ミャンマー伝統的な食べ物、ラペェ(食べる茶)のお店です。ヤンゴンではさまざまな地域からラペェが入ってきています。茶も潰したもの、新芽のまま発行したもので種類もいろいろです。ラペェをお豆(ア・チョウと呼びます)、ゴマ、焼いたにんにく、ピーナツを入れて、油やトマトも入れて全部を混ぜると、ラペェ・トゥになります。干しえびや唐辛子も入れれます。
ヤンゴンでは最も有名なのは【ユザナ】というラペェです。本店がダウンタウンの近くに位置しています。おしゃれな店内ではラペェだけではなく、ラペェに入る材料も売られています。ラペェのみのパックやラペェとア・チョー入りのパックなどで様々サイズやパックがあります。ラペェの味も甘口も辛口も両方で売られています。店内のコーナーで出来たラベェを置かれていますので、買う前に試食がOKです。
住所 :No. 22, Nawaday Street, Dagon Township
営業時間:(0630時~1800時)※無休になります。
電話番号:01-242526 01-702688
投稿者: Golden Garden Tour
ミャンマー伝統的な出生票
Photo by •Weekly Eleven News Journal
生まれたときにできた運勢を見て将来に幸運か、不幸運か、何ができるのだろうかを鑑定できるように「ザーター」と呼ばれるものを作ります。「ザーター」というのは「出生票」と同じと言えますが、貝多羅に生まれた時間・星座・曜日を配当刻書したものです。
刻書する葉がオウギヤシの葉を使用しているのも多いです。オウギヤシの木に捨てる部分がないほど、全部が役に立っています。また、長年、生きられる木ですので、ザーターを作る時はその葉を使っています。
刻書した内容は生年月日のほかで「マハーボッ」も掲載され、特に生まれた子が立派な人間、健康的で長生きするように祈りを書いているのはほとんどです。刻書するのは45分間ぐらいかかります。鑑定もされる場合はもっと時間がかかります。
ザーターことについて昔の諺には“落雷されてもオウギヤシで隠せる”と言う話ががあります。落雷されるという不幸運なことでも、オウギヤシに刻書したザーターの通り鑑定して防げますとの意味です。
今の時代にはコンピューターで出生票を作っていますので、伝統的な習慣がなくなってきそうですが、マンダレーにはまだその習慣が引き続いているようです。
まだまだ続く韓国フィバー
大変な騒ぎだった。
昨日(8月29日)旅行者の日本人女性からいきなり電話がかかってきた。友人の友人だった。初めて会う人だったが、1時間ほどスーレーパゴダの近くにあるSUZUKI CAFEで昼食をとって、あれやこれや話していた。何度か時計を見られるので、夕方便で帰国する人なので、「時間大丈夫ですか?」とたずねると、
「いえ、フライトにはまだ時間があるんですが、実はミャンマー人の友人から、ストランドホテルのボウルームでファッションショーがあるので、招待されてるんですが、一緒に行きませんか?」
友人には日本人がもう1人行ってもいいですかと許可を得てたそうだ。それで、SUZUKI Cafeから徒歩で会場に向かった。ファッションショーというよりは、男女の新人モデルの「Mr.Ms.Korian Stars」というタイトルの、韓国のスターに似た人を選ぶ、モデルのコンテストだった。
午後2時半ころ入場したのだが、女性モデルがそろそろ終わろうとしていた。続いて男性の若い多分17歳から20歳くらいのモデルが20名くらいステージに現れた。顔に白い化粧して、色白の韓国スターを真似しているるつもり?ナンだろうが、首の肌のは褐色のままで、歌舞伎役者の白塗りのように成っているモデルもいた。服装は、「白」と決められているのだろう、全員がぴらぴらの白い服。様々な今風のファッションを見ることが出来た。
1人1人エプロンステージに進み出て、ポーズとったり 有る者は、白いバラの花を会場の客席にに投げ捨てたり、それぞれ「Mr.Ms.Korian Stars」に成りきっていた。会場は大変な盛り上がりで、兎に角6年位前から続く、韓国ブームは下火になるどころか、ますます大フィーバーして来ているようだ。
冨士湖の竜神パゴダ
プヂ湖の続きである。
湖のすぐ近くに******パゴダと言うありがたいパゴダがあった。
どこでもそうだが寺院やパゴダでは境内は、舗装されていなくても裸足で歩行しなくてはならない。
階段と舗装されていない坂道を、裸足ではかなり痛かったが、日本人2名は「いたたたた、、、、」と、叫びながら上り下りだったのに、同行の2名のミャンマー人は別に痛くなさそうである。
パゴダには、女性の参拝客が5,6名いたが、彼女たちもあの石ころだらけの坂道も平気なのだろう。パゴダは、それほど大きくは無いものの、仏様が雨に打たれないように、コプラのような大蛇が傘のように後ろから仏様に雨が当たらないように守ったという、仏教説話のモチーフの仏像がある。
小雨が降って、この仏像を撮っていたら。きれいな虹がかかっていた。この大蛇と仏像は、割合どこのパゴダでも見られるのだが、ここではそのモチーフの仏像が20体ほどパゴダを、ぐるりと取り囲んでいるのである。
湖も近いし、私は勝手に竜神パゴダと名を付けてしまった。それとここは、すぐ横に僧院があった。普通パゴダは無人である。
丘の上のパゴダから僧院の建物が俯瞰できて、修行僧の寮だろうか、2階建ての大きな建物が、屋上に柱の鉄線があちこち延びているので、将来的には3階4階と増設してゆくのだろう。
この僧院に有名な僧侶がいらっしゃると聞いた。そのうちに、ミンテンカ先生亡き後モーヴィの名刹になるかもしれない。
さて帰り道、2号線に出ずに村の小道をジープで戻っていると、水牛が水浴びをしている池で、子供たちも土手から飛び込んで水牛と一緒になって水遊びをしていた。
ヤンゴン市内からわずか2時間しか離れていない村だが、空気の匂い時間の流れまで違う。そして、とびっきりの子供たちの笑顔に送られて、ヤンゴンまで戻ってきた。
モーヴィに冨士湖?
ヤンゴン市の北部に広大なローカ自然公園がある。複雑な形の湖が広がり、サルや鹿、孔雀などが放し飼いで飼育されている。湖にボートで繰り出すこともできる。
この自然公園を過ぎると、さらに北にモーヴィという町がある。ヤンゴンから車で1時間半くらいの距離である。これといった特徴がある町ではないが、かつてはミンテンカ大先生のいる町として有名だった。
作家で著名な占い師であるミンテンカは、その弟子1万有余人といわれ、ミャンマー国最大の占い師だった。占いを行う寺院には、早朝から毎日400人以上が列を作り、しかも質問は1つだけという。
6,7年前ミャンマー人の友人が、結婚のことで占ってもらいたくて寺院までやってきたが、すでに長蛇の列、夕方4時まで並んで翌日の優先票をもらって帰ってきて、翌日バスで2時間かけて再度出かけて行ったそうだ。
私も1度見てもらったことがある。生年月日からの占いと、タロットカードを引いて運勢をみてもらったが、ほかの優秀な占い師に比べて、的中した確率はそれほど高くなかったと思う。
それでも、日本で有名な占い師は、毎週ミンテンカ先生にお伺いを立てて、その結果を翻訳してファックスで送ってもらい。毎週 どこかの週刊誌に日本人の先生の名前で掲載されていたという話もあるそうだ。
しかし、2年ほど前にミンテンカ先生が70歳で亡くなってしまった。生前は、あの寺院は占いのほかに、「厄落とし」でも有名だったのだが、すっかり人気が無くなったそうだ。
そんなモーヴィだが、すぐ近所に日本軍が作ったといわれる飛行場がある。赤土のままで、今でもこの国の空軍が使っているようで、一般人は立ち入れない。
そこを過ぎて30分、マグウェまで続く2号線から、小道を右に曲がってしばらく行くと、ゲイトがあり数人のお役人がいるが、「湖まで行く」と言うと問題なく通過できる。そしていよいよ、かなり大きな冨士湖が見えてくる。
富士ときこえるが、ミャンマー語のスペルはほとんど同じなのだが、正確にはプヂー湖 プ*芽 ヂー*大きな 「大きな芽の湖」が正解だった。1998年ころに完成したダム湖である。
しかし、黒部ダムのようなアーチ型のコンクリートの壁はないし、うちの郷里に世界最小のアーチ型ダムがあったが、それでもこのダムの施設よりは大きいと思う。
四角い水の取り込みのための建物があり、そこから15メートルくらい下に発電所のような建物がある。
最初は、ヤンゴンまで電気を供給しているダム湖かもしれないと、期待して見に来たものの、これでは一つ二つの村落に電気を供給できる程度だろう。ちなみに、ミャンマーで売られている地図にはこの湖は載っていない。
友人がネットの航空写真で発見して、ぜひ行ってみたいとやってきた湖である。3,4回来たという友人は、半日 魚釣りをして帰ったとか、、、ヤンゴンから、往復4時間の旅である。
ヤンゴンの今日この頃 4
猛暑を避けて宿泊したホテルより、手前がサクラタワー、後ろがトレーダーズホテル この2つが今現在ミャンマーで一番高いビル。
話が雑多になってきているが、続けて書いている。
最近気が付くのは、友人の車に乗ってガソリンスタンドに行くと、以前は国営で決められた店でのみ、手帳がないと給油できなかったが、今は民営化されて、それぞれのガソリンスタンドもカラフルになった。ユニホーム姿の女子スタッフ置いたり売り上げ競争でサービスもよくなった。
民間委譲といえば、ヤンゴン空港の地上業務も民営化され、到着時にビザの取得ができるようになった。これで旅行者も煩雑で時間のかかるビザ取りから開放される。
あと、ヤンゴン市内に目に付くのは、ネットカフェが雨後の竹の子のように増えてきている。私は1度も利用したことは無いが、半年前に引っ越したものの、電話の設置が遅れに遅れている日本人の友人は、毎日通っているそうだ。
友人の自宅より、スーレーパゴダとシュエダゴンパゴダ2つが同画面に収まるポイント。
それと、最近目を引くのがペットの店だ。私も、日本から連れてきた愛犬が3年前に14歳で死んで、去年の9月にこちらで買ったダルメシアンが突然急死した6歳だった。猫も相次いで2匹死んでいったので、それ以後3ヶ月間は動物が1匹もいないヤンゴンライフを送ってみたものの、やはり寂しい。 間が持たない。
それでユズナプラザでメス猫を買いミケとなずけた。2週間後に、市場で鶏肉売ってるおばちゃんが、子猫がたくさん生まれたんで1匹あげると、オス猫のカプをくれた。
左がメス猫のミケ、右がオス猫のカプ 本当はカプチーノとつけたものの長いので、もっぱらカプである。最近犬猫を飼う家も増えてきている。
半年たって,オス猫は丸々太り何でも食べる。しかし、メスのほうはやせ細り体重を量るとオスの半分も無い。始終咳みたいな、なにか吐くようなのどの動きがあり、長くは持たないだろうと覚悟を決めていた。
しかし、何かちゃんと調べてみようとクリニックに連れて行きレントゲンを撮ってもらった。胸から腹にかけて水が溜まっていると言われた。それで2回に分けて水を抜いてもらったら、非常に元気になってオスに負けない食欲も出てきた。
こうしたペットの病院も増えてきている。最後に、レストラン関係。今やおしゃれなカフェが増えてきて、ミニスカートのお嬢さんと男の子が携帯片手に腕組んで出てきて、車で帰る姿をよく見かける。
私はレストランといえば日本食の店しか行かない。今年14年目という「一番館」に行くことが一番多い。このごろは週に2,3回行っている。
常においしいし「ハズレ」がすくない。また経営者が毎月タイや日本に食材のために行かれている。こまでやっている店は多分他にないだろう。
ここ13年間で閉店した日本レストランは10本の指では足りない。そもそも今現在日本人会の会員は300人以下、子供を入れて未加入の日本人を合計しても600人くらいではと推測している。
日本人だけを対象ではそもそもやって行けないだろう。「SUSHI」と看板があるのものの、とても寿司といえないものが出てくる店もある。
日本人経営の店が数軒、ミャンマー人の経営の店など暇に任せて数えていたら、22,3軒あった。 驚いた。
前記に日本の存在価値が急速に落ちてきていると記したが、どうやら日本食だけは本物であれまがい物であれ、増えてきている今のヤンゴン事情です。
おわり
ヤンゴンの今日この頃 3
思いつくまま、書き進めている。
最近、やっと日本人会に入会した。年会費70ドルで、ものすごい量の蔵書がある図書館を利用できる。読書だけが唯一の趣味の私にとって、まさにありがたい図書館である。それまで日本に帰国したときに10冊、友人知人が来緬する際に、5冊6冊と頼んでいたのが、最新のDVDまで多くの会員さんが寄付されて、自由に本5冊DVD5枚まで借りることができる。
年費70万ks*7万円と少々お高いがNHKプレミアムも、毎日見ているので日本語に困ることも無い。ネットの発達で、日本の情報世界の情報も、日本にいる人と変わらない。
先日、ミャンマー女性を嫁にした友人が、2年ぶりにヤンゴンにやってきた。全く日本語を話せなかった嫁さんは、日本語検定試験2級合格。今は仕事を2つこなしているそうだ。
彼女の話が興味深かった、ネットで世界中のミャンマー人と接していて、「ブログ書いてるミャンマー人世界中に何千人もいますよ」と言う発言に驚いていると、5月に私の自宅から100メーター先にあるミンガらマーケットの火事を、彼女はネットで知り、早速ヤンゴンにいる両親に電話で無事を確かめたそうだ。すると、両親はまだその火事のニュースを全く知らなくて、娘が何を言ってるかわからなかったそうだ。
私もミャンマー国内のニュースを外国のニュースで知ることも多い。
最近の土地バブルの記事も日本人の友人から、実はベトナムの投資家がヤンゴンの土地を買いあさっていると言う情報を得た。
話は、ミンガラ市場の火事について、今はすぐ隣の空き地に仮の市場ができているが、雨季の中テント張りの店舗で、お客はまばらでここに出店した店舗も少数にとどまっている。
5月24日だったか、私は友人5人でグイサウンビーチに行っていて、友人が家までジープで送ってくれた。 午後の3時過ぎだったが、家の前が人垣ができていて、前方を見た友人が叫んだ「ひゃ~ ビルが火事だよ」それが、ミンガラ市場だった。 何でも朝8時ごろから燃えていると言う。結局鎮火するのに一日半かかった。
同時期にマンダレーに近いモンユアのショッピングモールも火事になり、2年くらい前か?マンダレーのスカイウォークと呼ばれるビルの大火事もあった。
ミンガら市場は幸い死者やけが人は出なかったが、スカイウォークは早朝から英語の塾などの生徒が被害にあったとと聞いている。 ビル火災に対する消防があまり機能していないようだ。
これもヤンゴンやマンダレー等ビルが増え続けている都市部の大きな課題だと思う。
なぜグイサウンビーチに行ったかを思い出した。ビーチに行く前に10日間ほどヤンゴン市内のさるホテルに宿泊した。 2010年は、不動産バブルのニュースと共に後年記憶されるのが、「猛暑」だと思う。
今は日本でも猛暑で熱中症で何人亡くなったなどのニュースをNHKを見て知っている。
ミャンマーは今年の4月5月すさまじい猛暑だった。38度以上の猛暑日が45日間以上続き、40度超える日もあった。 日本でも携帯電話とエアコンは使わない主義を、12年間以上ヤンゴンでも続けていたが、さすがの私も半分熱中症のような症状が出たので、やせ我慢もこれまでとホテルに宿泊した。
中級のホテルだったが、ミャンマーの金持も多数暑さを逃れてホテル暮らしをしていた。どうせホテル暮らしならと、友人らとグイサウンビーチに行き、戻ると火事に遭遇した話は、前に書いた。このころから雨季に突入して涼しくなって、今も雨季は続いている。
ヤンゴンの今日この頃 2
サクラタワー20Fより写す、スーレーパゴダ通り。左側の大型ビルポイントタワービル1998年完成予定が、未だに完成していない。そんなビルが他にもたくさんある。
ミャンマーは今バブル経済に突入したと言う人たちもいる。海底ガスの産出で世界13位に躍り出たというニュースを読んだ。ミャンマーの通貨がアメリカドルに対してじりじりと上昇している。故にマレーシアなど海外で働く人たちからの送金が目減りする現象がおきている。どういうわけか半年前に車(99%中古車)は急激に値下がりしている。
先日中国製の新車のバスを大量に購入したニュースを目にした。中国の首相が來緬して、この国の一番偉い方と固い握手をしていたのも最近の話である。6年位前から火がついた韓国ドラマのブームは今も続いて、音楽、ファッション、髪型化粧品あらゆる分野で韓国ブームで、日本の存在を探すのは困難である。
いつまでも、ミャンマーがすばらしく親日国家というのも、今現在さびしいけれどミャンマー国内での日本の存在価値は日々薄れてきている。また不動産バブルもたとえば私が住む集合住宅のビルは、築11年1000万ksで購入した部屋が、1ヶ月くらい前に7階の701号室が6500万で、3日ほど前803号室が7200万ksで売却されたそうだ。高級住宅地のバハンの土地つきの豪邸などは、10億ksから20億ksの値がついているのを、不動産の情報誌で見ることも度々である。日本円で1億円とか2億円の世界である。
いつまでもミャンマーが貧乏国家だと思っていると大間違いである。もちろん貧しい人が大半なのも変わらぬ事実であるが、全体的に底上げしてきている感は否めない。
カンドーヂ湖の近くに、これも10年以上前から、工事が再開したりストップしたりで完成していない。ミャンマーキックボクシングラウェイのスタジアム。
先ほどのCapitalショッピングセンターに補足だが、隣にケーキで有名なシュエパズン(金のえびという意味 もともとは海外輸出までしていた醤油メーカー)が、高級ホテル並みの豪華な喫茶店とケーキ、お菓子類の販売店を大型駐車場つきでオープンしてから、ここドーボン地区と、道路一本で隣接するタケダ地区は、地域のイメージがグンと上がった。
80年代半ばからの日本でバブル経済を経験した者の目から見て、地図だけ見て10年以上前からこの地区は絶対発展すると確信していたが、ビルマ人は誰も信じなかった「あそこはルーマイ(やくざ者)のすむ所」と言って、一段も二段も低く評価されていた地区である。しかし、ヤンゴンの地図の基点になっているスーレーパゴダから、マッハバンドゥーラ通りと、同じ名前の橋を越え10分くらいでドーボン、タケダ地区である。
SHWE PU ZUN ケーキ屋
新興住宅地の北ダゴンや南ダゴンは、ここ10数年本当にミョーティ【新しい町】として発展を遂げてきているが、スーレーパゴダまで車で30分、乗り継ぎのあるバスだとどうかすると1時間もかかる。それで、最近の不動産バブルで、ドーボン、タケダ地区が急速に地価が沸騰して来ている。友人知人に「10年以上前から、こうなると言ってただろう」と言ったものの、奴等はすっかり忘れていたようだ。
ヤンゴンの今日この頃 1
曇り空のタムウェ地区 正面中央がユズナプラザ バス停もある。
ヤンンゴンでの生活も13年目に入り、刻々と変化してゆく街の様子に驚くことが多い。 それでは、最近のヤンゴン事情を、思いつくまま筆を進めてゆこうと思う。
ストーカン(Store Room の意味) と呼ばれる小部屋は北向きの部屋で、めったに入ることがない。久しぶりにこの3角形の小部屋から北向きの町並みを見ていると、少し前までは無かったタワーが4つ5つと目に入ってきて驚いた。
タワーは携帯電話の中継塔だろうか? 携帯電話が種類も多種多様、最近かなり普及して来ている。
私が住むタムウェ地区にまた新しいシティマートがオープンした。これで10軒目かな?2,3年前までシティマートがヤンゴンの上流階級の顧客を独占していたが、最近はタケダ地区のタイ系の品揃えのCapitalスーパーマーケットも、日曜日などは大型駐車場が満車状態である。家具から食料品、ベビー用品など百貨店のような品揃えが人気の秘密だと思う。
うちの近所に(タムウェ南部)に、建物は完成していていつまでもオープンしないので、そういう事例はいくつもあるので、つまり失敗かな?と思っていると満をきしてUnitedがオープンした。ここはオープンまでもたもたしてた割にはすぐに成功したようだ。
閉店時間の夜9時まで満員御礼が続いている。Unitedはモスリム系のスーパーで、豚肉とアルコール類は販売されていない、製品はマレーシア製が多い。歩いて3分の近さなので最近は利用することが多い。
もちろんTVで派手な宣伝をやったにもかかわらず失敗した、ブレイゾンやエクセルショッピングモール等もある。失敗と成功の分かれ目は生鮮食料品が充実しているとか? 駐車スペースが十分にあるかなどが挙げられると思う。
観光客があまり足を伸ばさないユザナプラザ。
ユズナプラザ(これもタムウェにある)は、ここ10年もっともお客の多いショッピングモールだが、生鮮食料品売り場は無いものの、圧倒的に店が多いこと、隣に立体駐車場があることが成功の理由だろうか?
シティマートは新機軸の大型店オーシャンを、ヤンゴンの北と東に続き、新首都ネーピードウにもオープンして、今やスーパーマーケット業界は覇者争いの時代に突入してるかのようだ。
話は、ちょっと脱線するが、10数年前まではりんごはヤンゴンには売られてなくて、旅行でミャンマーに行く時、日本に住むミャンマー人からりんごをお土産に、家族にもっていってくださいと頼まれたことがあった。しかし、今やミャンマー中が中国産のりんごであふれ返っている。
小さな梨もよく売られていたが、最近は日本の長十郎のような大きな梨がスーパーでお目にかかれるようななった。これも中国製だろうか? あまり甘くないが時々買う。
唯一無いものと思っていた桃が、前記のCapitalとUnitedで前後して見つけて早速買った。どちらも1個1200ks 日本円で約120円この国では高額だが、まずまずおいしかった。
*りんごは、種類 大きさにもよるが300ks~800ks
幕があがると季節は雨季
5月17日に雨が降った。
その前にも空に暗雲が垂れ込めてきて、雨季が近づいてきてる兆候が濃くなって、ヤンゴン河の向こう側ドーボン地区やタケダ地区では、お湿り程度の雨が、13日14日にも降っていた。
しかし、この雨から雨季が始まったと言えるのは、5月17日からだと思う。
ジャーナルの記事によると、45日間以上38度の炎熱地獄が続いていた。平均温度なので中には40度を越す日もあったわけで、「エアコンと携帯電話は使わない主義」で、12年間ヤンゴンで暮らしてきたが、全身にアセモが噴出し、熱中症のような症状が出たので、とうとうエアコンの効いたホテル生活に入って1週間目に雨が降った。
多分今年2010年は、「猛暑の夏」(ミャンマーの夏は2月から5月)として、記憶されることだろう。あちこちで、熱中症で体の弱い人や病気の人、お年寄りなどが亡くなるニュースも聞いた。
「8月まで雨が降らない」と言うウワサがヤンゴンを駆け巡り、炎熱地獄に加えて絶望的な気分にさせられていた。結果的には1ヶ月遅れたものの、ちゃんと雨季は到来したのだ。しかし、ミャンマーの夏(暑季)から雨季への変換は、まるで舞台劇を見ているように、夏という季節が幕降ろし、次に幕が上がると雨季になっている。
これほど雨が降ってほしいと、雨季になる事をヤンゴン中の人が待ち望んだ年は近年なかったと思う。
今日の室温は28度。 雨が降って水力発電から供給される電力も復活し、停電も減ってきた。
まさに「恵みの雨」である。