ヤンゴン市の北部に広大なローカ自然公園がある。複雑な形の湖が広がり、サルや鹿、孔雀などが放し飼いで飼育されている。湖にボートで繰り出すこともできる。
この自然公園を過ぎると、さらに北にモーヴィという町がある。ヤンゴンから車で1時間半くらいの距離である。これといった特徴がある町ではないが、かつてはミンテンカ大先生のいる町として有名だった。
作家で著名な占い師であるミンテンカは、その弟子1万有余人といわれ、ミャンマー国最大の占い師だった。占いを行う寺院には、早朝から毎日400人以上が列を作り、しかも質問は1つだけという。
6,7年前ミャンマー人の友人が、結婚のことで占ってもらいたくて寺院までやってきたが、すでに長蛇の列、夕方4時まで並んで翌日の優先票をもらって帰ってきて、翌日バスで2時間かけて再度出かけて行ったそうだ。
私も1度見てもらったことがある。生年月日からの占いと、タロットカードを引いて運勢をみてもらったが、ほかの優秀な占い師に比べて、的中した確率はそれほど高くなかったと思う。
それでも、日本で有名な占い師は、毎週ミンテンカ先生にお伺いを立てて、その結果を翻訳してファックスで送ってもらい。毎週 どこかの週刊誌に日本人の先生の名前で掲載されていたという話もあるそうだ。
しかし、2年ほど前にミンテンカ先生が70歳で亡くなってしまった。生前は、あの寺院は占いのほかに、「厄落とし」でも有名だったのだが、すっかり人気が無くなったそうだ。
そんなモーヴィだが、すぐ近所に日本軍が作ったといわれる飛行場がある。赤土のままで、今でもこの国の空軍が使っているようで、一般人は立ち入れない。
そこを過ぎて30分、マグウェまで続く2号線から、小道を右に曲がってしばらく行くと、ゲイトがあり数人のお役人がいるが、「湖まで行く」と言うと問題なく通過できる。そしていよいよ、かなり大きな冨士湖が見えてくる。
富士ときこえるが、ミャンマー語のスペルはほとんど同じなのだが、正確にはプヂー湖 プ*芽 ヂー*大きな 「大きな芽の湖」が正解だった。1998年ころに完成したダム湖である。
しかし、黒部ダムのようなアーチ型のコンクリートの壁はないし、うちの郷里に世界最小のアーチ型ダムがあったが、それでもこのダムの施設よりは大きいと思う。
四角い水の取り込みのための建物があり、そこから15メートルくらい下に発電所のような建物がある。
最初は、ヤンゴンまで電気を供給しているダム湖かもしれないと、期待して見に来たものの、これでは一つ二つの村落に電気を供給できる程度だろう。ちなみに、ミャンマーで売られている地図にはこの湖は載っていない。
友人がネットの航空写真で発見して、ぜひ行ってみたいとやってきた湖である。3,4回来たという友人は、半日 魚釣りをして帰ったとか、、、ヤンゴンから、往復4時間の旅である。
カテゴリー: ミャンマー観光
のどかなカレン州のパアン旅行へ ②
パアンといえば、洞窟がいくつか見学できる所です。今でも有名な洞窟もあり、時代の状況で薄れていく洞窟もあります。
Kaw Goon(コッグン)洞窟。7世紀からの洞窟ですので貴重な技術が見学できます。洞窟の天井にはたくさんのせんぶつが貼られています。昔から洞窟の前にある池からの泥でその小さいせんぶつを作って、天井に埋めてたようです。言葉では説明できない所ですので写真をご覧して下さい。
コッグン洞窟の天井
コッグン洞窟の中
その次はKaw Kathaung(コッカタウン)洞窟です。洞窟の奥には仏舎利が置かれています。狭い道から暗い所へ入ることですので、狭い所が苦手な方のため、奥まで入ることがオススメできませんが。
コッカタウン洞窟
また、ネットでよく出ているBayint Nyi(バ・ヤィン・ニー)洞窟。パアンの地域を平和にさせてくれましたThamanyaサヤドー(お坊様)が亡くなられる前にThamanyaへ行く参拝などが必ずこの洞窟にも寄っていました。その時は非常に賑やかな所でしたが、現在は人の姿が薄れていっています。洞窟の前には温泉もあります。男女別れていますが、温度が低く温かくだけです。洞窟が長くて広かったですが、管理ができなくなって今は中まで入るのは出来なくなっています。
ダイブしてたサル
洞窟の玄関
その次がSat Dan(セッダン)洞窟が一番大きくて、長い洞窟です。中が暗いため、発電機を回さないと、行けません。洞窟ですので、ジメジメしているのは当然ですが、ここの歩く道が泥もあり、水も流れています。中では約30分位の長さでした。洞窟内には乳石が下にもあり、上からもぶら下っています。大きな乳石も見ました。セッダン洞窟までは道が凸凹で悪く、車が行けなくなったため、歩きました。
洞窟内の乳石
洞窟の最後で見ました山羊です。高い所に立ってカメラをじっと見ていました。可愛かった。
モーラミャイン町を出て、パアンへ向かう道路の横にもPhayone(パヨン)洞窟があります。
のどかなカレン州のパアン旅行へ ①
チャウカッラパゴダ
ヤンゴンから車で5時間で運行すると、カレン州の首都であるパアンへ着きます。パアンの両側が田んぼ、山、崖、牛で緑が多く見えますので、のどかな雰囲気です。パアンのランドマークがズェカビン山(Zwe Kha Bin)。ほとんどの写真には真ん前から撮ったのが多いです。チャウカラッパゴダへ行く途中ではズェカビン山を通っていきます。道路のすぐそばでズェカビン山を近くから見れます。そこで現地の人の話にはズェカビンの兄弟があり、山腹にその兄弟の姿が出ているといわれています。よーく見ると、山腹に人の姿を書いてたようで高い方が男性、低い方が女性のような形で見えます。
兄弟と言われている所です。
チャウカッラパゴダから見たズェカビン山の横の姿です。
ズェガビン麓はロンビーニーと呼ばれています。500以上の立仏像が見渡しできる所まで建てられています。
仏像の一体ずつに木が一本ずつ植えたが、管理ができなくなって、別の木もばらばら
チャウカラッパゴダ。崖のような頂上でパゴダを立てていました。きれいなのはその崖と真ん前にある池です。池に長い橋をかけています。その橋から見えるチャウカッラ全体が非常にきれいです。崖の下では僧院があります。パゴダがある所までは登れませんが、半分位まで登れ、そこから見ました周囲が非常に素晴らしいです。
チャウカラッから見ました周囲。緑や山で新鮮な空気が疲れをとれます。
ミャンマー観光でシュエダゴンパゴダ
ミャンマーのランドマークと言えるシュエダゴンパゴダ。ミャンマー観光の時、いくら時間がなくても必ず訪問しているパゴダです。観光場所と言われていますが、地元の人々の心とも言われているシュエダゴンパゴダです。
そのシュエダゴンパゴダへ訪問した観光客が1999年から2009年の10年間の間で1,214,588人でした。2010年の観光シーズンで訪ねた観光客も2009年より増えていましたようで、今年の1~3月の3ヶ月間が2009年より2万人位多くなっていました。
シュエダゴンパゴダの入場料が5ドルで早朝の4時半ごろから夜の9時ごろまでは訪問可能です。また、ライトアップしている夜の風景もきらきらでいつでも心に平和な思いをさせています。ヤンゴンへの初日も最終日も訪ねている方もいました。
世界三大仏教遺跡
雨量が多い雨季の季節で旅行するとしたら、雨が少ない地域を選択した方がいいです。何処でも雨が勢いで降っていますが、世界三大仏教遺跡のバガンがほかの場所より少ないと言えます。この頃も雨が少なくて、温度が日中は30℃、夜間は26℃です。
バガン遺跡が魅力的な所がたくさんあります。その中で夕日と夜明けの日の出も有名です。夕日が鑑賞できるスポットもいくつかあります。
夕日の鑑賞で有名なのはシュエサンドーパゴダです。5層のテラスがあり、急階段が登らなければなりませんが、大変見事な夕日が鑑賞できることで、多くの観光客が集まってきています。帰りが急な階段に気をつけて降りなければ。
その次がエーヤワディ川沿いにあるブーパヤです。階段もなく、川沿いで鑑賞できますので、年配の方には優しい場所です。但し、地元の人々も出たり入ったりしていますので、静かな雰囲気が無くなった時もあります。
なぞの巨大パゴダ
カンドーヂ湖でつり
ヤンゴンからマグエまでバスで、13時間。そこから友人のジープで、東に1時間半でベイタノー遺跡。そしてさらに30分で、 タウンドゥインヂーという古い町についた。町の名前は「山に囲まれたその中」という意味を持つ。この町に修復中(2012年完成予定)の巨大パゴダがあった。
町の名前自体が、「地球の歩き方」にも「lonely planet」にも記載されていない。
このパゴダは、正式名アウンミン・ゼーヤーミャッヂー・ゼーティであるが、町の人はヤカインパゴダと呼んでいる。
元々のパゴダ先端
完成模型
ヤカインパゴダ
歴史的にも規模的にもミャンマー有数のパゴダである。パガンのものより大きいし古い。年代は9世紀か?
パゴダの事を紹介したパネルがあったので、読んでみた。完成年度が1373年になっている。これはビルマの年号で書かれているので、1373年に639年を足して西暦2012年になる。
同じように建立された191年は、西暦に直すと830年ということは、パガンにあるパゴダ群(11世紀から13世紀)よりも古いパゴダということになる。
高さは、252ペイ(1ペイは1Feet) 75.6メートルになる。パガンで一番高いダヌービュパゴダが60メーター、2番目のゴードパリンパゴダ55メートルである。
歴史的にも、大きさ的にもミャンマー有数のパゴダになると思う。(ミャンマーで一番高いパゴダは、パゴーのシュエモードー・パゴダで114メートル。ミャンマーで一番有名なシュエダゴンパゴダ99メートル)
後先端の部分を残して修復がかなり進んでいる。ヤカイン族の姫様が、(山ひとつ西に行けばヤカイン州)
このタウンドゥインヂーの豪族に嫁ぎ、寂しくないように高いパゴダから故郷のヤカインが眺められるようにと、姫様の父王が建造させたという。
偶然立ち寄って15分20分間で修復中のパゴダに登り、修復現場の役人にあわただしく話を聞いたので、多少間違いがあるかもしれないが、相当古いヤカイン族のパゴダである事は確かだと思う。
カンドーヂ湖
その後、タウンドゥインヂーの町を車で1周した。カンドーヂ湖とヤンゴンにも王族が造った湖があるが、同じ名前の湖? 池があった。木製の風雅な太鼓橋があり、のんびり釣りをしている人々がいた。
そしてこの古い町からネーピードゥまでは、なだらかな低い山を、少し上っては少し下右に左に回りながら4時間山中をジープで巡りながらたどり着いた。
マグウェからだと、ネーピードゥまで6時間の行程である。
マグウェ
鬼のレリーフシャン様式のジャンドーヤ・パゴダ
シュエセドー(2009年10月)
シュエセドー 幻の町 (2010年 1月)
よほどの物好きでない限り、マグウェまで足を伸ばす人はいないだろうが、、宿泊したホテルには、フランス人の女性2名と、オーストラリア人の若い男子3名が、翌日車をチャーターして一緒にパガンまで行くと言っていた。、
マグウェの川向こう(ミャンマーNO1の大河エーヤーワディ河に架かるミャンマーで2番目に長いマグエ橋でミンブーと結ばれている)ミンブーには古いパゴダガたくさんあり、町の歴史の深さを物語っている。ナガープワッ(竜の地)と言われる、北海道にある昭和新山までは行かないが、マグマで押し上げられた灰色の丘もある。
ミンブーの北プインピューに、ジャウンドーヤというシャン様式の古いパゴダがある。このあたりまでパガン時代から稲作が盛んで、エーヤーワディ河沿いに南下したこの地帯と、北はミンジャンの稲作地帯、この北と南の稲作地帯(王族や僧院の荘園)の中間に位置するパガンに都を定めたと大野徹先生の説である。
*「なぞの仏教王国 パガン」大野徹著 NHKBOOK
前回(2009年10月)も今回(2010年1月)もマグエまでは、1人でバスで来た。13時間くらいかかっただろうか? 2009年8月に行ったマンダレーへのバスがキンキンに冷えたバスだったので、冷房対策で靴下やジャンバーの用意もして来ていたが、マグエへのバスは25年位前の日本の中古バスで、冷房はとうに壊れていた。夕方5時出発の深夜バス(長距離のバスは普通夜走行する)で、途中3回ほど休憩が入り、トイレや軽食を取ることもできる。 なので長距離バスに乗ると3,4時間に一度は起こされるので、熟睡はできない。
マグエで友人(日本人男性)とお供のビルマ人2名と合流し、ヤンゴンに戻るまで友人が購入したばかりのダゴンエースというジープで行動した。
ミャンマー人が一生のうちに一度は行きたいシュエセッドー・パゴダも、前回10月には無かった川原に幻の町が出現していた。
以前祭りは3月と聞いていたので、何も期待しないで友人が行きたいというので同行しただけだったが、実は祭りは1月17日から5月まで開催されるとかで、「幻の町」が急ピッチで建造されていた。清流の砂と石ころ以外は何も無い川原が1週間で町に変身する。すでに来ている参拝者もいた。
祭り期間中は1万人の町になるという。長さ12メートルほどの橋も4箇所すでに造られていた。
そして祭りが終わるとすべて取り壊される。故に期間限定の「幻の町」といわれる所以である。
きちんとした計画もしないで行った旅だったが、思いがけず収穫の多いものになった。
ベイタノー遺跡
ベイタノーの遺跡のすぐ近くでは、牛の市が開かれていて、大きな牛は25万ks(25000円)で売り買いされていた。
今回のマグウェからネーピドゥを回る旅の中で、目玉というか目的は、ビルマ族がこのミャンマーという土地に出現する以前に栄えたピュー族の遺跡ベイタノー(2世紀から4世紀)に行くことだった。
ピーと言う町にもピュー族のタイェキタヤ遺跡があるが、こちらはずいぶん前に2回行ったことがある。ベイタノー遺跡には、新しく博物館も建てられていて、外国人料金5ドルを支払って館内を30分くらい見て回った。入場者名簿にちょうど1年前に日本人女性の名前が書かれていた。
話は少し変わるが、(2010年3月10日頃) 衛星放送で中国の「大理」を紹介していた。1200年前に南ショウ国の都だったと。このナンショウ国が9世紀に南下してミャンマーに攻めてきて、滅ぼしたのがピュー族の城塞都市とモン族の都であるといわれている。
しかし、13世紀にやって来た元寇(モンゴル)もそうであったが、このナンショウも、長居はせずに自国に早々と戻って行った。今の昆明にピュー族の捕虜3000人を連れていったという。
遠い昔、騎馬民族のビルマ族は、そもそもナンショう軍の斥候セッコウ(敵の地形や軍備の情報を調べる役目)や先導を担っていたという。 それで、9世紀後半ナンショウが引き上げて政治的空白地帯になったミャンマー北部から中部にかけて、先に定着したシャン族を避けて南下して来たといわれている。
ベイタノーの博物館には、出土したコインの写真はあるが、実物はない。つぼや土器も日本の縄文時代のものと大差がない、日干し煉瓦でできた城壁、ピュー族はどんな民族で宗教は何だったんだろうか? どんな衣装を着て何を食べていたのだろうか?興味は尽きない。
2009年の12月に行ったカヤー州の山岳地帯の民族にも、元ピュー族だと自称する民族がいるという。この自称ピュー族の末裔というのは、日本の平家の落ち人伝説のように、この国各地に根強く残っている。
この旅から戻ってきた時に、ビルマ族の友人の一人が、もうじき「ピュー族とその文化」という本が出版されるというニュースを教えてくれた。一般のミャンマー人もピュー族については、ほとんど何も知らない。この本が出たら早速辞書を引き引きゆっくり読んでみようと思う。
ヤンゴン/バガンの列車
ヤンゴンからバガンへの列車は本日より運航開始しました。寝台は2車両、座席のFirst Classは1車両、エアコン無しのSecond Class 座席は2車両、食堂は1車両、荷物は1車両があります。
料金は以下のようになります。
Sleeper(Special.I) 【US$ 50】
Sleeper(Special.II)【US$ 50】
First Class Seat 【US$ 40】
Second Class Seat 【US$ 30】
Sleeper(Special.I)
仕切り客室(コンパートメント)の種類です。1車両に4人部屋の4室が入ります。2段ベッドで、シーツと毛布が備えられています。設備は4人部屋に個室のエアコン、トイレが付いています。
Sleeper(Special.II)
片側通路式寝台車です。1車両に4人部屋の4室が入ります。 2段ベッドです。設備は個室のエアコン、トイレとシャワールームが付いています。
First Class Seat
座席車の料金で乗れる設備としては、それぞれ一部の列車に、リクライニングシートを装備しました。エアコン付きで1車両に40席が入っています。
Second Class Seat
エアコン無しで1車両に62席が入り、2両ですので、合計124席が入ります。
食堂車
Sleeper(Special.I)はコンパートメントですので、走行中は食堂まで行く事はできませんので、事前に食べ物などを買っておく必要があります。
観光用の地図
広告はあまり取れてないため、新しい地図の出版は遅くなっていましたが、やっとミャンマー全土、とバガンの新しい地図が発行しました。料金は少し上がりましたが、エリアの情報も載せています。ヤンゴンの地図は6月に出版する予定です。