チャイティーヨーで凍える!!!

チャイティーヨー = ゴールデンロック・パゴダ[goldenrockmyanmar
チャイティーヨー = ゴールデンロック・パゴダgoldenrockmyanmar
チャイティーヨー = ゴールデンロック・パゴダgoldenrockmyanmar
チャイティーヨー = ゴールデンロック・パゴダ
またまた~大げさなタイトルです。 インレー湖上が寒いことは書きましたが、この乾季は気温が極端に下がることがあります。ヤンゴンでの生活では、今年はまだ「寒い」ほどではなく涼しいくらいですが、去年は結構寒い乾季でした。 
私が、極端な「寒がり」ということもありますが、乾季はヤンゴンでも足が冷えるので就寝時に靴下を履いて寝ることもあるくらいです。
平素30度の室温が26度に下がるだけで、亜熱帯のミャンマーでは、「寒い」と感じられます。それが、1999年今から10年前の12月、4度までに下がったことがありました。  インドの北東からの寒気団がやってきて、もう寒くて寒くて、ヤンゴン市内では、中国製の古いデザインのもこもこしたジャンパーや防寒着が、強気の値段で売られてました。
テレビでは連日、「子供は厚着させて毛布を2枚以上重ねて寝かせ、夜中時々様子を見なさい。」そういう放送が何度も流されていた。
ちょうどそのころ、私の友人の2組がチャイティーヨーに行っていたそうだ。1組は、ヤンゴン外国大学に留学してすぐの女性2人組。 とにかく、恐ろしく寒くて、一晩中全く眠れなかったそうだ。
もう1組は、ミャンマー人と一緒にチャイティーヨーに行った日本男性。「ヤンゴンの感覚の装備で山の上まで行ったから、寒くて寒くて、足の爪が割れた」とこぼしていた。
亜熱帯のミャンマーですが、季節や場所によっては寒いことも多々あります。又、チャイティーヨーは、1000年前の碑文にも記録が残る、歴史的価値、その山々の景観の美しさなど、第一級の景勝地です。
それを日帰りで行く人が多いのが、本当に残念です。日帰りでいけないことはないですが、チャイティーヨーの山頂に着いたら、記念写真を撮ったらすぐに下山とは、本当にもったいない。
チャイティーヨー一帯は、自然動物保護地区で、日本でいう国立公園です。周りの山々、又由緒あるパゴダも道中たくさんあります。
山頂で1ヶ月くらいロングステイする欧米人もいるくらいです。できれば一泊して、この美しい景観を存分に味わってもらいたいですね。

インレー湖 インデイン・パゴダ

インレー湖 インデイン・パゴダ
シャンのソーボワ(藩主)が建立したパゴダ
インレー湖 インデイン・パゴダ
奥インレーでも見られる、木とパゴダの競演
インレー湖は3回目である。1997年1回目は、湖上をボートで行く時、身を切るような寒さで途中の土産物屋さんでシャンの上着を買った。
2回目2004年 ジャンバーは着ていたものの、素足にサンダル履きだったので、もうどうしようもなく足が冷たい、ルエエイと呼ばれるシャンバックに足を突っ込んで暖をとった。
そして今回である、靴下にワーキングシューズ、ジャンバーと万全を期したつもりだったが、湖上に出るとやはり寒い、1時間ばかりはそれに耐えていたが、ふと後ろを見るとガイドの女性は、毛布をかけている。それで座席の背に毛布が用意されてるのを遅ればせながら知って、やっと防寒できた。ミャンマーはこの時期かなり寒いのである。
今回は初めて、インデインパゴダに行った。ここでも遅ればせながら、考えが及んだのは、ミャンマーで1番大きなインドージ湖、2番目のインレー湖、ヤンゴン大学の裏手に広がるインヤー湖 そして今回のインデイン湖。どれもインが付く、それでやっと思い出したのは、イン自体が(池や湖)を表す言葉なのだ。この地に住むインダー族は、イン(湖)ター(民)というわけである。
そのインデェイン・パゴダは、14世紀から18世紀にかけて建立されたシャン族の朽ち果てたパゴダが1000基以上残っている。バガンのパゴダ群のように、すべて修復されていないのが逆に風情があって、日本人の心情にマッチしているような気がする。

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ミャンマー的「光陰矢のごとし」


勢ぞろいしたコーイン達猫と遊ぶ

カヤー州ロイコーの僧院
ビルマ(ミャンマー)語で、小坊主をコーインと呼ぶ。まさに光陰と同じ発音である。なのでいつもコーイン達を見かけると、「光陰矢のごとし」それに続く「少年老い易く学成り難し」という漢文を連想している。
自分が老いてみて、しみじみ身にしみて納得できる語句である。
このコーインの中から、僧正まで上がってゆける子がはたしているだろうか?
ミャンマー仏僧会は、厳しい試験制度で階級が上がってゆく。
一説にはミャンマーで最も難しい試験であると耳にしたことがある。
そうこうするうちに、「僧正にあってみますか?」とガイドさんに言われて、
お坊さんと話すビルマ語もよくできないしと躊躇していると、偶然僧正がお出ましになったので、僧正の個室で、お話しすることになった。
お坊さんと話す時は、ビルマ語の一人称「私」は、普通男は「チャノー」が「ダビィード」になる。又、「はい」は「ホッケー」だが、これも「ティンバー」になる。そのほか必ず語尾に「パヤー」をつけるなど、理屈ではわかっていても、そうそう慣れないので話せるものではない。
その旨僧正に申し上げると、「普通でいいよ」とやさしく言われたので、本当にちょっとだけ丁寧語にして普通語でお話させていただいた。
僧正が開口一番言われた言葉に驚いた。
「大野先生を知っていますか?」であった。
大野徹先生にお会いしたことはないけれど、
「もちろん知っております。 大野先生のおかげで、我々日本人は辞書や参考書で、ビルマ語を学習することができるからです」と申し上げると、
僧正は、「40年前に大野先生とヤンゴン大学で、碑文を学びました」続けて、「非常に優秀な方でしたよ」と言われた。
大野先生は、ジャウサーといわれる石碑に彫られた碑文、漢籍、英語など第一資料からの、ビルマ族の歴史書、参考書、辞書など著書も多数ある。
真に「学、成りえた方」である。
冷や汗をかきながら、僧正のお部屋を退室して、改めて、わが身を思い「コーイン矢のごとし、、、」とつぶやく私だった。
また恐れ多くて、僧正の写真は撮れなかった。
カヤー州 ロイコーのホーヂィ僧院にて

カヤー州のルインコー

カヤー州のルインコー
「ミャッカラ・パゴダ」石階段で上まで上がれる。
カヤー州のルインコー
「スータウンピッ・パゴダ」願い事がかなうという意味のパゴダ
長年行きたいと思ってたロイコー(ルインコー)にやっと行けた。戻ってきてからの、最大の感想は「寒かった」。
泊まったホテルは、10部屋あるらしいが、私の他にお客がいる気配が全くない。ロイコーは、2003年に一度入域が開放された地区だが、又すぐ閉じられて、外国人は入域できない地域に指定されていた。それが、又何年かぶりに開放されたと言うので、早速手続きを取った。
MTT 「ミャンマー観光局」で申請し、待つこと2週間。 以前は1ヶ月以上かかっっていたので、これでも早くなったそうである。 入域の許可だけで600ドルくらい取られるので、そこまでしてゆく価値があるかどうかは疑問ではあるが、
私としては、このカヤー州ロイコーに行くと、ミャンマー国内、7つの管区、7つの州すべてに行ったことになるので、まずは目標達成という意味が大きい。
カヤー州は、ミャンマーの北東部を占める一番大きな州シャン州のすぐ南、東隣はタイ国。小さな州である。産業は特にないが、お茶と蜂蜜が有名というので、土産に買ってきた。
入域が許可されたのは、カヤー州の中の州都ロイコーのみ、ロイコーはシャン州から入って車で20分ほどなので、大部分のカヤー州はいまだ入域規制地区である。
ロイコー自体も人口4万の、日本の田舎の町って感じで、車で少し行くと、これ以上は入域規制地区ということで、パダウン族(首長族)の村と、いくつか有名なパゴダを回るともう行くところがない。笑
しかも、一番有名でミャンマーの国営テレビで何度か見ていたタウンクエ・パゴダは修復中で美しいパゴダの先端部分は、筵(ムシロ)に覆われていた。
なので、ヘーホー空港から、ロイコーまでの車で7時間かかる道程が、一番の見所といえると思う。山、畑、畑にぽつんぽつんと立つ木々が絵に描いたように美しい。
道沿いに立ち並ぶ家々も、美しくどの村も豊かな印象を受ける。
インレー湖は、なぜ世界遺産に指定されないのかが不思議なくらいすばらしい湖だが、ほとんど知られていないが、ロイコーまでの道沿いに、インレー湖から3時間水路でつながる奥インレー湖の町サカーがある。インレー湖の後ろにさらに大きな湖があるのだ。
そこからさらに1時間南下すると、大きなダム湖のペッコン湖も車窓に眺めることができる。
そしてロイコーの街中を流れるビルー河にこの水路は続き、更にビルー河は、中国の山岳地帯から流れおちタイ国境をカレン州に流れ込む大河タンルイン河につながり、最後はモーラミャインからモッタマ湾に注ぎ込む。
今回インレー湖がタンルイン河につながっていることを初めて知った。
旅から戻った、まずはこれが第一報ということにしておこう。

マンダレーにて、 猫とビールと②

マンダレー観光、旅行、ツアー
マンダレー観光、旅行、ツアー
マンダレーは過去4回くらい来ているが、1泊か2泊しか連泊したことが無くて、今回のように5泊も滞在したのは初めてである。
街の印象としては、ヤンゴンで人気のシティーマートというスーパーマーケットも進出していて、新しいビルが続々と建築されている。街全体が非常に活気と熱気に満ちている。
ミャンマー交通のシンボル? サイカーとラインカー(トラックを改造したバス)や自転車もかなり減って来ている。それに代わるオートバイが碁盤の目のように道路がクロスするマンダレー市街を、縦横無尽に往来している。これはヤンゴンに住む者の目には、驚くべき光景である。
ヤンゴン市内はオートバイの走行は禁止されている。わずかに公務員 警察官などの運転が許可されていたが、それも最近になって禁止されているので、ヤンゴン市内でオートバイの姿を見ることが無くなって来ているのだ。マンダレーに話を戻す。街中に新しい中国資本の中級ホテルもあちこちにオープンしていた。
英国時代からしぶとく稼いでいるインド系住民と、何かの本で読んだ事があるが100年前にもマンダレー市内に5000人強の中国人が住んでいたそうだが、その子孫か?雲南から移住してきた中国人か?中国人の数がますます増加している感がある。

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マンダレーにて、猫とビールと①

マンダレーバスターミナル
マンダレー中央駅①
ミャンマー第2の大都市マンダレーに3年ぶりかな?行ってきた。7月から8月にかけてヤンゴンは連日激しい雨が降り続いている。12年間ヤンゴンに住んでいるが、こんなに大雨が降る雨季も記憶に無い。
しかし、マンダレーでは1度も雨が降らなかった。
8月3日長距離バスでヤンゴンを午後4時に出発し、14時間かかって4日の午前6時にマンダレーに到着した。そして、8月9日の9:05AM発の飛行機で、ヤンゴンに戻ってきた。(しかし、実際には8時50分に離陸していた。ミャンマーではよくある話)そして、6日ぶりのヤンゴンは相変わらず雨が降っていた。
まず最初に書きたいのは、行きのバスの事だ。料金は11000ksこれまで乗ったどのバスよりも清潔できれいな日本製の観光バス。窓ははめ殺しで開閉ができない。故に停止しても食べ物や果物を頭上に載せている物売りがバスの乗客相手に商売ができない。
また道は高速道路と書かれた最近といっても4年位たつだろうか? 民間の道路会社が作った道で有料である。また途中にあるレストランも以前のものに比べ、広く清潔で深夜でも煌々と明かりがついているた。

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ヤンゴン国際空港タクシー

ヤンゴン国際空港タクシー
ヤンゴン国際空港で空港タクシーは今までは「Golden Swallow」と書いてある車が走っていますが、現在はParamiタクシーも走るようになりました。ただし、車の数が少なくて、空港内ではカウンターもありませんので、簡単にレンタルすることはできてないようです。GoldenSwallowが大手のように経営しており、空港内ではカウンターもあります。
基本はParamiタクシーはメーターでチャージしていますが、実際にレンタルすると、ほかのタクシーのように交渉になってしまうのはほとんどです。一応、空港送迎は場所により料金はさまざまですが、時給で借りる場合は1時間/5000チャットとなっているようです。
Golden Swallow社の空港送迎は7ドルになっております

ヤンゴンの雨と傘

ヤンゴンの雨と傘
ヤンゴンの雨と傘
雨季が入ったこの時期では一番売れるものは傘と思います。ミャンマーでは強烈な雨が多いからか、もしくは傘の品質が良くないからか、多くの傘が次の雨季シーズンまで持つことは難しい。傘のブランドも「ASAHI, YAMATSU, OSAKA」などのように名をつけているが、日本製ではありません。一本2000チャットから3000チャット(200~300円)位あります。また、UVカットの傘はありますが、雨傘と日傘としては分けていません。(日傘の言葉もありません)

ミャンマー家屋 正しい窓のあり方

ミャンマーのライフ==日常生活
ヤンゴンに住んでいる。初めてのアパートから、今の場所で3軒目の家屋。
1998年の3月、暑季の真っ只中にこの国にやってきて、エアコン完備のホテル生活を3,4ヶ月続けた。雨季に入って151ストリートの、警察署の真横のアパートで1人暮らしを始めた。ドアは2重、ベランダに出るドアは3重。窓は3重構造である。Photoは、先月お邪魔した友人の家で、北オカラッパという新興住宅地にある。 中流より上の家庭である。
壁は全てタイル張りで、外観も美しい家屋で、以前別の人が住んでいて、家を探していた時に偶然売りに出ていた家だそうで、なかなか美意識がある方が造った家のようだ。その家の窓だけを写してきたのがこのPHOTOで、一戸建ての家も窓はやはり3重構造だ。
部屋から見ると、一番内側が蚊や虫除けの網戸、真ん中がハメ殺しの鉄格子、そして外に開くガラスの窓である。最初に住んだアパートもこの構造だったので、最初家具も何もない部屋で、1人でいるとそれこそ独房に入っているような気分になったものだ。外から盗人が侵入できない構造は、逆にいうと火事でもドア以外から外に出られない構造になっている。
鉄格子も最近は色をカラフルにしたり、アールデコ風のデザインにしたり、インテリアも化粧と同じように人々の関心が高く、最近はデザインのこった家屋が多く建築されてきている。しかし、あいかわらずドアは2重、窓は3重構造で、「自分の身は自分で守る」がミャンマー家屋の基本は、変わっていない。