決勝試合、午後にはミス・グエサウン(Miss. Ngwe Saung)コンテストを行います。27日の夜には有名なサインサインカンライン歌手を初め、若者のビーチステージショーも行う予定です。行事する場所はBay of Bangle hotelと近いになります。3日間の期間中に砂浜では様々な店舗も出ます。観光シーズンもなっているため、バスはほぼ毎日の朝(0600時)にヤンゴンを出て、グエサウンから(1000時)に戻っています。通常の日程は2泊3日です。

ヤンゴン/バガン直行列車

ヤンゴン中央駅
ヤンゴン中央駅
しばらく、直行の列車がなくなったバガンへ3月より直行の列車を走る予定をしております。Tourist Trainと名づけた列車はSpecial Sleeper(特別の寝台車)、Sleeper(通常の寝台車)、Upper Class(エアコン付き座席)、Ordinary Class(エアコン無しの座席)で構造されています。
Special Sleeprは家族用の目的で作られ、プライベート用のトイレやシャワー室が付いています。Sleeperはシャワー室とキッチンが付いています。もちろん、エアコンもあります。
なるべく早めに進行する予定ですが、日にちや料金はまだ確定になっていません。値段も大体は50ドルからになる予定です。
ヤンゴン発(16:00)- バガン着(翌朝9:30頃)
バガン発 (16:45)- ヤンゴン着(翌朝10:30頃)
Yangon - Pyay - Kyauk Padaung - Bagan のルートで進行します。後ほど、料金等を記載させていただきます。

モーラミャインの北京(ペキン)

今も現役のインド製の三輪車
今も現役のインド製の三輪車
トラックを改造した市内バス
トラックを改造した市内バス
モーラミャイン港
モーラミャイン港
モン州のモーラミャインは、タンルイン側の河口付近に発達した活気のある町である。(本当の河口はまだまだ先)ミャンマー関係の本で、第2次世界大戦後に、捕虜になっていた多くの日本兵がこの港から日本に帰還した話を読んだ記憶がある。
今回気付いたのはどの地方都市でも、サイカーが減りオートバイが増えている。 ミャンマー中央部や北部は中国製のオートバイ、ここ南部の都市モーラミャインは、隣接しているタイのバイクが多いそうだ。
ミャンマーの国の形は、ひし形で南に向かってエイのヒレのような尾が細く、タイと国境を接しながら続いている。これらの地方の日用品なども当然タイ製品が多い。モーラミャインでは、タンルイン河の川べりに立つゲストハウスに宿をとった。
昼過ぎに、シャンプーアイランドと呼ばれる島に渡った。モーラミャインホテルのすぐそばに渡し場がある。その横にはタンルイン川に架かるミャンマー最長のモーラミャイン橋が銀色に光りながら対岸のモッタマに向かって長く伸びている。
小船で5分で島に着いた。小さな島全体が僧院になっていて、さまざまな形のパゴダをめぐる庭園があり、たくさん犬が飼われていた。
モーラミャインには、昔私のところで働いてくれたミャンマー人のスタッフが3人くらい住んでいるので、何とか連絡を取ろうとしたが、ホテル、レストランどこもかしこも電話が故障中。
それでやっと通話ができる電話器を見つけてかけてみたら、今度は向こうの電話が故障中で連絡がつかず、結局再会は叶わなかった。
食事の事であるが、ミャンマーでの女性の評価としてバゴーの「カカア天下」、モウラミャインの「料理上手」と聞いたことがあるが、しかし、モーラミャインでの食事はどこもまずかった。
特にひどかったのは、「ペキン」という店である。
7年前にも来た事がある。ペキンダックが売り物で北京から名をとったのだろう。その当時は満席であった。そこそこおいしかった記憶があるが、値段は外国人料金、かなり高かったと思う。
今回久々に行ってみると。お客はいない。ウェーターもいない。 やっとオーダーを取りに来たので注文したものの、何かいやな予感がした。
案の定、これ以上まずく出来ないだろうという、私のミャンマーでとった食事中最もまずい料理、いや料理といえる以前のものが出てきた。
全員ほとんど食べずに店を出たと思う。翌日 ちょうど北京の前にあるルビーというレストランに行った。ルビーレストランは、よくはやっていたし、味もそこそこおいしかった。そして客はゼロでド暇のペキン・レストランが目の前に見える。と言うことはペキンの方からもルビーが見えているはず。
悔しいと思わないのだろうか?
そして7年前にあんなに忙しい店だったペキン・レストラン。もう1度忙しい店にしたいという望みはないのだろうか? 余計なことだけど、、、、、
腕のいいコックを探してきて、店を少しこぎれいに改装して、新聞広告などでリニューアルオープンとか広告を打って、やり直せるのに、、、、なんて考えていた。 ここミャンマーだって、流行る店にはお客が多い訳があるのに。

環状線に乗って、地元の生活を、、、、。

ヤンゴン駅から出発する環状線。一周は約3時間位かかります。ミャンマーの列車は一般の生活を見学できる場所です。列車の中では物売りもやってきて、大きいな荷物も載せてきています。ミャンマーでは列車代は非常に安いです。一人を20チャット、荷物は100チャット位です。
ヤンゴン駅から走ってきた列車はデニィンゴン駅に着いたら、下りて見て下さい。降りたすぐのホームで市場になっています。ホームの隣では大きいなローカル的な市場が見れます。
ホームでの市場です。
ホームで自由に売っています。
列車が止まったとたんで、待っている物売りの人たちが野菜などの荷物をドンドンと列車に載せてきます。最初から降りるか、もしくは皆が乗ってから降りるか、になります。そうでもないと、もう降りれない状況です。
ホームでの市場です。
降りる人達は乗ってくる人達と押し押し合いながら降りないと、、、、。
その周辺では一番大きな市場です。ヤンゴン中心部からもヤンゴン市外からも購入しにきています。卸売り市場ですので、食糧の材料、野菜、日常生活に食べているもの、お肉などなどは普通の市場で買うより2~3倍安くなっています。小売もありますので、家庭の買い物も問題はないです。
列車に乗せようとしている物売り
列車に乗せようとスタンバイしているから、降りる人達は足の置き場はない。
上から見えたダニィンゴン市場
デニィンゴン卸売り市場を上から撮った場面。
きれいな列車ではありませんが、ヤンゴン観光でお時間がある時は挑戦してみてください。本当のミャンマーの生活を覗くことはできますので、オススメです。
列車からぶら下がって
走行中で写真のようにぶら下って、体を半分位に外へ出して乗っている。
危険ですので、駅員達は注意していますが、聞かないです。

ミャンマーの中の偉大なるモン文化

100年前にインド人鉄道技師が森の中から発見し、900年の眠りから覚めたモン族が造った寝釈迦。
パゴーの寝釈迦
パガンのパゴダ群の中で2番目に背の高いゴードパリン寺院 55米
パガンのパゴダ群の中で2番目に背の高いゴードパリン寺院 55米
チャイティーヨーパゴダ そもそもチャイというのがモン語で「パゴダ」の意味である。
チャイティーヨーパゴダ そもそもチャイというのがモン語で「パゴダ」の意味である。
「ミャンマーで1つだけパゴダをあげよ」と言われたならば、歴史的価値、その壮麗さ、重厚さどれをとっても、シュエタゴン・パゴダをまず第一にあげなければならないだろう。
そして世界秘境50選にも選ばれた、1000年前の碑文にも登場するチャイティーヨーパゴダも、はずす訳にはゆかない。
この旅行者にも有名な2つのパゴダは、実はモン族の文化遺産なんです。
パガンのたくさんのパゴダ遺跡も、、 内部に装飾されたフラスコ画などの多くの壁画はモン王国から連れて来られた絵師達の手に寄るものです。
ヤンゴン市内にある、通りの名でチャイカサン通りなどはモン語です。この国に9世紀の後半に、北のほうから下って来たビルマ族は、後から来た民族なんですね。
ピュー族の王国(2~9世紀)が消滅した1000年以上前にも、つまりビルマ族がやってくる以前、ミャンマー各地には今日見られる小数民族の、パラウン族、ヤカイン族 テッ族シャン族 そしてモン族などがすでに独自の生活様式で暮らしていたそうです。
特にモン族の歴史は古く、紀元前1500年には東南アジアに現れて、BC300年頃には今のタイにスワンナプーム王国を建国した。因みにこのスワンナプームの王国名がタイ、バンコクの新空港に使われている。
(カヤー州ルインコーを回ったガイドさんが教えてくれた)
またBC2世紀には上座部仏教を受け入れ、ビルマ文字の元になったモン文字なども使用しモン族は高度な文明を築いていたんですね。
タイからミャンマーのパゴー(ペグー)にかけて、1000年前から王国を築いていたモン族はタライン族とも呼ばれ、パゴーやタトンはその都として発展しました。
1755年 ビルマ族のアラウンパヤー王が、ダゴンと呼ばれていた今のヤンゴンを占領し、ヤン(戦い)コン(尽きた)と言う意味の名前をつけたのです。
よく言われるようにラングーンという名前を、突如強引にヤンゴンに変えたというのは実は誤りで、ミャンマーの人々は、255年前からヤンゴンと呼び続けている町なんです。
今現在は、モン族はビルマ族の中に溶け込んでいるように見えます。美男美女が多いともいわれ、理髪店経営やそのスタッフにモン族が多いのも、
パガンの寺院の壁画を飾った先人の美的センスのDNAを受け継いでいるいるせいかもしれない。

ヤンゴン観光とパゴダ金箔作業

ヤンゴン観光とパゴダ金箔作業

ヤンゴンの朝晩は涼しくなり、日中の日差しも強くないため、一番過ごしやすい時期になっています。旅行のため、ベストなシーズンですので、大米人、中国人、タイ人、日本人など観光で楽しんでいる時期です。せっかくのパゴダ参りなのに金箔を貼る作業と出合ったこともあります。現在もヤンゴンの有名なシュエダゴンパゴダは金箔を貼るため、下の部分はマットでかぶせています。隣Mahawizayaパゴダも同様で作業中です。

マグエと、ミンブーとシュエセットーに行ってきた。①

マグエと、ミンブーとシュエセットーに行ってきた。マンダレー管区ミャンマー中心部
修復中のマグエパゴダ
マグエと、ミンブーとシュエセットーに行ってきた。
4泊5日の旅。10月24日(2009年)の夕方、タクシーでヤンゴンのアウンミンガラ長距離バスセンターに到着。午後5時15分発の長距離バスにのり
翌25日早朝6時マグエに着いた。 
帰りも夕方5時マグエ発で、13時間の長距離バスはやはりものすごく疲れた。ほとんど眠れないし、軽食とトイレタイムで4時間おきに2回停車した。 
ミャンマーに住んでいるのに、ミャンマーのテレビ、映画の類をここ5,6年全く見ない。それでバス旅行で車内で放映されているミュージックビデオやビデオ映画を、けっこう面白く見ていた。
1から4は、「行ってきました」に掲載されています

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ミッチーナーのミッソン


ミッチーナー(Myitkyina)町から車で約一時間強の距離にあるミッソンです。メカ(N’Mai Kha)河とマリカ(Mali Kha) 河が合流して、ミャンマーの主要な大河エーヤーワディ(Ayeyarwaddy River)になってきました。メーカ とマリカが合流したことで、ミッソンという名をつけました。『ミッ』は河の意味です。『ソン』は出会うの意味です。ミッソンからボートをチャーターして上ってゆくこともできます。宿泊施設はありませんが、軽食のように食べられる食堂はあります。
主な見所はありませんが、流れている河と川原にある白くてきれいな石、そして茂った樹木等のバランスがよくて、きれいな景勝地になっています。下流には砂金を採っている場所もあります。

裏ポッパー山 (ミャンマー百景1)

裏ポッパー山 (ミャンマー百景1)バガン遺跡から1時間の距離で位置するポッパー山、観光客に人気が出ているあそこは旅行者は増えている一方です。
最近忙しい。自分でもよく働いていると思う。(自画自賛だが)仕事がある事をありがたいと思う反面昔のように自由に旅で出られなくなった。去年の11月ミャンマー最南端のコータウンに行った。
その前は2007年2月に、ミャンマー南西端のモーティンズのパゴダ祭り(「ミャンマーあっちこち」に旅行記がある)に行った。以前は2、3ヶ月に1度くらいミャンマー国内旅行に出ていたが、最近は年に1度がやっとである。
それで、つらつらと今度どこに行こうか? と想像することが多くなった。今まで行った中で、また行きたい場所など考えるのも楽しい。それらの思い出を「ミャンマー百景」として書いてゆこうと思う。

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