宅配便などミャンマーにはない。
だから最近日本で起きた「元厚生次官夫婦殺傷」のような陰惨な事件は起こりえない。またヤンゴン市内の中流家庭では、お手伝いさんがいるのが普通で、すぐに奥さんが外から来た人に応対しない。また、大体ドアは2重になっている。昼間女性だけの所帯など、鉄格子状のドアはロックされた状態で、木製のドアを内側に開ける。うちもその様な構造になっている。
話を、宅配の荷物の事にもどす。1週間ほど前に、日本に住む友人のWから郵便小包が届いた。私宛の品物ではない。 W君はヤンゴン外国語大学で、3年間同級で、まじめでミャンマー語が上手い優秀な好青年だった。時々メールが届く。 6月に結婚したようだ。その結婚の写真をヤンゴン外大でお世話になったT先生(女性)に、送りたいというメールである。
郵便物は、先に小さな紙切れが届き、それとパスポートを持って中央郵便局に取りに行かねばならない。以前は1時間待ちが普通だったが、今回は10分間ですんなり賄賂も要求されずに品物を受け取ることが出来た。
いろいろ調べるとT先生は今メイティーラ経済大学で教鞭をとられているのが解った。それで、今ヤンゴン外大に勤務する知り合いの先生に。電話番号を教えてもらったものの、メイティーラまでなかなか電話が通じない。
投稿者: Golden Garden Tour
ミャンマー最南端コータウンへの旅 3
ミャンマーの最南端というだけの理由で来たコータウンだが、パロントントン・ビーチの他にもいくつか見所がある。1番有名なのが、タテイジュン(富豪島)に行ける。 コータウンの船着場から、タイバーツ150Bで船のチケットを買って、20分くらいで富豪島に到着する。島全体がANDAMAN CLUBの敷地になっていて、ミャンマー国内でも多分1,2を争うような豪華なホテルである。この島はタイ人の観光客が多く利用するのだそうだ。
ギャンブルが出来ることで有名らしい。エステ・マッサージ・ゴルフ・プライベート・ビーチリゾート志向の方にはまたとない施設が整っている様だ。私は一つも利用することなく。ホテルを風のように横切って小1時間ほどで戻ってきた。島内に野生のサルがたくさん見られた。カメラを構えたら、あっという間に逃げていってしまったので、本当に人になれてない野生サルなのだろう。
ミャンマー最南端コータウンへの旅 2
最初この旅行記の題名を「ミャンマー災難端の旅」にしようと思ったくらい、到着そうそう不快なことが続いた。
あのコーヒーとかに入れるコンデンスミルクにアレルギーがある。しかし、何も起こらない時もある。まぁ 忘れていたんだけど、飛行機の中で、鼻水が出ていた。軽い風邪のような状態で体調悪かった。 ホテルの近くのサテンの、小さなカップに少量のミルクが入っているコーヒー1杯で、 突然呼吸が出来なくなるほど咳が出て、ドウカしてもう少し酷いと、呼吸困難で死んでしまうのではないかなと、、、酷い咳だった。、結構怖い。
実際どうやってホテルまで歩いて戻ったか解らないほど意識朦朧として、倒れこむようにホテルに着くと、ドアボーイの子が愕いて、部屋まで体を支えるようにして付いて来てくれて、「医者呼びましょうか?」と聞いてくれた。部屋で手作りのエッセンシャルオイルを、喉から胸にかけて塗りながらマッサージして、小1時間で咳も止まり楽になった、、、が、その後3日間寝込んだ。 年に1,2回発作のような症状が現れる。
ミャンマー最南端コータウンへの旅 1
例年に比べ長すぎた雨季があけた。 しばらく旅をしていない。ミャンマー国内にも何箇所か行ってない場所が残っている。プータオ、ビクトリア山、ロイコー、シュエセッドーなどまだ行ってない。山はちょっと趣味外ではずす。プータオ ロイコーは今現在外国人が入域出来ない。シュエセッドーは今の時分人が多すぎる。それで最南端のコータウンに決めた。
ただ最南端にあるという以外ほとんど何も情報を持たない。G&Gにチケットを頼んだ。ベイに2泊、コータウンに2泊くらいで頼んだら。コータウンに行く便が6日に1度しかない。つまりコータウンから6日間動けないスケジュールになった。
ヤンゴンエヤーウェイで飛んだ。 「高い!」ヤンゴンーバンコクよりもはるかに高い。ミャンマーが旅行者に不人気のひとつが国内便の高さである事を、改めて思い知った。(現地に行って解ったのは、マンダレーエヤーも運行していた。陸路は不可能)。ヤンゴンエヤーウェイ機は、ヤンゴン→ダウェー →ベイ →コータウンと2つの都市を経由して3時間かけて南下する。
ウ・レーとアンケ
前回、ウ・レーとサヤーの違いを考察した。今回はアンケである。英語のUncleがなまってアンケである。、ミャンマー語は大体語尾がスーと消える。 日本語英語はその反対最後尾をはっきり言い切る。たとえばHotel日本語的にはホテル、タイ語やミャンマー語ではホーテェスカートも、スカーと発音し、後ろの発音がスーと消えてしまう。それで、アンケは見るからに金持ちのおじ様に使われる。
私は、やせていて恰幅も悪いし、第一この国では金持ちでもなんでもないので、ほとんどアンケと呼ばれたことがない。ウ・レーは、親戚のおじさんや、その辺のおじさんにも使う一般用語。ごく親しいおじさん(ちょっと年配になる)は、バーバーと呼ばれることもある。英語の床屋の発音と同じバーバーである。
以前雇っていたドライバーの孫達が、私のことをバーバーというので、「婆」に聞こえるので、それを止めさせたら、次にアンケになった。この孫たちだけが、私のことをアンケと呼ぶ。早く、いろんな人からアンケと呼ばれる身分になりたいな~。
再生ミャンマー
もう10月の末、例年なら雨季あけていい頃であるが、何日か大雨が降った。そしてレーモンダインと呼ばれる嵐になった。5月にミャンマーの南西部を襲ったサイクロン・ナルギスも、こちらの人はレーモンダインとか、ナギリスがビルマ風になまって、ナギィーと呼んでいる。
サイクロンの後ヤンゴン市内は死者など出なかったが、南西部全体の被災地では13万人もの犠牲者を出している。ヤンゴン市内や近郊の町や村は、ほとんど復興がすんで以前と変わらない生活が営まれている。
写真はあるレストランの入り口付近にあった大木が倒れた跡である。ヤンゴン市内の木々の3分の1以上が根こそぎ倒れ、倒れなかった木々も幹は折れ、枝は飛ばされ満身創痍の状態であった。このレストランのスタッフの話では、すぐ近くにあった樹齢100年ほどのココピン(ねむの木)が5月3日未明の3時頃、強風と大音響とともに倒れたそうである。それで樹齢7,80年のこの大木も危ないと、スタッフ一同避難したところ、果たして午前4時くらいにバリバリと根が土からはみ出してきて、店の方ではなくて通りにむかって倒れ、店は倒壊を免れた。
あれから約半年、倒れてしまった大木も根っこの部位分が余りに大きすぎて、根も付いたままであるので、市役所も道路をふさいでいるわけでもないので、そのままの残された。
あれから半年、太い幹から2つばかり若い枝が伸びてきて、何十年もかけてまた大木に成長しそうである。私も人生のたそがれ時期にさしかかっているので、この若い枝が幹になり大木にまで成長するさまを見届けることが出来るかどうかわからないが、植物の持つ 大いなる再生力に大いに勇気づけられた。
耳のお医者さん?
まだまだ知らないヤンゴンがたくさんある。秘書のゾーミントゥン、ミャンマー人離れした顔をしている。獅子鼻、しゃくれたあご、鋭い眉、その割には鈍い感性。顔自体が異様なのでIRAQ(イラク人ミャンマーも英語と同じイラキと呼ぶ)と日ごろ呼んでいる。
辞めていった子やマレーシアに行ったスタッフなど全部あわせると、60人位いたろうか? 全て田舎出身の金も学歴もないスタッフに、日本語学校やコンピューターのスクールに行かせたり、美容の学校で学ばせたりして育ててきたが、大卒は3,4人しかいない。その数少ない大卒の一人がこのイラキである。感性は鈍いがよく働く。 粘着力があるので、交渉事など任せると大体良い結果に納まる。
そのイラキが2,3日前から、右の耳が聞こえないと言い出した。それで病院に連れてゆくことにした。すると、イラキの従兄弟でマネージャーを任せている奴が、「耳の専門の病院(タムエの近くにある)に行っても直らないよ。僕がいいところ知ってます」と車で30ST,の狭い路地に出かけた。
そこはビルとビルの隙間のスペースに5,6人の、免許をもたない医者モドキがたむろするクリニックスペースだった。 すでに、10人近い患者が来ている。はじめイラキの難聴は,私が4年前にかかった突発性難聴(中年男性におおく、浜崎あゆみで有名になった)だと思った。ストレスが原因といわれている、1ヶ月以内に治療するとかなりの確率で改善するそうである。私は日本への帰国が遅れ、今も左耳がほとんど聞こえない。
それで、日ごろ難しい仕事にイラキを酷使しているので、仕事のストレスからの突発性難聴と思っていたのだが、ここのモドキ先生、「こりゃひどいね。ものすごくたまっているよ。」と、細い金属の器具に脱脂綿をつけて耳の穴を掃除すると、黄色の膿のようなものが、どんどん付いて来る。
「わぁ~汚い」と言っているうちに、当のイラキが「あっ聞こえる」と叫んで、一件落着。ただ単に耳の掃除を全くやってなくて、膿や垢がたまって穴の中をふさぎ聞こえなくしていたのだ。私と同じ病気ではなかった事に、ほっとした。まだまだ知らないミャンマーが、たくさんあるのだ。
サヤーとウッレーの間
ミャンマーに漂着して早10年。ミャンマー人から本名で呼ばれる事は、ほとんどなくなった。G&G旅行社のマ・カインカインエーが、唯一私を本名で呼ぶ。他はほとんどがサヤーで済んでいる。サヤーは本来「先生」という意味だが、会社でも上司はサヤーで済まされる。またレストランなどでも、従業員はお客をサヤーと、呼んでいるようだ。
しかし、時々、道端で話しかけられる場合や、服などを買った店で「ウとかウッレー」と呼ばれることがある。意味はおじさんという言う意味で、年齢的にも立派なおじさんなので、別にウーと呼ばれることに不満がある訳ではない。
最初惑ったのは、サヤーとウーの違いである。ジョルダーノというファッション・メーカーがある。本社がタイの製品だか?香港だか知らないが、このメーカーも、ミャンマーに進出して10年、店舗も増え客はほとんどミャンマーの裕福層。
ここの女性店長は、絶対に私をサヤーと呼ばない。ウーである。☆他の服飾の店では、かなり年配のオーナーでも、私を「サヤー」と呼びかける店もあるのだ。サヤーという言葉の意味するものは、呼びかける者が「自分はあなたより下ですよ」という意味も含まれているし、より親しい場合に使われる。また、ウーという呼びかけが尊敬の意味が全然ないわけでもない。言葉ひとつの問題だがウーンなかなか奥深い。
ナロン依存症 (ミャンマーの暗部)
日本に帰るたびに聴かされるのが、亡くなった人と離婚したカップルの話。 アルコール中毒というか依存症だった知人が、40歳を越えたあたりで、4,5人亡くなっていた。
この国でも、政治が悪いと声高にいろんな人が言っているが、ヤンゴンでの生活も10年になってくると、庶民レベルでこの国を覆っている悪習が、腐敗臭を撒き散らしながら蔓延しているのを知った。ナロン・トンロンといわれるギャンブルだ。ナロンは、タイの宝くじ番号の下2桁を、トンロンは下3桁を当てるギャンブルで、当たると掛け金がそれぞれ8倍と80倍になる。
カロムゲームとミャンマーのゼーコウッ
ずいぶん前に、毎年ミャンマーに遊びに来る滋賀県在住の友人が、「ヤンゴンの路上で男4人でやっているゲーム、どうも滋賀県にだけにあるカロムと言うゲームにそっくりなんよ」と言っていた。
先日そのなぜか日本の中で滋賀県の彦根地方にだけにあるカロムゲームをNHKで見た。なるほどヤンゴンにあるゼーコウッと呼ばれるゲームに似ている。調べてみると、はっきりした事は分からないものの、12世紀のエジプトが発祥地で、その後ヨーロッパから世界中に広がったそうだ。しかし、日本ではなぜ滋賀県にだけあるのだろか?
またミャンマーにはどうやって伝わってきたのだろうか?
英国が植民地にしていた時に英国から? それとも隣のインドから伝わったのか?
私はまったく興味ないが、スタッフの退屈しのぎにはなるだろうと買って置いたものだが、私がいない間に大金ではないものの賭け事をやっていたので、すぐに取り上げた。
まぁ~カロムの話から、ミャンマー人がギャンブル好きなことが、このゲームが今日までヤンゴンで人気がある理由なんだろう。