津軽三味線のコンサート

ミャンマーの津軽三味線のコンサート
昨日2月6日。  元NIKKO Hotel 今現在 タイ資本のChatrium Hotelになって、初めて行った。 歩いても10分もかからない距離にある。そのホテルのバウホールで、「ジャパン メコン交流年」の第1弾として、青森県から津軽三味線の2人組みの女の子、「あんみ通」のコンサートが午後3時から開催された。 開場は席が足りなくて、イスを追加するほどの盛況で、300人近い観客が演奏を楽しんだ。
2人とも津軽三味線の数々のコンテストで優秀な成績を取った2人組で、1人がボーカルもかねる。声量豊かで、ミャンマーでもヒットしている「花」という曲を、日本語とミャンマー語で歌って、ヤンヤの喝采を浴びていた。

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冬から一気に真夏へ


ミャンマーでは、3つの季節があるとされている。十数年前、ミャンマーの小学生の教科書で、ビルマ語を習った。そこには、乾期(涼季とかミャンマーの冬とも呼ばれている)暑季 、そして雨季がある。 それぞれ4ヶ月x3つの季節と習ったが、実際は雨季が半年くらい続く。10月の中ごろに完全に雨季が明けて、乾期が始まり、12月などは朝などは非常に寒い。
日本にいる方は、亜熱帯のミャンマーが寒いなんて、想像も出来ないだろうが、寒がりで虚弱体質の私は、寝るときは今もそうだが、必ず靴下はいて寝ている。1週間くらい前から、朝起きると霧?朝もや? 10メートル先は何も見えない。そして、少し前まで、観測史上最低気温を記録したとニュースで言っていたのに、日中はカーと暑くなって、アンダーシャツ1枚になっているくらいである。本当に、舞台の早変わりではないが、冬から一気に夏に突入のヤンゴンである。そして、4月の水祭りティンジャン(別名 ミャンマー正月)も過ぎて、5月になると雨季に入る。それからは長い長うんざりするような雨の季節が続く。
季節というのは、人間の性格にどれくらい影響を与えるのだろうか?長い長い雨季を耐え抜くしぶとさを持っている反面、冬から急転下夏に突入するように、短気で感情を一気に爆発させるミャンマー人も、いるにはいる。
有難いことに、私の周りにはいないが、、、

ヤンゴンの朝食の店

ヤンゴンの朝食の店モーニングサービス
日本には朝食の専門店ってあるだろうか?喫茶店のモーニングサービスではない。家族揃って、車で朝食食べに少しおしゃれして出かけるのである。近所にそんな朝食の大型店が2軒ほどある。
「セータインチャー」
支店が何軒かあるようだが、本店はカンドーヂ湖の南岸にある。工事がこの10年ストップしては再開しまた現在ストップしている、ラウェー(ミャンマーのキックボクシング)の未完成の競技場の真横に位置する。 ほとんどの客が自家用車で来ているが、私はスタッフ達と歩いても5分くらいなので、徒歩で行くことも多い。

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ヤンゴンのとある景色


この風景は以前にも何度かブログに書いたかもしれない。しかし、これほどの景観が見れる場所というのは、そうあるものではない。友人の弁護士宅からの眺めである。旧アメリカ大使館とインド大使館にはさまれたアパートの7階。
ヤンゴンで最も有名なシュエタゴン・パゴダとスーレーパゴダが、2つ同時に見える。奥まったところに鎮座ましますのが、ミャンマー随一のシュエタゴンパゴダ。そして左端にある八角形のスーレーパゴダ。
ヤンゴンの地名に「6マイル半」「8マイル」「9マイル」「10マイル」等がある。これはスーレーパゴダが基点で、ここからの距離がそのまま地名になったもの。そのほかに写真の中には、ヤンゴン市庁舎、最高裁判所、トレーダーズホテルその向かいのサクラタワー、FMIビル、グランドミヤター・ホテルなども入っている。弁護士の友人は58歳、結婚15年目に長女、17年目に長男を授かって、今幸せ一杯の家族である。
何でも、15年間あちこちのパゴダに「子供が授かるように」お参りしたらしいが、いっこうに効果がなかったそうだ。3年前にヤカイン州のパゴダに参ったところ、やっと念願かなって妊娠したので、先日家族でお礼の参拝に行ったと話していた。
しかし、長男が大学卒業する頃には、友人は78歳になる。酒も肉食もせず信心深く、弟子も多く、ますます仕事もがんばっている。私も本を発売したが、なかなか売れずに月に50,60冊しか売れていないが、弁護士の友人の本は1500冊売り切れ、第二版が出来上がって家に届いていた。私もいただいたが、「犯罪捜査の指紋照合の、、」という専門書で、法律関係の人によく売れているらしい。ミャンマーの出版界は、1000冊売れたらベストセラーだそうだ。

日本映画際

ヤンゴン市内のタマダー映画館で
1月の18日から21日までの4日間ヤンゴン市内のタマダー映画館で、日本大使館の主宰で4本の日本映画が上映された。
18日 「ナビィの恋」1999年
    沖縄のとある島が舞台。
--    60年ぶりに帰ってきた恋人と、
    駆け落ちする老婆の恋
19日 「Water Boys」2001年
    学園祭でシンクロナイズ・スイミングを
    することになった、落ちこぼ男子高校生
    ラストのシンクロの演技のすばらしさは、ありえないが、、、
    これぞ映画の醍醐味、ミャンマー人観客に一番受けていた映画。
    玉木 宏という俳優をはじめてみた。 
 20日「リンダ・リンダ・リンダ」2005年
    こちらは女子高の学園祭の、女性のバンドの話。
    大いに盛り上がるラストシーン。
    女子高生の微妙な心理、超ミニスカートの制服が
    ミャンマー人には驚きか?
    主演の1人韓国人留学生役で、バンドでボーカルを務めた
    女の子がとてもよかった。
21日 「卓球温泉」 1998年
    松坂慶子主演の家出した主婦が、寂れた温泉町を 
    卓球大会で盛り上げる話で、4本ともエピソードは違うが
    最後は祭りが盛り上がってENDである。
全ていい映画だったが、ミャンマーの映画のコメディーに比べるとかなりテンポが遅い。唯一 「Water Boys」のみが映画館が5分に1度くらい爆笑に包まれた。この後マンダレーでも上映会がある。タマダー映画館のタマダーとは、「大統領」という意味。映画館にかかる看板は、ミャンマーの映画で、日本映画際は夕方6時半からの開催で、初日には日本大使の挨拶があった。
久しぶりに日本映画を大きな画面で観れて幸せだった。

ヤンゴン物語

ヤンゴンミャンマー情報
小津安二郎監督の映画「東京物語」は、私が生まれた1953年に上映された名作で、日本映画の最高傑作と評価する映画評論家もいるらしい。私はこの「東京物語」を、15.6年前に見たと記憶する。その頃でも40年前の映画である。映画の中で話される日本語があまりに美しいので感動した。
田舎から年取った老夫婦が東京に出てくる。医者になっている長男や美容院を経営してている長女は、そんな両親をあまり面倒を見ない。一番心を尽くしてくれたのが、戦争で亡くなった次男の嫁で原節子演じる女性だったというストーリーだ。

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女優カイテンチとシュエタゴン・パゴダ

ミャンマーのパゴダの境内では、裸足にならなければならない。日中の暑い時間帯などシュエタゴンパゴダは修復中で
昨夜、久しぶりにミャンマー随一のシュエタゴンパゴダに参ってきた。女の子のスタッフ達は、週に1回は必ず参っている。ここから歩いて25分くらいでいけるし、夜は静かで涼しい、昨夜は8時半くらいに出発して、9時頃パゴダに到着した。
ミャンマーのパゴダの境内では、裸足にならなければならない。日中の暑い時間帯など、敷き詰められているタイルや大理石が熱くてとても歩けないこともある。しかし、乾期の夜である。ひんやりした風が吹いて、と手も気持ちがよかった。今、シュエタゴンパゴダは修復中で、たぶん金箔を塗り替えているのだと思う。竹で足場を作って、作業が進められている。
毎年思うのは、観光客が多い乾期が修復をするのにも一番良い季節なので、どうかすると観光客は、修復中の有名パゴダばかりを案内される羽目になる。雨季は作業が出来ないし、暑季も暑過ぎて、どうしても修復は乾期になってしまう。
ミャンマーのパゴダの境内
写真 中央の黒と白の模様のロンジーがカイティンチ
昨夜は、シュエタゴンパゴダに、人気女優のカイテンチが、夫と子供つれてやってきていた。田舎から出てきたばかりのスタッフが、「写真とってもいいですか?」と聞くと、にっこり微笑んでうなづいてくれたので、スタッフを呼び集めての撮影会になった。
しかし、カイテンチに遭うのは3回目でだが、本当に感じのいい女優さんだ。CMタレントからスタートして10年、大女優でも、演技派でもないが、アイドルからそのまま女優になった人で、これまでに悪い噂が全くない人で、珍しいくらい悪い話を聞かない。明るいキャラクターで、コミカルな演技に本領が発揮されて、男にも女にも人気が高い女優さんだ。

WALKING

カンドーチ湖周辺の様子です
Photoは、12月25日木曜日の午前6時少し過ぎの、カンドーチ湖周辺の様子です。金曜日、土曜日ともなるともっと人が多く、まるでお祭りのような騒ぎです。多分この歩道は、朝が一番人が通る道で、日中や夜などはめったに歩く人もいない。
毎朝、愛犬のルーシー(ダルメシャン)と、4.3kmほどあるこの湖の周りを一周している。ここに引っ越してきたのは9年前。その頃にはこんなに多くの人がWalkingなどやってなかったっと思う。これほど人が多くなったのは、3年くらい前だろうか、日を追ってゆくごとに人が増えて、早朝5時過ぎ未だ日の出前の薄暗いうちから人が歩き始めている。
私のように湖の直ぐそばに住む人は、このコースに来るのはたやすいことだが、かなり遠方から歩いてここまで来る人もいるし、車で来ている人たちも多い。またWalkingを日課にしている人たちを当て込んだ、商売人も早朝から食べ物の屋台、体重計を持ってきて体重を量ることでお金をもらっている人もいるし、スポーツウェアーを売っている人たちも多い。
スポーツウェアーといえば、以前は見かけなかった、シューズからパンツとかランニングシャツにいたるまで、完璧にスポーツスタイルの人も増えてきている。これだけ健康志向の人が多いのに内心驚いている。

「ビルマの竪琴」水島上等兵のモデルが死去

アウンランまちにあるマガネのパゴダ
アウンラン町にあるマガネのパゴダ
ピィーの市外にある慰霊塔
ピィーの市外にある慰霊塔
『「ビルマの竪琴」水島上等兵のモデルが死去 』という記事を見つけた。
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竹内道雄の小説「ビルマの竪琴」の主人公、水島上等兵のモデルとされる僧侶、 中村一雄さんが 17日、老衰で死去した。92歳だった。13歳で仏門に入り1938年に応招。インパール作戦などに参加し終戦をビルマで迎えた。中村さんの所属していた部隊にオーケストラ団員がいたことから編成されたコーラス隊で「埴生の宿」などを歌い、捕虜や死者の魂を慰めた。小説は、中村さんと同じ部隊に所属していた教え子から聞いたエピソードをもとに書かれたという。
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作者の竹内道雄氏は、この本を書くにあったて1度もミャンマーに来たことがないそうである。また亡くなった中村さんも、ミャンマーに残って僧侶を続けていたわけではないようだ。
 
第2次大戦後、ミャンマーに残り僧院に匿われそのまま何年か僧院で過ごした方や、ミャンマーの女性と結婚して、そのまま日本に帰らずにひっそりとこの国で暮らし、ミャンマー人の家族に見守られながら、静かに亡くなった方も何人か いらっしゃる。

 

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日本にメールを送った後で


メールのアドレスが変わったので、日本に住む友人知人20名にメールを送った。その後、その続きになる気になる事が見えてきた。
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お元気でしょうか? ミャンマーは5カ国に囲まれた国ですが、最近は両隣のタイやインドが、物騒だったり騒動が続いておりまが、ミャンマーはいたって平穏です。もうじき住み着いて11年になるヤンゴンは、乾期に入り朝夕は冷え込み風邪を引く人が多いです。実は私も4,5日寝込んでおりました。
アメリカ発の金融危機も、アメリカから制裁を受けている国ですし銀行も機能してない国ですから、表面的には影響はないようです。株式市場もありませんしね。後、NHKのスペシャル番組で見たんですが、「アメリカ発世界食糧危機」これも、アメリカに関係していないことは幸いしてか?農業国ですし、多少の値上がりはありますが、影響は少いようです。世界の時流に遅れていることが、逆に幸いしているような感じです。
しかし、おいおい有形無形で何らかの影響は出てくると思います。我が家では、やっとADSLが出来るようになって、ネットもメールも少し便利になっております。今年は目一杯いろいろありすぎて、忙しすぎたのが2008年の印象です。来年は、もっとゆったりと過ごしたいものです。

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以下はおいおい出てきた世界同時金融危機の影響である。
1.ミャンマー通貨ksが、日本円に対し下落。
2.海外就労の雇用が急激に減り始め、失業して帰国する。ミャンマー人も出はじめている。
3.ミャンマー国内98%以上が中古車だが、その車の値が急激に下がり始めている。
  
4.外国製品であるセメントなどの値上がりにより住宅などは値上がりしている。
  
5.世界に歩調をあわせるようにガソリン代がかなり下がった。
6.うちは幸いにも免れているが、他の地区では深刻な停電が続いている。
  私が気が付いただけど、このような影響が出てきている。